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霊園とお墓のはなし

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行楽・お出かけ」カテゴリーアーカイブ

・飛鳥Ⅱ 横浜港にて

2015年7月23日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介しております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は横浜支社のONさんからの記事になります。以下本文↓

 

先日、横浜にアスカⅡ豪華客船が停泊していました。

2015年7月20日 飛鳥Ⅱ あすか2 横浜港 ベイブリッジ image1+

乗ってません。乗りたいです。

それにしてもとても大きいです。撮影日は7月20日の海の日。飛鳥Ⅱや海王丸の見学会があったようです。

飛鳥Ⅱは先日「2016年日本一周グランドクルーズ」を発表し話題となっていますが、今月末の7月31日(金)から発売開始となるようです。就航25周年企画のクルーズ第4弾ということで、来年2016年の6月5日(日)出港だそうです。

乗ってみたいものですね。

 

さて横浜といえば、大塚横浜支社があります。

お墓をお探しの方、お墓について悩みのある方はお気軽にご相談くださいませ。

大塚横浜支社問い合わせ 0120-14-8225

大塚代表問い合わせ番号 0120-36-1217

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆

2015年7月21日 火曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

本日の記事も歴史を重ねた石塔ということで、埼玉県東松山市の岩殿にあります「阿弥陀堂の板石塔婆」の訪問記事になります。

場所は東松山市の岩殿観音、大東文化大学、こども動物自然公園からほど近い場所になり、先日記事にしました「・埼玉県東松山市岩殿の弁天沼(鳴かずの池)」のお向かいにあたります。ちょうど岩殿観音への参道に続く道沿いでもあります。

 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1466

こちらは元々阿弥陀堂があった場所で、道の北側に墓地が丘の斜面に広がっています。

案内板があります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1448-

阿弥陀堂の板石塔婆

市指定有形文化財(昭和40年8月10日指定)

板石塔婆(以下板碑)の多くは、亡くなった人の死後の世界での幸福や安らかに死を迎えられることを願って建てられたものです。鎌倉時代中頃から南北朝時代を経て江戸時代の初めの頃まで、全国各地で盛んに建てられています。この時代に多くの板碑が建てられた理由の一つに、貴族社会から武士の時代となり、世の中の争乱による苦しみや恐れにたいして、仏に心の救いをもとめたためと考えられています。板碑に刻まれた銘文は、文字資料の少ない時代の様子を知る手掛りとなるもので、貴重な文化財です。

後方の墓地の中腹に建っているひときわ大きな板碑が「阿弥陀堂の板石塔婆」です。「鳴かずの池」ほとりに建つ岩殿会館は、かつて阿弥陀堂があった場所と言われており、このことから「阿弥陀堂の板石塔婆」と呼ばれています。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1449-

この板碑は、応安元年(1368年)明超上人が中心となって、同門の五十余名の僧侶と共に、真言密教の布教を願って建てられた板碑で、このように多くの人によって建てられた板碑を結衆板碑(けちじゅういたび)といいます。

高さ260㎝を測り、市内では二番目の大きさの板碑です。蓮座の上には胎蔵界(たいぞうかい)大日如来の種子(しゅじ)、下には五字一句、四区からなる偈文(げもん)が刻まれています。中央には紀年銘と願主、その右には三列、左には二列の僧侶の名が十段まで確認できます。左端にも偈文が刻まれています。

この大きな板碑から、当時の岩殿山の繁栄と信仰の高まりを感じることのできる板碑といえます。

平成25年3月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

↓中央に見えているのが板石塔婆です。斜面の中腹にあります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1450

近づいて見ますと、かなり大きな石塔だということがわかります。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1451 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1452

さきほどの案内板にあった図と比較してみましょう。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1453 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1449-

700年前のものとは思えないほどに、刻まれた文字がしっかりと判読できます。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1454 20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1455

足元を見ると、小さな板碑や板碑であってであろう欠片となった石などが敷かれていました。

20150608 東松山市岩殿 阿弥陀堂の板石塔婆DSC_1456

さて場所は先述のとおり岩殿観音の近くにあり、大東文化大学やこども動物自然公園、物見山もすぐ近くです。東松山市の高坂から鳩山町に向かう途中にあり、鳩山町の霊園サンヒルズ・メモリアルガーデンも遠くありません。ご見学の途中にお散歩するのにちょうどよい文化エリアです。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・夏休み ―家族でお墓を考える、お墓参りや見学に行ってみる―

2015年7月20日 月曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内、ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は祝日「海の日」、夏休みシーズンに入りました。梅雨も明けたなか、各地でお祭りや花火大会などの夏のイベントも目白押しですね。

8月の終わりまで続く夏休みは、お盆などもありますので、家族でお出かけ、おじいちゃんおばあちゃんに逢いに行く、いとこ等の親戚が集まるなど「家族」を考えることのできる時間も多くなるのではないでしょうか。

実家への帰省の際には久しぶりにお墓参りなどいかがでしょう。そしてその際には是非お子さんに「自分につながるご先祖様がいて、お墓で眠っている」ということを伝えてみてください。

お墓参り1 お墓参り2

ご先祖様を自分からさかのぼって人数を数えだすと、たいへんびっくりするお子さんはとても多いのではないでしょうか。祖父母が四人で、曽祖父母が八人、そのさらに親の世代(高祖父母)は十六人・・・この人たちが一人でもいなかったら自分は生まれてこなかった・・・こう考えるととても不思議で、そして運命的なものを感じるかもしれませんね。

お墓には遺骨は数えるくらいしか眠っていないかもしれませんし、中にはまだ遺骨のないお墓もあるでしょう。しかし墓石(石塔)にはご先祖様が入っていらっしゃいます(開眼供養・魂入れなどによって)。自分たちにつながるご先祖様はたしかにお墓にいらっしゃるというわけです。

「自分の入るお墓はまだ決めていない」という方、せっかくの家族の時間です。お墓についての家族のいろんな考えや気持ちを聞いてみる時間をつくってみてもよいのではないでしょうか。普段なかなかあらたまってお墓についての話はしにくかったりするかもしれません。しかし昨今は終活という言葉もあるように、先を見越してさまざまなエンディングの準備をするということは珍しくなく、むしろそうした考えの方がとても増えてきています。

お墓について、石材店の大塚から言えることは「決して急いだり慌てたりせず、じっくりと検討した方がいいと思います」ということです。

中にはご事情があって大急ぎで必要になるという方もいらっしゃいます。が、時間的な余裕があるのでしたら様々な墓地や霊園、そして石材店を比較検討してゆっくり時間をかけて納得のいくお墓探しをお勧めいたします。あとから「あー、やっぱりああしておけばよかった」「こんなところに霊園があったことを知らなかった」等追いかけて気が付いたとしても、修正することはとても大変なことになります。

家族との時間をゆっくりととれる夏休み。家族で話し合ってみて、お手すきの時やどこかにお出かけのついでにお子さんやお孫さんといっしょに散歩がてら墓地見学などいかがでしょうか?

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1240- 静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1721

以下、お墓探し関連の記事や本サイトのページをご紹介いたします。

 

●最近のお墓探しの方々が重要視している点は、やはり自宅からの距離と価格、どんな運営者かという点です。(※ご参考記事 ・埼玉県による「お墓に関するアンケート」の結果 )

●お墓探しをゼロからスタートしてみようという方、こちらの記事が参考になるかと思います→ ・これからお墓をつくる方へ① [墓地をもっていない人の場合]

●公営霊園は人気なのですが、首都圏では狭き門で毎年高い倍率となっています。(※ご参考記事 ・公営霊園の抽選にはずれても手段はある?落選してもできるお墓の準備 )

●公営霊園ではないとすると、寺院墓地か民間霊園ということになりますが、これは実際に調べて直接見学に行ってみないといろいろとわからないことも多いと思います。(※ご参考記事  ・霊園見学の注意点①「石材店の指名って?」  )

●「そもそもお墓って必要なの?」と疑問を感じていらっしゃる方がいましたら、このような記事がひょっとしたら参考になるかもしれません→「お墓を建てると幸せになる?シリーズ

●永代供養墓や納骨堂が気になる、という方は、永代供養墓特集納骨堂特集のそれぞれのページをご覧ください。

 

実際にお墓を探してみる

霊園墓地を探す  寺院墓地を探す

その他、疑問点やご不明点などありましたらお気軽にご質問、お問い合わせくださいませ。

 

・桶川霊園のヘメロカリスが見頃です

2015年7月19日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店、株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は桶川霊園管理事務所からのおはなしです。以下本文↓

 

いまが見頃の植物をご紹介します。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園のヘメロカリス001

このオレンジ色のユリのような花、

【ヘメロカリス】です。

ユリ科の多年草で原産地はアジア東部、土壌を選ばず、植えっぱなしでよく育ちます。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園のヘメロカリス005

ギリシャ語の、

ヘメロ→1日、カリス→美

が名前の由来のようです。

 

別名【デイリリー】というように朝咲いて夜にはしぼんでしまいますが

初夏から夏にかけて次々と花が咲くので比較的長く楽しむことができます。

 

園内には他にも写真のようないろいろな花が咲いています。

2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花007 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花013 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花016 2015年7月 埼玉県 桶川霊園の花018

是非ゆったりとした空間をお楽しみください。

 

墓地についてご興味ありましたらこちらも是非ご覧ください→ 桶川霊園の墓地紹介ページ

桶川霊園の永代供養墓についてはこちらをご覧ください→ 桶川霊園永代供養墓紹介ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市岩殿の弁天沼(鳴かずの池)

2015年7月17日 金曜日 雨のち晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズメモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺(訪問記事はこちら)、そのすぐ近くに弁天沼があります。鳴かずの池とも呼ばれています。(弁天沼のお向かいにあります阿弥陀堂の板石塔婆についてはこちら

 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1465

案内看板がありますので読んでみます。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1458 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1457

弁天沼(鳴かずの池)

昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼ができたといわれ、カエルがすみつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。

東松山市観光協会

※以上、案内板より引用。

カエル 蛙 かえる アマガエルIMG_3742 埼玉県 桶川霊園 雨蛙 アマガエル かえる カエル1 埼玉県 桶川霊園 雨蛙 アマガエル かえる カエル 2

(カエル画像はイメージです)

本当にカエルがいないのでしょうか。とても不思議な伝説の沼、池ですね。

他の弁天沼、弁天池と同じように、島があります。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1461

そして島にはお堂があり

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1462

財天の文字が確認できます。弁財天、弁才天、いわゆる弁天様ですね。ということでお堂は弁天堂と呼べると思います。

埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1463 埼玉県東松山市岩殿 弁天沼 鳴かずの池 坂上田村麻呂 龍退治 伝説DSC_1464

悪竜の池は、弁天様のお住まいになっています。

弁天様は元々河の神様で、音楽や芸能、学芸、戦の神様とされています。歌の神様でもあるので、カエルの歌声もいつの日か聞くことができる日がくるかもしれませんね。

さて場所は先述のとおり岩殿観音の近くにあり、大東文化大学やこども動物自然公園、物見山もすぐ近くです。東松山市の高坂から鳩山町に向かう途中にあり、鳩山町の霊園サンヒルズ・メモリアルガーデンも遠くありません。ご見学の途中にお散歩するのにちょうどよい文化エリアです。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

2015年7月16日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の「株式会社大塚」のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日記事にしました静岡県清水区のメモリアルガーデン清水。経営主体の霊泉寺さまは隣接する場所にあります。

興津川を新幹線が渡る場所からすぐです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1729

見ていると、東海道新幹線が過ぎていきました。

釣りをしている人たちもちらほら。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1728

霊泉寺の入口に霊泉寺についての案内板があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1727

臨済宗 妙心寺派

旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で、自らの墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老子を招いて開山とし、現在裏山に公の墓所がある。

宝物は、静岡県重要文化財として指定されている。

※以上、案内板より引用。

興津川から300メートルほど山裾を進んだ場所に本堂があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1695

本堂に向かって左手にあるのが六角堂です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1696

額には「六角堂霊廟」とあります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1694

こちらは現在、納骨堂として機能しています。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1697

諸事情による方々のご遺骨をこちらに安置し、供養がなされています。永代供養墓ではありませんが、ご安心いただくことができると思います。

このほか、霊泉寺には先述のとおり穴山梅雪公のお墓参りもできます。

お近くにお寄りの際は、メモリアルガーデン清水、霊泉寺ともにご見学されてはいかがでしょうか。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県清水区 薩埵峠(さったとうげ)から見る富士山

2015年7月15日 水曜日 晴れ

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事でご紹介しました「メモリアルガーデン清水」からすぐ近く、興津と由比の中間に「薩埵峠(さったとうげ)」があります。ちょっと寄ってみました。メモリアルガーデン清水から、車で5分ほどです。

地図の中心のポイントは薩埵峠の駐車場(トイレ有)から遊歩道を少し歩いた展望台なのですが、地図中にメモリアルガーデン清水の文字があるのが分かりますでしょうか。ほんとうにすぐ近くなので、霊園からぶらりと気軽に行ける場所にありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1729 案内看板 道標

国道52号線からみて興津川をはさんだ向かい岸(東側)を走るオレンジ色のセンターラインのある道路。薩埵峠への入口の看板があります。看板の向こう側には「さった」バス停があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1730 案内看板 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731 案内看板 道標

道を進んでいきますと随所に 薩埵峠への誘導看板が続いています。実はこの道は旧東海道なんです。

そしてたどり着くのがこちら。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731-駐車場

右上からガードレールのある道にてたどり着く駐車場です。トイレや案内板などがあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1732 駐車場からの景色 富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1733 駐車場からの景色 富士山

この場所から見える富士山と太平洋の景色もなかなかのものなのですが、事前にイメージしていた場所とはちょっと違うような気がします。

何やら石碑などもあるのでちょっと見てみましょう。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1735 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1738 駐車場

海を挟んで伊豆半島がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1739 駐車場

そして、「薩埵峠山之神遺跡」の石碑と「幸田文・文学石碑」があります。

元々この場所には「鞍佐里(くらさり)神社」が祀られていた場所。その跡地をしるした石碑です。幸田文は幸田露伴の次女。幸田文の著した「崩れ」の本文の抜粋が刻まれています。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1740 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1748 駐車場 幸田文・文学碑

幸田文だけでなく、多くの人びとに感動や感慨を大きく与えた光景が広がるのがここ薩埵峠。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1741+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

案内板を発見。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1742+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1743+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1744+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1745 駐車場 東海自然歩道 案内図

ここ駐車場から興津方向に遊歩道を少し歩きますと展望台があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1747+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

↑左が興津方面、右が由比方面です。展望台に行く前に、徒歩で少し由比方面に進んでみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1754+ 道標

↑「←由比 興津→」と書かれた趣のある道標。

少し進むと薩埵峠と書かれている古い道標もありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1755+ 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1756 道標

この場所は、古戦場でもあります。古くは室町幕府を開いた足利尊氏と、鎌倉の足利直義との薩埵山合戦が。戦国時代には武田信玄と今川氏真との戦いが北条氏もまきこみながら三度も行われた場所でもあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1757+ 薩埵山合戦場 足利尊氏 直義 武田信玄 今川氏真

今も昔も海と山との間のほんのわずかな空間に街道がはしる交通の要衝です。この場所を押さえられると流通がピンチとなる非常に重要な場所。度々合戦の舞台となったというのもうなずけます。

足元には国道1号線と東名高速、そして波打ち際が見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1763 東名高速道路 海と波

さて、いよいよ薩埵峠の展望台に行ってみましょう。

一度駐車場に戻り、そこから遊歩道を歩きます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1764 遊歩道 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1765 展望台 見える景色と富士山

しばらく進みますと、すぐに展望台にたどり着きます。軽いお散歩に丁度良いくらいです。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1766 展望台 見える景色と富士山

薩埵峠(さったとうげ)

この地は、富士山が望める景勝地として昔から知られており、歌川広重は、浮世絵「東海道五十三次」の中で「由比(薩埵嶺)」として描いています。この場所は「東海道五十三次」の作品の中で、冬至と同じ景色が望める唯一残された場所とも言われています。

しかし、見事な景色とは裏腹に、急斜面と海に挟まれた地形から道を造ることが困難で、交通の難所として知られていました。

現在は、日本の大動脈である、国道1号・東名高速道路・JR東海道本線といった重要な交通網が集中しており、大規模な地滑りが発生した場合、東西の重要交通網が寸断されることによって生じる経済被害・人的被害は計り知れないものがあります。このため、平成17年度より国土交通省富士砂防事務所が、地滑り対策事業を行っています。

国土交通省 富士砂防事務所

以上、案内板より引用。

さて景色を堪能してみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1770 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1772 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1773 展望台 見える景色と富士山 Tokaido53_Yui-

ほぼ同じアングルから、ほぼ同じような富士山を見ることが出来ました!

それにしても、国道1号、東名高速、東海道本線が狭い場所にならんでいる様子は圧巻ですね。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1778 展望台 見える景色と富士山

目の前には伊豆半島の山々がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1783 展望台 見える景色と伊豆大島 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1784 展望台 見える景色と伊豆大島

しばらくすると、東海道本線の車輛が見えてきました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1786 展望台 見える景色と富士山 東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1788 展望台 見える景色と東海道本線

一番山側を走っているのがわかります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1789- 展望台 見える景色と東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1792 展望台 見える景色と東海道本線

というわけで薩埵峠からの富士山の景色でした。

メモリアルガーデン清水はこのすぐ近く。

お墓を探しているという方は是非一度ご見学くださいませ。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。
※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・久喜聖地公苑のオープンテラス!?(休憩所)

2015年7月13日 月曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、久喜聖地公苑の管理事務所からの記事になります。以下本文↓

 

こんにちは。

久喜市六万部にある久喜聖地公苑です。

今回は苑内の『休憩所』をご紹介します。

 

管理棟南側に、

石造りのテーブル&椅子を備えた

木陰があるのをご存知でしょうか?

150628_132759 150628_132824

私達は通称『オープンテラス!?』と呼んでいますが

ここは木々に囲まれているので夏でも涼しい風が吹き抜け、

ホッと一息つけるスペースになっています!

150628_132913 150628_133123

これからの時季のお参りには、

ちょっと木陰で休憩されてはいかがでしょうか。

※久喜聖地公苑の墓地情報のページはこちら。

※久喜聖地公苑の永代供養墓情報はこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の六面幢(岩殿観音 正法寺)

2015年7月12日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズ・メモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺さま。その南側の山の中に六面幢(ろくめんどう)があります。

岩殿観音の裏側の入口からのびる細い道の奥に六面幢はあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

↑この場所のすぐ近くに案内の柱があります。

県指定史跡 正法寺六面幢 です。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1380

途中の道はこのようなこもれびの道です。ちょっとしたハイキングです。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1381

 しばらく歩きますと分かれ道があり、ここを左に曲がります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1382 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1383

そして見えてきました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1384

六面幢とは、六面石幢とも六面塔とも呼ばれる供養塔。「幢」とはノボリ旗状の細長い旗のことで、仏法や仏様をそこに描き供養するものです。これを石でつくったものを石幢といい、石幢を六枚合わせたものを六面幢と言います。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1389

六枚の板石を合わせた形状の上に笠石を載せています。笠石の中央にある丸い石は宝珠を表しているのでしょうか。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1385

正法寺の六面幢 県指定文化財

この六面幢は、緑泥片岩(青石)の六枚の塔婆を組み合わせて六角形を作り、その上に笠石をのせてあります。高さ107cm、板石の大きさき横36cm、縦101cm、笠石の直径128cmです。

笠石の周縁には飛雲・裏側には双龍と宝珠、宝相華や飛雲が線刻されています。

板石にはそれぞれ銘文が刻まれていますが、その銘文によると、天正十年(1582年)二月に、岩殿山の僧道照が俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提を供養するために建立したものと思われます。

六面幢は、鎌倉時代から室町時代に建てられたものですが、現在知られているものは極めて少なく、正法寺のものは、年代的にも新しいものです。

昭和五十八年三月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1386 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1387

六枚のうち一枚が外れてしまっていました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1390

昭和五年三月三十一日指定。とあります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1391 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1392 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1393 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1394

今年が2015年ですので、433年前の石塔です。年月を考えると、刻まれた文字もしっかりと判読できます。しっかりと後世に伝えたい貴重な文化財ですね。

※岩殿観音 正法寺の訪問記事はこちら。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・上杉謙信公のお墓について、林泉寺さんに聞いてみました

2015年7月11日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01861 上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01863

以前書きました記事「・上杉謙信公のお墓(林泉寺)」について、閲覧された方よりご連絡のメールをいただき、少し追加で調べてみましたので記事にしてみます。

頂いたメールは次の通りです。

【氏名】
元上杉家家臣

【ご質問】
上杉謙信公の墓地との記事がありましたが、正確には墓地跡ではないでしょう
か? 上杉家は立派な霊廟があるのです。謙信公の遺骸もそちらに。遺骸がな
ければ、墓地跡ですよね。杉の立ち並ぶ立派な駐車場もある場所で、謙信公以
外も安置されています。詳細はお調べください。家臣といってもゲームの上杉
家でしたが、墓参してまいりました。一見の価値のある場所だと思います。

 

元上杉家家臣さま、ご指摘ありがとうございます。

ご指摘の通り上杉家は越後から会津、米沢へと転封があり、米沢城下の「春日山林泉寺」にある上杉家廟所に歴代当主とともに眠っているとのこと。それでは春日山城のある上越高田の林泉寺にある上杉謙信公のお墓はどうなのか。わからないことは直球勝負!ということで、上越高田の林泉寺さまに問い合わせてみました。

林泉寺さまからは、上杉家転封の際に墓所の下の甕(遺骸)も会津、その後米沢に移動したという記録は残っておらず、また寺の歴史(口伝)の中にも墓所を移したという情報はなく、この地に眠っていることとして昔と変わらず供養がなされています、とのことでした。謙信公の遺骸を移したという学者の説は昭和になってから出てきた話ということでした。林泉寺は1497年(明応6年)越後守護代長尾能景と曹洞宗の高僧「曇英慧応」とが創建しました。創建518年(2015年現在)になります。謙信公が7歳から14歳まで過ごした場所でもあり、林泉寺八世の益翁宗謙禅師から「謙」の一字をもらい謙信と名乗ったという経緯もあるという、謙信公とのゆかりのとても深いお寺になります。今回のような問い合わせはたびたびあるようで、「疑問なことがあったらご連絡いただければお答えしますよ」と言っていただけました。

 

別の記録(上越高田の林泉寺さまではない記録)によると、謙信公の遺骸は鎧兜を身に着けた状態で甕に入れられており、越後から米沢に移された際には米沢城内に埋葬され供養されていたようで、明治維新後に歴代藩主の眠る上杉家廟所(城下の春日山林泉寺)に移された、とあります。ただし、この甕は上杉家にとってはたいへん神聖なものである犯すべからざるものでもおるため、甕をあけてみるなどの詳細な調査は今までなされていません。この廟所のある春日山林泉寺は、その名の通り越後上越高田にある林泉寺からわかれたお寺さまになります。

 

残念ながら答えは現状ありません。どちらの場所に遺骸があるのかを信じるのかは自由ではありますが、どちらの場所も上杉家にとってとても大切な場所、聖域であることにはかわりありません。ですので、新潟県の林泉寺にあります「上杉謙信公の墓」は「墓跡」ではなく「墓」と言えると思います。少なくとも上越市、高田の多くの方々がそう見ておられるのではないでしょうか。

また、謙信公の深く帰依した仏教では、供養塔はいくつあっても悪いものではなく、たくさんの方が供養に訪れることができるので、むしろより供養になるといわれてもいます。特に戦国大名などは複数の墓所がある例も稀ではありません(高野山など)。

そして、世に「墓」と呼ばれるものの中には、必ずしも遺骨や遺骸が納められている、墓石の下に眠っている、とは限らないものも多くあります。遠い戦地で亡くなった方、遺品のみの方、遺骸のない方、などなど実に様々です。また、「供養塔」は文字通り供養する塔。開眼供養という法要があるのですが、お墓を建立する際には石塔に先祖の霊などに入ってもらうという法要がなされます。ですので墓石はただの石ではなく、石に先祖の祖霊(もしくはご本人の霊魂)がいらっしゃる、ということにもなります。著名人や歴史上の人物の墓が複数あるというのもこういったことを考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

今回、ご指摘のメールをいただいたことで該当の寺院に問い合わせをしてみたり、色々と調べてみるという切っ掛けとなりました。元上杉家家臣さま、重ねてありがとうございました。

謎のままであることもまたロマンです。機会がありましたらどちらの墓所、廟所、そして高野山の上杉家墓所もたずねてみたいと思いました。

 

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