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霊園とお墓のはなし

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大塚日和」カテゴリーアーカイブ

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

2015年7月16日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の「株式会社大塚」のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日記事にしました静岡県清水区のメモリアルガーデン清水。経営主体の霊泉寺さまは隣接する場所にあります。

興津川を新幹線が渡る場所からすぐです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1729

見ていると、東海道新幹線が過ぎていきました。

釣りをしている人たちもちらほら。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1728

霊泉寺の入口に霊泉寺についての案内板があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1727

臨済宗 妙心寺派

旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で、自らの墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老子を招いて開山とし、現在裏山に公の墓所がある。

宝物は、静岡県重要文化財として指定されている。

※以上、案内板より引用。

興津川から300メートルほど山裾を進んだ場所に本堂があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1695

本堂に向かって左手にあるのが六角堂です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1696

額には「六角堂霊廟」とあります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1694

こちらは現在、納骨堂として機能しています。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1697

諸事情による方々のご遺骨をこちらに安置し、供養がなされています。永代供養墓ではありませんが、ご安心いただくことができると思います。

このほか、霊泉寺には先述のとおり穴山梅雪公のお墓参りもできます。

お近くにお寄りの際は、メモリアルガーデン清水、霊泉寺ともにご見学されてはいかがでしょうか。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県清水区 薩埵峠(さったとうげ)から見る富士山

2015年7月15日 水曜日 晴れ

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事でご紹介しました「メモリアルガーデン清水」からすぐ近く、興津と由比の中間に「薩埵峠(さったとうげ)」があります。ちょっと寄ってみました。メモリアルガーデン清水から、車で5分ほどです。

地図の中心のポイントは薩埵峠の駐車場(トイレ有)から遊歩道を少し歩いた展望台なのですが、地図中にメモリアルガーデン清水の文字があるのが分かりますでしょうか。ほんとうにすぐ近くなので、霊園からぶらりと気軽に行ける場所にありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1729 案内看板 道標

国道52号線からみて興津川をはさんだ向かい岸(東側)を走るオレンジ色のセンターラインのある道路。薩埵峠への入口の看板があります。看板の向こう側には「さった」バス停があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1730 案内看板 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731 案内看板 道標

道を進んでいきますと随所に 薩埵峠への誘導看板が続いています。実はこの道は旧東海道なんです。

そしてたどり着くのがこちら。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1731-駐車場

右上からガードレールのある道にてたどり着く駐車場です。トイレや案内板などがあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1732 駐車場からの景色 富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1733 駐車場からの景色 富士山

この場所から見える富士山と太平洋の景色もなかなかのものなのですが、事前にイメージしていた場所とはちょっと違うような気がします。

何やら石碑などもあるのでちょっと見てみましょう。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1735 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1738 駐車場

海を挟んで伊豆半島がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1739 駐車場

そして、「薩埵峠山之神遺跡」の石碑と「幸田文・文学石碑」があります。

元々この場所には「鞍佐里(くらさり)神社」が祀られていた場所。その跡地をしるした石碑です。幸田文は幸田露伴の次女。幸田文の著した「崩れ」の本文の抜粋が刻まれています。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1740 駐車場 山之神遺跡 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1748 駐車場 幸田文・文学碑

幸田文だけでなく、多くの人びとに感動や感慨を大きく与えた光景が広がるのがここ薩埵峠。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1741+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

案内板を発見。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1742+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1743+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1744+ 駐車場 東海自然歩道 案内図 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1745 駐車場 東海自然歩道 案内図

ここ駐車場から興津方向に遊歩道を少し歩きますと展望台があります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1747+ 駐車場 東海自然歩道 案内図

↑左が興津方面、右が由比方面です。展望台に行く前に、徒歩で少し由比方面に進んでみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1754+ 道標

↑「←由比 興津→」と書かれた趣のある道標。

少し進むと薩埵峠と書かれている古い道標もありました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1755+ 道標 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1756 道標

この場所は、古戦場でもあります。古くは室町幕府を開いた足利尊氏と、鎌倉の足利直義との薩埵山合戦が。戦国時代には武田信玄と今川氏真との戦いが北条氏もまきこみながら三度も行われた場所でもあります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1757+ 薩埵山合戦場 足利尊氏 直義 武田信玄 今川氏真

今も昔も海と山との間のほんのわずかな空間に街道がはしる交通の要衝です。この場所を押さえられると流通がピンチとなる非常に重要な場所。度々合戦の舞台となったというのもうなずけます。

足元には国道1号線と東名高速、そして波打ち際が見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1763 東名高速道路 海と波

さて、いよいよ薩埵峠の展望台に行ってみましょう。

一度駐車場に戻り、そこから遊歩道を歩きます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1764 遊歩道 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1765 展望台 見える景色と富士山

しばらく進みますと、すぐに展望台にたどり着きます。軽いお散歩に丁度良いくらいです。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1766 展望台 見える景色と富士山

薩埵峠(さったとうげ)

この地は、富士山が望める景勝地として昔から知られており、歌川広重は、浮世絵「東海道五十三次」の中で「由比(薩埵嶺)」として描いています。この場所は「東海道五十三次」の作品の中で、冬至と同じ景色が望める唯一残された場所とも言われています。

しかし、見事な景色とは裏腹に、急斜面と海に挟まれた地形から道を造ることが困難で、交通の難所として知られていました。

現在は、日本の大動脈である、国道1号・東名高速道路・JR東海道本線といった重要な交通網が集中しており、大規模な地滑りが発生した場合、東西の重要交通網が寸断されることによって生じる経済被害・人的被害は計り知れないものがあります。このため、平成17年度より国土交通省富士砂防事務所が、地滑り対策事業を行っています。

国土交通省 富士砂防事務所

以上、案内板より引用。

さて景色を堪能してみます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1770 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1772 展望台 見える景色と富士山 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1773 展望台 見える景色と富士山 Tokaido53_Yui-

ほぼ同じアングルから、ほぼ同じような富士山を見ることが出来ました!

それにしても、国道1号、東名高速、東海道本線が狭い場所にならんでいる様子は圧巻ですね。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1778 展望台 見える景色と富士山

目の前には伊豆半島の山々がよく見えます。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1783 展望台 見える景色と伊豆大島 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1784 展望台 見える景色と伊豆大島

しばらくすると、東海道本線の車輛が見えてきました。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1786 展望台 見える景色と富士山 東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1788 展望台 見える景色と東海道本線

一番山側を走っているのがわかります。

静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1789- 展望台 見える景色と東海道本線 静岡県静岡市清水区 薩埵峠(さったとうげ)DSC_1792 展望台 見える景色と東海道本線

というわけで薩埵峠からの富士山の景色でした。

メモリアルガーデン清水はこのすぐ近く。

お墓を探しているという方は是非一度ご見学くださいませ。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。
※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水

2015年7月14日 火曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて霊園と墓所をご案内ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

静岡県静岡市清水区の興津井上町にあります「メモリアルガーデン清水」をご紹介いたします。

メモリアルガーデン清水は国道52号、興津川からほど近い場所にあります。興津駅からはお車で5分。

環境の良い山のたもと、小川に沿って霊園があります。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1691 静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1692

霊園入口は↑のように霊園イメージカラーの黄色と緑色の誘導看板が目印。小川をわたる橋を越えると管理事務所と墓域があります。

平成19年の夏に静岡市初の明るい近代霊園として開園しました。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1725

墓域は全区画平たん地。また、参道は水はけのよいインターロッキングを採用しています。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1689

霊園の入口にある手桶置場と水場です。お掃除のためのタオルも常備しています。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1686

管理事務所内には休憩所完備。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1723

区画は一般区画と

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1721

隣との間に空間のあるゆとり区画、

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1716

そしてペットと共に眠ることができるファミリーペット区画、

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1717

ゆとり部分にたまりゅうを配した緑地区画があります。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1720

園内は明るく風通しも良く、駐車場からも近くて墓参しやすい設計となっています。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1712

お墓をご検討中という方、ペットと一緒に眠れるお墓を探しているという方、お近くの方、ぜひ一度お気軽にご見学ください。

静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1724

経営主体は、戦国武将で武田家の重鎮であった穴山梅雪公がひらいた霊泉寺(霊園隣接)。

身近な霊園、メモリアルガーデン清水、お勧めの霊園です。

※ご覧いただきました区画情報は2015年7月現在の情報です。区画完売の際はご容赦ください。

 

※メモリアルガーデン清水のより詳しい墓地情報のページはこちら。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

※ペットのお墓「スブニールストーン」についてはこちらをごらんください。 

 

・久喜聖地公苑のオープンテラス!?(休憩所)

2015年7月13日 月曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、久喜聖地公苑の管理事務所からの記事になります。以下本文↓

 

こんにちは。

久喜市六万部にある久喜聖地公苑です。

今回は苑内の『休憩所』をご紹介します。

 

管理棟南側に、

石造りのテーブル&椅子を備えた

木陰があるのをご存知でしょうか?

150628_132759 150628_132824

私達は通称『オープンテラス!?』と呼んでいますが

ここは木々に囲まれているので夏でも涼しい風が吹き抜け、

ホッと一息つけるスペースになっています!

150628_132913 150628_133123

これからの時季のお参りには、

ちょっと木陰で休憩されてはいかがでしょうか。

※久喜聖地公苑の墓地情報のページはこちら。

※久喜聖地公苑の永代供養墓情報はこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の六面幢(岩殿観音 正法寺)

2015年7月12日 日曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日サンヒルズ・メモリアルガーデンへの道すがら立ち寄りました岩殿観音 正法寺さま。その南側の山の中に六面幢(ろくめんどう)があります。

岩殿観音の裏側の入口からのびる細い道の奥に六面幢はあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

↑この場所のすぐ近くに案内の柱があります。

県指定史跡 正法寺六面幢 です。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1380

途中の道はこのようなこもれびの道です。ちょっとしたハイキングです。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1381

 しばらく歩きますと分かれ道があり、ここを左に曲がります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1382 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1383

そして見えてきました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1384

六面幢とは、六面石幢とも六面塔とも呼ばれる供養塔。「幢」とはノボリ旗状の細長い旗のことで、仏法や仏様をそこに描き供養するものです。これを石でつくったものを石幢といい、石幢を六枚合わせたものを六面幢と言います。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1389

六枚の板石を合わせた形状の上に笠石を載せています。笠石の中央にある丸い石は宝珠を表しているのでしょうか。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1385

正法寺の六面幢 県指定文化財

この六面幢は、緑泥片岩(青石)の六枚の塔婆を組み合わせて六角形を作り、その上に笠石をのせてあります。高さ107cm、板石の大きさき横36cm、縦101cm、笠石の直径128cmです。

笠石の周縁には飛雲・裏側には双龍と宝珠、宝相華や飛雲が線刻されています。

板石にはそれぞれ銘文が刻まれていますが、その銘文によると、天正十年(1582年)二月に、岩殿山の僧道照が俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提を供養するために建立したものと思われます。

六面幢は、鎌倉時代から室町時代に建てられたものですが、現在知られているものは極めて少なく、正法寺のものは、年代的にも新しいものです。

昭和五十八年三月 東松山市教育委員会

※以上、案内板より引用。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1386 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1387

六枚のうち一枚が外れてしまっていました。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1388 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1390

昭和五年三月三十一日指定。とあります。

埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1391 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1392 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1393 埼玉県東松山市 岩殿観音 正法寺の六面幢 ろくめんどう 六面塔 六面石幢DSC_1394

今年が2015年ですので、433年前の石塔です。年月を考えると、刻まれた文字もしっかりと判読できます。しっかりと後世に伝えたい貴重な文化財ですね。

※岩殿観音 正法寺の訪問記事はこちら。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・上杉謙信公のお墓について、林泉寺さんに聞いてみました

2015年7月11日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01861 上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01863

以前書きました記事「・上杉謙信公のお墓(林泉寺)」について、閲覧された方よりご連絡のメールをいただき、少し追加で調べてみましたので記事にしてみます。

頂いたメールは次の通りです。

【氏名】
元上杉家家臣

【ご質問】
上杉謙信公の墓地との記事がありましたが、正確には墓地跡ではないでしょう
か? 上杉家は立派な霊廟があるのです。謙信公の遺骸もそちらに。遺骸がな
ければ、墓地跡ですよね。杉の立ち並ぶ立派な駐車場もある場所で、謙信公以
外も安置されています。詳細はお調べください。家臣といってもゲームの上杉
家でしたが、墓参してまいりました。一見の価値のある場所だと思います。

 

元上杉家家臣さま、ご指摘ありがとうございます。

ご指摘の通り上杉家は越後から会津、米沢へと転封があり、米沢城下の「春日山林泉寺」にある上杉家廟所に歴代当主とともに眠っているとのこと。それでは春日山城のある上越高田の林泉寺にある上杉謙信公のお墓はどうなのか。わからないことは直球勝負!ということで、上越高田の林泉寺さまに問い合わせてみました。

林泉寺さまからは、上杉家転封の際に墓所の下の甕(遺骸)も会津、その後米沢に移動したという記録は残っておらず、また寺の歴史(口伝)の中にも墓所を移したという情報はなく、この地に眠っていることとして昔と変わらず供養がなされています、とのことでした。謙信公の遺骸を移したという学者の説は昭和になってから出てきた話ということでした。林泉寺は1497年(明応6年)越後守護代長尾能景と曹洞宗の高僧「曇英慧応」とが創建しました。創建518年(2015年現在)になります。謙信公が7歳から14歳まで過ごした場所でもあり、林泉寺八世の益翁宗謙禅師から「謙」の一字をもらい謙信と名乗ったという経緯もあるという、謙信公とのゆかりのとても深いお寺になります。今回のような問い合わせはたびたびあるようで、「疑問なことがあったらご連絡いただければお答えしますよ」と言っていただけました。

 

別の記録(上越高田の林泉寺さまではない記録)によると、謙信公の遺骸は鎧兜を身に着けた状態で甕に入れられており、越後から米沢に移された際には米沢城内に埋葬され供養されていたようで、明治維新後に歴代藩主の眠る上杉家廟所(城下の春日山林泉寺)に移された、とあります。ただし、この甕は上杉家にとってはたいへん神聖なものである犯すべからざるものでもおるため、甕をあけてみるなどの詳細な調査は今までなされていません。この廟所のある春日山林泉寺は、その名の通り越後上越高田にある林泉寺からわかれたお寺さまになります。

 

残念ながら答えは現状ありません。どちらの場所に遺骸があるのかを信じるのかは自由ではありますが、どちらの場所も上杉家にとってとても大切な場所、聖域であることにはかわりありません。ですので、新潟県の林泉寺にあります「上杉謙信公の墓」は「墓跡」ではなく「墓」と言えると思います。少なくとも上越市、高田の多くの方々がそう見ておられるのではないでしょうか。

また、謙信公の深く帰依した仏教では、供養塔はいくつあっても悪いものではなく、たくさんの方が供養に訪れることができるので、むしろより供養になるといわれてもいます。特に戦国大名などは複数の墓所がある例も稀ではありません(高野山など)。

そして、世に「墓」と呼ばれるものの中には、必ずしも遺骨や遺骸が納められている、墓石の下に眠っている、とは限らないものも多くあります。遠い戦地で亡くなった方、遺品のみの方、遺骸のない方、などなど実に様々です。また、「供養塔」は文字通り供養する塔。開眼供養という法要があるのですが、お墓を建立する際には石塔に先祖の霊などに入ってもらうという法要がなされます。ですので墓石はただの石ではなく、石に先祖の祖霊(もしくはご本人の霊魂)がいらっしゃる、ということにもなります。著名人や歴史上の人物の墓が複数あるというのもこういったことを考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

今回、ご指摘のメールをいただいたことで該当の寺院に問い合わせをしてみたり、色々と調べてみるという切っ掛けとなりました。元上杉家家臣さま、重ねてありがとうございました。

謎のままであることもまたロマンです。機会がありましたらどちらの墓所、廟所、そして高野山の上杉家墓所もたずねてみたいと思いました。

 

・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました②

2015年7月10日 金曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日の記事「・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました①」に引き続き、②となります。

昨日の記事では、観音堂の前まで来たところで終わりました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1422 本堂 観音堂

本堂の正面には弘法大師像と水子地蔵像が。観音堂に向かって右手には薬師堂が。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1419 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1418

観音堂の近くには、とても美しい石造の宝塔もあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1416 石塔

和算の算額も奉納され保存されています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1402 算額

さて、観音堂に進んでみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1417 本堂 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1414 本堂 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1400 本堂

歴史を感じる重厚感と、それでいてどこか優しく温かみを感じられる空間になっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1415 本堂と岩崖

観音堂の右手には、岩の壁が崖になっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1409 岩崖

この岩崖には、四国八十八カ所の石仏と、坂東三十三カ所+秩父三十四カ所+西国三十三カ所の百観音の石仏があり、合計188体の石仏がいることになります。ここ一か所で、四国、坂東、秩父、西国の各霊場を巡ることができるわけです。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1410 岩崖 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1408 岩崖 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1411 岩崖

石仏の観音堂をはさんだ反対側には、とても大きなイチョウがあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1404 大銀杏 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1396 大銀杏

東松山市指定天然記念物の大銀杏です。根っこがすごいことになっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1397 大銀杏

大銀杏を最後に観音堂をあとにしてみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1398 本堂

勾配のある裏手の道を進むと、裏手の入り口にたどり着きました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1379 裏の入り口

この道を前方高坂方向に進むとすぐに大東文化大学があります。そして、そのあとにはこども動物自然公園も見えてきます。

この道を逆方向に向かいますと、鳩山町になります。弊社ご案内のサンヒルズ・メモリアルガーデンもすぐです。

こちらは先ほどの裏手の入り口すぐの場所にある物見山公園の駐車場にありました案内板と地図です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1378 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_13742015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1376 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1375

近隣にさまざまな自然や史跡があることがわかりますね。

※東松山市の霊園 森林公園昭和浄苑の墓地情報のページはこちら。

※鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデンの墓地情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました①

2015年7月9日 木曜日 雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、埼玉県東松山市にあります岩殿観音正法寺に行ってきました。二回に分けて記事にしてみます。

東松山市内より、鳩山町にありますサンヒルズ・メモリアルガーデンに向かう途中に岩殿観音に寄り道してみました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1441門前町

岩殿観音の前には、山門に続くまっすぐな道と、その両サイドに古くからの町並みが続いています。場所は、東松山市岩殿。こども動物自然公園や大東文化大学、物見山が近くにあります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1444

山門が見えてきました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1446 山門 石段

山門の向こう側に、まっすぐに続く石段がみえます。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1436山門 石段 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1435山門

仁王像のところが金網や木枠の格子ではなく一枚もののガラス(アクリル板?)になっており、仁王像をはっきりくっきりと拝見することができます。運慶作といわれている仁王像です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1440山門 仁王像 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1439山門 仁王像

山門から来た道を振り返ってみると、なかなか風情のある景色が見えました。まっすぐに続いているのがよくわかりますね。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1432 山門 門前町

それではさらに石段を登って進んでみようと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1433石段 あじさい

この長い階段の左右には、紫陽花の花が広がっています。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1434石段 あじさい

何やら案内板と立札があります。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1429 あじさい 上田朝直 制札 高札 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺 DSC_1430 あじさい 上田朝直 制札 高札 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1431 あじさい 上田朝直 制札 高札

どうやらこの木製の立札は「制札(高札)」で、戦国時代の松山城主「上田朝直」の命が書かれており、岩殿山一帯の木や草を刈り取ることを禁じています。綺麗だからといって紫陽花を持って帰ってはいけません!

後ろを振り返ると、遠くまで続く道と町並みが良く見えました。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1427 あじさい 石段 門前町

石段を登りきると、いよいよ岩殿観音、坂東十番霊場の岩殿山正法寺です。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1426 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1425

正法寺は真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また岩殿寺ともいう。

源頼朝の命により、比企能員(ひきよしかず)が復興した古刹であり、天正二年(1574年)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591年)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。

観音堂は養老年間(717~724年)僧逸海(いっかい)の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十番の札所となった。千手観音が祭られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。

当時には、延暦10年(791年)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅令によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。

なお、正法寺には、県指定の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。

※以上、案内板より

供養塔がずらりと並んでいます。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1424 石塔

左↓薬師堂、右↓百地蔵堂

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1423

境内にある案内板。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1421 2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1420

いよいよ観音堂に向かって進んでみたいと思います。

2015年6月 埼玉県東松山市 岩殿観音正法寺DSC_1422 本堂

埼玉県東松山市の岩殿観音に行ってきました②」に続く。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・著名人 有名人の墓 大平正芳(東京都 多磨霊園)

著名人 有名人の墓 大平正芳

都営多磨霊園 9区1種1側15番

著名人 有名人の墓 多磨霊園 大平正芳DSC_0641

1910年(明治43年)3月12日生まれ、1980年(昭和55年)6月12日永眠 享年70歳。

香川県香川県三豊郡和田村(現観音寺市)の農家にて8人兄弟の第6子(三男)として育つ。ただし、姉と兄の計二名は夭折。

1933年(昭和8年)東京商科大学(現一橋大学)に進学。1936年大蔵省に入省。池田隼人は上司にあたり、人間関係が作られる。1949年(昭和24年)池田蔵相の秘書官となる。二年後の1951年(昭和26年)池田隼人からの誘いにより大蔵省を辞し、衆議院議員に立候補し当選。以降11回連続当選。池田内閣では内閣官房長官を務めた後、外務大臣となり日韓国交正常化にあたる。日中関係の改善にも努めた。その後佐藤栄作内閣では政調会長、通商産業大臣を。田中角栄内閣では外務大臣、大蔵大臣を。三木武夫内閣でも大蔵大臣を。福田赳夫内閣にて幹事長を務める。

1978年、第68代内閣総理大臣に就任し、「三角大福」の四人のうち最後に総理となる。田中角栄の影響が強かったことから「角影内閣」と呼ばれた。イラン革命や第二次石油危機、ソ連のアフガニスタン侵攻の中、モスクワオリンピック出場を辞退するという新冷戦時代であった。西側陣営としてのカラーを強め、アメリカに対して「同盟国」という言葉を初めて使用する。1980年(昭和55年)5月16日、社会党からのポーズであるはずだった内閣不信任決議案に対して、自民党内の反対派の動きのため可決され、それを受けて衆議院を解散させるという「ハプニング解散」も起こる(三日後の5月19日に解散)。

その後の総選挙の投票日が6月22日となるが、同日はくしくもベネチアサミット当日でもある。そんな選挙戦の中、選挙公示日である5月30日に大平は過労と不整脈のため緊急入院となる。6月12日朝六時前に心筋梗塞による心不全にて死去。享年70歳。現役総理の在職中の死去は48年ぶりであった。その後の選挙戦では党内の主流、反主流の別なく弔い合戦の様相となり、いわゆる「香典票」という同情票を多く得られたことで大勝となる。

コメントの際の口癖から「あーうー宰相」と呼ばれ、鈍重な印象から「讃岐の鈍牛」と呼ばれもしたが、「千五政界屈指の知性派」と言われるほど頭の回転も速く論理的にも優れており、かつ早口でもありユーモアまで交えることができる人物であった。「あーうー」の印象が強く、流行語ともなり子供も真似をしたほどである。朴訥で謙虚な人柄から、「おとーちゃん」と呼ばれ愛されていた(田中角栄は「おやじ」と呼ばれ愛されていた)。

墓所は多磨霊園のほか、郷里の豊浜町墓地公園にもある。また、同じく郷里の観音寺の元選挙事務所は大平正芳記念館となっていたが、2015年(平城27年)3月に老朽化により閉館となった。

多磨霊園の墓石には、自筆の文字が生き生きと書かれている。

著名人 有名人の墓 多磨霊園 大平正芳DSC_0648+

また、墓域の左側には顕彰碑もある。

著名人 有名人の墓 多磨霊園 大平正芳DSC_0649+

大平正芳先生は明治四十三年 香川県に生れ 東京商科大学に学び 大蔵省に奉職した後 政界に志し 内閣官房長官 外務 通産 大蔵の各大臣 自由民主党幹事長等の要職を歴任 昭和五十三年内閣総理大臣に就任した その業績は 日中国交の回復 首脳外交の推進 活力ある経済政策の展開など 多岐にわたつた 先生はよく内外の信頼に応え 人びとの幸せのため渾身の力を奮つたが 昭和五十五年六月十二日 現職内閣総理大臣として その職に殉じた 正二位大勲位に叙され その偉業は時と共に光彩を放つ 享年七十歳

どっしりとした印象のある洋型の墓石は、氏の人柄を思い起こさせてくれるようにも思われる。

著名人 有名人の墓 多磨霊園 大平正芳DSC_0648

なお、この右手には将来を嘱望されながらも若干26歳で早世した長男の大平正樹氏の墓石も並んでいる。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・今年も桔梗が咲きました

2015年7月7日 火曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

石材店の弊社大塚の本社には中庭があります。この中庭には、展示されている見本墓石や、これから墓地に据え付けられる完成墓石などが並んでいます。

その片隅の鉢植えコーナーにて、今年も桔梗の花が綺麗に咲いています。

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0202 2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0201

桔梗の花ごしに、遠くに墓石や灯篭など石製品を入れてみました。

去年、咲き終わって枯れた桔梗。球根として冬を越して春に芽が出て育ってきたものです。冬の間は放置状態だったにもかかわらず、すごい生命力だなぁと感心します。

咲き終わって枯れた花、今まさに咲いている花、これから大きくなろうとしている大小の蕾。三世代が同居しています。

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0197 2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0198

正面から見ると、きれいな星型(☆)になっているのがわかりますね。家紋と並べてみます。

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0196  ききょう キキョウ 桔梗紋 家紋

墓石に家紋を入れるという方はとても多いのですが、家ごとに意匠の違う紋があるという点については海外の方からするととてもユニークで興味深いことと感じられるようです。

桔梗の紋はさまざまな有名人が使用しており、安倍晴明の清明桔梗(五芒星の星形☆)、太田道灌が使用した太田桔梗、明智光秀が使用した土岐桔梗(水色桔梗)、加藤清正、坂本竜馬など、実にたくさんの家で使用されています。人気の家紋だったようですね。

桔梗の花は、花の中の雌蕊(めしべ)と雄蕊(おしべ)の仕組みが段階を追って変化していきます。花粉を出す雄花期があり、その後他の個体から花粉を受け取る雌花期が来ます。時間差をつけて雄蕊と雌蕊にて互いに受粉し合うという仕組みです。咲いている花をよく見てみると、三段階になっているように見ることができます。

↓雄花期・・・雄蕊(おしべ)から花粉を出す

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0199

↓雄蕊(おしべ)役割を終える

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石DSC_0200

↓雌花期・・・雌蕊(めしべ)が開き、他の花からの花粉を受け入れる

2015年7月 桔梗の花 白 紫 墓石 雌花期 雌蕊開くDSC_0195

桔梗の花は、この時期から秋口となる九月いっぱいくらいまでの期間咲きます。しばらくの間咲いていますので、お盆やお彼岸時期に墓石のご相談にご来社されたお客様はご覧いただくことができると思います。

ご来社の際には桔梗のかわいらしい花も是非ごらんくださいませ。

※去年の桔梗の花の様子

 

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