年中無休 [営業時間:午前9時から午後5時]
facebook
menu
MENU

霊園とお墓のはなし

  • 永代供養墓特集
  • 新しいお墓の形 納骨堂
  • ペットのお墓
  • お墓ができるまで
  • 正しいお墓のクリーニング
  • 一般社団法人 全国優良石材店 全優石 石材店の一流ブランドです
  • 日本石材産業協会
  • 全国石製品協同組合

法事と法要」カテゴリーアーカイブ

・横浜市旭区下川井町の霊園 公園墓地 横浜メモリアル

2015年8月13日 木曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、神奈川県横浜市旭区の下川井町にあります霊園、公園墓地 横浜メモリアルに行ってきました。

場所はこちら https://goo.gl/maps/i9ZFY

国道16号保土ヶ谷バイパスからすぐ。向かい側には保土ヶ谷カントリークラブさまがあります。

20150812 横浜メモリアルDSC_2685

なだらかな丘陵地にあるため、全区画日当たりもよく風通しもよい明るい雰囲気の人気霊園です。

駐車場も墓域から近く、お参りしやすい配置になっており、台数もたくさん停めることができますので、お墓参りや法要の際にも安心です。

20150812 横浜メモリアルDSC_2691

↑駐車場の向こう側に見えている建物が管理事務所。それでは管理事務所の施設をご覧いただきましょう。

一階では、お墓参りの休憩をすることができます。

20150812 横浜メモリアル yokohama08

こちらは二階の様子です。

20150812 横浜メモリアルDSC_2682 20150812 横浜メモリアルDSC_2684

二階の窓から見える墓域の様子↓

20150812 横浜メモリアルDSC_2683

道路をはさんだ右側が保土ヶ谷カントリークラブさま。

周辺は環境の良い森林と耕作地のため、広々とした視界が守られています。

好環境ですね!

20150812 横浜メモリアルDSC_2686

↓ゴルフ場の森林が借景になっています。

20150812 横浜メモリアルDSC_2688

また、横浜メモリアルには永代供養墓もあり、こちらも人気となっています。

※2015年8月の情報になりますので、完売の際はご容赦ください。

※公園墓地 横浜メモリアルの墓地情報のページはこちら。

 

大人気の霊園ですので、ご案内可能の墓域もあとわずかです。ご興味ありましたら、お急ぎくださいませ。

弊社大塚まで資料請求、お問い合わせいただければご案内いたします。

お問い合わせ、お越しの際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

 

※神奈川の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

 

・盆踊りは仏教?

2015年8月12日 水曜日 晴れ時々雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

さてお盆(8月盆)です。

当社大塚は石材店ですので、お墓、墓石をご紹介しておりますが、お盆にお墓参りをするという方も多いかと思います。しかし今日の話題はお墓参りについてではありません。

お盆と言えば夏の風物詩として、盆踊りがあります。盆踊りというくらいですから、お盆時期に多く行われます。さてこの盆踊り、仏教の教えからスタートした習俗、お祭りと言われていますが実際はどうなのかちょっと調べてみました。

23b49ca1d949d5695590e1b82e6dc07b_m 盆踊り 盆踊り 櫓 6e9b7083004336bd4947c17b73020ea5_m-

三省堂の新明解国語辞典によると

「ぼん おどり【盆踊(り)】盂蘭(ウラ)盆の夜に、あたりの住民が集まってする踊り。」

とあり、同じく三省堂の大辞林によると

「ぼん おどり【盆踊(り)】盂蘭盆(うらぼん)の前後に老若男女が多数集まっておどる踊り。年に一度この世に戻ってくる精霊を迎え,また送るための風習に発したもの。現在では信仰性は失われ,多くは娯楽的な踊りとなっている。 [季] 秋。」

とあります。「盂蘭盆」という言葉が出てきました。では今度はこの盂蘭盆を調べてみます。

「うらぼん【〈盂蘭〉盆】〔←盂蘭盆会ェ。「盂蘭は地獄でさかさまに ぶらさげられる苦しみを説く意」の梵語の音訳という〕(陰暦)7月15日を中心に行われる仏教の行事。いろいろの食べ物を盆に供えて、死者の冥福を祈るもの。ぼん。精霊会(ショウリョウエ)」

ということでした。やはり仏教行事のようですね。ちなみに「お盆」はというと

「ぼん【盆】一盛り付けを済ませた食器などを客の前に運ぶ、平たくて浅い道具(もとは、丸いものが普通だった。)二「盂蘭盆」の略。三盂蘭盆の時期である、中元。〔昔は七月十五日を指し、今は祭事を離れて七月中旬を指すことが多い〕「―暮れの付け届け」」 三省堂 新明解国語辞典

ということですので、盂蘭盆=お盆と考えて間違いないようです。

さて盂蘭盆は「地獄でさかさまにぶらさげられる苦しみを説く意」の梵語の音訳とあります。梵語ですのでサンスクリット語、インド発祥の思想になります。また、地獄というのは仏教でいうところの六道の一つ。お釈迦さまはこの六道の輪廻からの脱却(悟り)をめざしたわけですので、仏教よりも古い思想かもしれませんがわかりません。地獄という考え方は仏教よりも古そうです。

おそらく日本には仏教と共に地獄という考え方と一緒に盂蘭盆の習慣が伝わってきたのではないでしょうか。

 

ところが、もう少し角度を変えて調べてみると別のお話も出てきます。

ウィキペディアによると「お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。 日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である。」

日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事、と書かれています。ウィキペディアは一般の方が編集し補完し合うサービスのため、正確性に欠く場合も多々あるのですが、確かに日本には仏教伝来以前より祖霊信仰がありました。間違いないかと思います。

またこのようにも書かれています。

「中華文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする慣習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられる。台湾香港華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われている。」

インドから仏教が伝わる途中に中華文化(中国)があります。中国ナイズされた情報になって日本に伝わったのかもしれませんし、情報の行き来は何度もあったはずですので複数の情報、後世になって中国から伝わったりなどの可能性も十分に考えられます。そして日本での状況はどうだったかというと

「盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春初秋満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊年神として神格を強調されて正月となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀ごろには、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。地方や、佛教の宗派により行事の形態は異なる。」

8世紀には確立、とあります。ということは当然それ以前からあったということ。日本への仏教の伝来は6世紀と言われています。

どうやらインド(ヒンドゥー教、仏教)、中国(道教)、日本(古来からの祖霊信仰)が混ざって日本で定着したものが「お盆」と思われます。

盆踊り 櫓 a0006_002387 盆踊り 櫓 5ab72620ad9ca1d47801c0222dcbaa58_s

さて「盆踊り」。前述のとおり「お盆」はそれだけでも様々な行事の集合体のような日、期間だったようですが、そこにどうやって今のような「踊り」の要素が加わり発展したのでしょうか。

「盆踊りの世界」というサイト(http://www.bonodori.net/index.htm)があり、こちらを拝見したところ盆踊りが開花する下地として

①「風流」と「バサラ」・・・鎌倉時代(中世)に生れた「風流」と「バサラ」、永長の大田楽。

②融通念仏・・・仏教の合唱音楽である「声明」の大家「良忍」(ろうにん)を始祖とする「融通念仏」。「うた」「集団でうたう」という集団的パフォーマンスが注目(うたごえ運動)。

③踊り念仏・・・「念仏信仰」という宗教面と、「集団での踊り」という芸能、パフォーマンス面とを結びつけたもので、鎌倉時代の宗教家「一遍」が広めたことは広く知られています。
「踊り」という点で注目。※ただし、実際は空也系の踊り念仏を一遍が取り入れたと考えられている。

という以上三つの要素と段階が考えられるようです。

そして念仏がメインの「踊り念仏」から、踊りというパフォーマンスがメインの「念仏踊り」なるものに進化する地域が出てきました。当時の近畿の都市部(初見は奈良)に見られたようです。お盆の時期にも必ず行われていたという記録があるようです。この辺りが室町時代あたり(中世後期)。(「踊り念仏は、鎌倉時代には一遍上人が全国に広めたが、一遍や同行の尼僧らは念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り狂い、法悦境へと庶民を巻き込んで大ブームを引き起こした」ウィキペディア

そして戦国時代には「風流」が大流行します。踊り念仏もより風流なものへと進化します。風流踊りが大ブレイク。

江戸時代初期頃には盆踊りが独自のものとして独立します。主役は町衆。江戸時代前期に盆踊りが最盛期を迎えるようです。(「江戸では7月に始まり連日踊り明かしながら10月にまで続いた。」ウィキペディア

阿波踊り b3367ce81caee25841b43502a90e8efc_s 阿波踊り a1370_000500

明治時代には「しばしば風紀を乱すとして警察の取締りの対象となった。」ようです(ウィキペディア)

 

そういえば、地元のお祭りの盆踊りも必ず警察の方がいたような記憶があります。

と、いうように盆踊りの歴史をたどってみましたが、確かに仏教と言えるでしょう。そして仏教だけでなくインド土着の思想や中国の道教、日本古来の祖霊信仰、そして日本で進化した風流や熱狂的なお祭りという側面があるということもわかりました(きっとそうですよね)

しかしながら、今となっては踊る人たちに細かい理屈は必要ないかもしれません。理屈はわからずとも、千年以上前から続く「お祭り」として感覚的に体感しているのが「盆踊り」なのかもしれませんね。

盆踊り 櫓 a0006_000235 盆踊り 櫓 a1c6451ec5de132631365056fce46516_s

 

 

・納骨堂をインターネットで探すなら

近年、さまざまなタイプのお墓のカタチが増えてきています。

たとえば永代供養墓や樹木葬などが挙げられますが、「納骨堂」という考え方もあります。

納骨堂というと、古くから土地のない場所でのお墓の機能のある施設として、また寺院の施設の一つとしてお寺の境内に作られたりなど様々なケースがありましたが、現在では都市型の納骨堂が注目されています。

当サイトにも納骨堂特集のページをご用意いたしました。

トップページの右に入口があります。※永代供養墓特集の入口と交互に表示されます。

納骨堂をインターネットで探すなら1

上記「こちら」の部分をクリックすると、特集ページに移動します。

納骨堂をインターネットで探すなら2

「なるべく費用を抑えたい」

「お墓を継いでくれる人がいない」

「交通の便の良い場所にお墓がほしい」

そんな方におすすめです。

納骨堂をインターネットで探すなら3

現在掲載している納骨堂はどちらも駅近のおすすめ物件です。

納骨堂の利点としては、駅徒歩数分という好立地のほか、天候や外気温を気にせずお墓参りや法要ができるという点や、お墓のお掃除などの必要がない、個別のお墓ではないのでお花を用意しなくても大丈夫、場所によっては仕事帰りに気軽に立ち寄って墓参できるなどがあります。近年の夏の酷暑を考えると、空調のととのった施設内での墓参というのは魅力的に思えます。

ご興味ありましたら納骨堂特集のページをご覧ください。

※納骨堂特集のページを見てみる

すぐに納骨堂の資料を請求したい方はこちら→納骨堂の資料を請求してみる

 

また、永代供養墓の特集ページもありますのでこちらも宜しければご覧ください。

※永代供養墓特集のページを見てみる

すぐに永代供養墓の資料を請求したい方はこちら→永代供養墓の資料を請求してみる

 

その他ご質問などありましたらお気軽に弊社までお問い合わせください。

 

・埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯(ほおずき)

2015年7月30日 木曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、埼玉県久喜市六万部にあります香最寺さまに立ち寄ってみましたところ、ほおずきがたくさんなっているのを見つけました。

香最寺さまは弊社大塚がいつもお世話になっているお寺さまなのですが、ほおずき(鬼灯)は隣接する久喜聖地公苑側から見ることができました。

2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずき 久喜聖地公苑入口DSC_2524 2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずき 久喜聖地公苑DSC_2523

久喜聖地公苑の入り口をまっすぐ進むと、シンボルの大きな木と大きな灯篭があります。そしてさらに進んだ先には

久喜聖地公苑の梅の花150302_112617 2015年6月 埼玉県久喜市六万部 香最寺 久喜聖地公苑 墓域から見える梅の実DSC_1061 

霊苑のすぐ隣に梅林があります。

この梅林の中、ほおずきが実っていました!

2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずきDSC_2519 2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずきDSC_2522

なにやら視界に赤いものが入ってくるので、よーく見てみますと

2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずきDSC_2521 2015年7月 埼玉県久喜市 香最寺の鬼灯 ほおずき ほうずきDSC_2520

立派なほおずきがたくさんあります。

ほおずきというと、盆の精霊棚に使われるのを思い出します。7月盆は終わってしまいましたが、これから8月盆の時期が来ます。

お盆のご先祖様の供養にほおずきを飾られる方は多いのではないでしょうか。

ご先祖様のご供養に、まだお墓のない方がいらっしゃいましたら香最寺の梅花霊苑はお勧めです。四季折々の表情がみられる墓苑です。

埼玉県久喜市六万部の霊園 香最寺梅花霊苑 墓域風景DSC_1114 2015年6月 埼玉県久喜市六万部 香最寺の紫陽花 本堂DSC_1088

※香最寺梅花霊苑の墓地情報ページもご覧ください。

※香最寺の永代供養墓情報はこちら。

※埼玉県の寺院墓地一覧のページここちらをごらんください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

 

・夏休み ―家族でお墓を考える、お墓参りや見学に行ってみる―

2015年7月20日 月曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、首都圏にて霊園と墓地をご案内、ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は祝日「海の日」、夏休みシーズンに入りました。梅雨も明けたなか、各地でお祭りや花火大会などの夏のイベントも目白押しですね。

8月の終わりまで続く夏休みは、お盆などもありますので、家族でお出かけ、おじいちゃんおばあちゃんに逢いに行く、いとこ等の親戚が集まるなど「家族」を考えることのできる時間も多くなるのではないでしょうか。

実家への帰省の際には久しぶりにお墓参りなどいかがでしょう。そしてその際には是非お子さんに「自分につながるご先祖様がいて、お墓で眠っている」ということを伝えてみてください。

お墓参り1 お墓参り2

ご先祖様を自分からさかのぼって人数を数えだすと、たいへんびっくりするお子さんはとても多いのではないでしょうか。祖父母が四人で、曽祖父母が八人、そのさらに親の世代(高祖父母)は十六人・・・この人たちが一人でもいなかったら自分は生まれてこなかった・・・こう考えるととても不思議で、そして運命的なものを感じるかもしれませんね。

お墓には遺骨は数えるくらいしか眠っていないかもしれませんし、中にはまだ遺骨のないお墓もあるでしょう。しかし墓石(石塔)にはご先祖様が入っていらっしゃいます(開眼供養・魂入れなどによって)。自分たちにつながるご先祖様はたしかにお墓にいらっしゃるというわけです。

「自分の入るお墓はまだ決めていない」という方、せっかくの家族の時間です。お墓についての家族のいろんな考えや気持ちを聞いてみる時間をつくってみてもよいのではないでしょうか。普段なかなかあらたまってお墓についての話はしにくかったりするかもしれません。しかし昨今は終活という言葉もあるように、先を見越してさまざまなエンディングの準備をするということは珍しくなく、むしろそうした考えの方がとても増えてきています。

お墓について、石材店の大塚から言えることは「決して急いだり慌てたりせず、じっくりと検討した方がいいと思います」ということです。

中にはご事情があって大急ぎで必要になるという方もいらっしゃいます。が、時間的な余裕があるのでしたら様々な墓地や霊園、そして石材店を比較検討してゆっくり時間をかけて納得のいくお墓探しをお勧めいたします。あとから「あー、やっぱりああしておけばよかった」「こんなところに霊園があったことを知らなかった」等追いかけて気が付いたとしても、修正することはとても大変なことになります。

家族との時間をゆっくりととれる夏休み。家族で話し合ってみて、お手すきの時やどこかにお出かけのついでにお子さんやお孫さんといっしょに散歩がてら墓地見学などいかがでしょうか?

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1240- 静岡県静岡市の霊園 メモリアルガーデン清水DSC_1721

以下、お墓探し関連の記事や本サイトのページをご紹介いたします。

 

●最近のお墓探しの方々が重要視している点は、やはり自宅からの距離と価格、どんな運営者かという点です。(※ご参考記事 ・埼玉県による「お墓に関するアンケート」の結果 )

●お墓探しをゼロからスタートしてみようという方、こちらの記事が参考になるかと思います→ ・これからお墓をつくる方へ① [墓地をもっていない人の場合]

●公営霊園は人気なのですが、首都圏では狭き門で毎年高い倍率となっています。(※ご参考記事 ・公営霊園の抽選にはずれても手段はある?落選してもできるお墓の準備 )

●公営霊園ではないとすると、寺院墓地か民間霊園ということになりますが、これは実際に調べて直接見学に行ってみないといろいろとわからないことも多いと思います。(※ご参考記事  ・霊園見学の注意点①「石材店の指名って?」  )

●「そもそもお墓って必要なの?」と疑問を感じていらっしゃる方がいましたら、このような記事がひょっとしたら参考になるかもしれません→「お墓を建てると幸せになる?シリーズ

●永代供養墓や納骨堂が気になる、という方は、永代供養墓特集納骨堂特集のそれぞれのページをご覧ください。

 

実際にお墓を探してみる

霊園墓地を探す  寺院墓地を探す

その他、疑問点やご不明点などありましたらお気軽にご質問、お問い合わせくださいませ。

 

・墓にまつわる言葉 小林一茶の俳句

2015年7月18日 土曜日 曇り時々雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は墓にまつわる言葉、小林一茶の俳句について。

 

小林一茶と言えば、庶民的で情景や豊かな俳句づくりをした俳人ですが、お墓について読んだ句もいろいろとあります。いくつか挙げてみます。

 

墓からも 花桶からも 雲雀哉

(はかからも はなおけからも ひばりかな)

お墓参りで自家の墓にたどり着くと、お墓からそして花桶からひばりが飛び立つ、という情景が目に浮かびますね。

 

梅さくや ごまめちらばふ 猫の墓

(うめさくや ごまめちらばう ねこのはか)

梅の花の頃に、猫の墓に「ごまめ(カタクチイワシの素干し)」を供えている、そんな情景が浮かびます。

 

涼風は あなた任せぞ 墓の松

(すずかぜは あなたまかせぞ はかのまつ)

暑い日の墓参でしょうか。松の木陰の涼風が気持ちよさそうな様子が目に浮かびます。

 

卯の花や 子らが蛙の 墓参

(うのはなや こらがかえるの はかまいり)

子供達がカエルのお墓をつくったのでしょうか。カエルのお墓に参っている子供達、かわいらしいですね。卯の花ですので初夏の頃でしょう。

 

末の子や 御墓参りの 箒持

(すえのこや おはかまいりの ほうきもち)

今でいうと乳幼児くらいの子を詠んだのでしょうか。おさな子ががんばってほうきを持って歩いている様子が目に浮かびます。とてもかわいらしい光景ですね。

 

あまり花 人の墓へも 参りけり

(あまりはな ひとのはかへも まいりけり)

墓参の際の仏花(供花)が余ったのでしょう。よそさまのお墓へもお参りがてらお花のおすそ分けをされたのでしょう。読み方によっては「あまり花」が人の墓に参ったとも読めますが、そう解釈したとしても小林一茶の風を感じることができますね

 

盆参り 人の墓にて 済しけり

(ぼんまいり ひとのはかにて すましけり)

江戸時代の方のなかにも、めんどくさがりな人はいたのでしょうか。自家の墓に行くことができないので、他の方のお墓で盆参りを済ましたということですが、こういったケースはたびたびあったのでしょうか。それともやはりものぐさな人のお話なのでしょうか。

 

古犬が 先に立也 はか参り

(ふるいぬが さきにたつなり はかまいり)

家族そろっての墓参にて、年老いた犬が少々はりきって先に歩いているのでしょうか。それとも「わたしについておいで」と家の物知りとして家族を先導しようとしているのでしょうか。穏やかな家族の墓参が目に浮かびますね。

 

孤や 手を引れつつ 墓灯ろ

(みなしごや てをひかれつつ はかとうろう)

みなしごが手を引かれてお墓参りをしている、そんな句なのですが、ついこの「みなしご」の境遇を想像してしまいます。亡き親の墓参りなのか、どんな心境なのか、手を引く人間がどんな人なのか。心にしみる一句です。

 

新米や あてにして来る 墓雀

(しんまいや あてにしてくる はかすずめ)

雀もやはり新米は美味しく感じるのでしょう。新米時期のお墓は、雀にとってはごちそうがたくさんある場所。小林一茶の江戸時代では、墓参にお米が一般的だったということがわかりますね。

 

いかがでしたでしょうか。実は小林一茶の俳句の中にはまだまだお墓にまつわる句はあるんですが、今回はその中からいくつかに絞って書き出してみました。

朴訥でありながら、どの俳句も心温かくなるような句ばかりです。「ほっこり」させてくれますね。お墓は家族、親族のつながりを思い浮かべさせてくれるだけでなく、亡き人を偲ぶ心温かになる場でもあります。小林一茶の句の中でもそんな心情があらわされているように思います。

また機会をみて、お墓にまつわる言葉について書いてみようと思います。

 

・静岡県静岡市清水区 霊泉寺の六角堂

2015年7月16日 木曜日 雨

こんにちは。首都圏を中心に霊園と墓地をご紹介、ご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓づくりのお手伝い」をしております石材店の「株式会社大塚」のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日記事にしました静岡県清水区のメモリアルガーデン清水。経営主体の霊泉寺さまは隣接する場所にあります。

興津川を新幹線が渡る場所からすぐです。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1729

見ていると、東海道新幹線が過ぎていきました。

釣りをしている人たちもちらほら。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1728

霊泉寺の入口に霊泉寺についての案内板があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1727

臨済宗 妙心寺派

旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で、自らの墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老子を招いて開山とし、現在裏山に公の墓所がある。

宝物は、静岡県重要文化財として指定されている。

※以上、案内板より引用。

興津川から300メートルほど山裾を進んだ場所に本堂があります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1695

本堂に向かって左手にあるのが六角堂です。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1696

額には「六角堂霊廟」とあります。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1694

こちらは現在、納骨堂として機能しています。

2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1698 2015年7月 静岡県静岡市清水区興津井上町 霊泉寺 六角堂DSC_1697

諸事情による方々のご遺骨をこちらに安置し、供養がなされています。永代供養墓ではありませんが、ご安心いただくことができると思います。

このほか、霊泉寺には先述のとおり穴山梅雪公のお墓参りもできます。

お近くにお寄りの際は、メモリアルガーデン清水、霊泉寺ともにご見学されてはいかがでしょうか。

※メモリアルガーデン清水の墓地情報のページはこちら。

※その他の墓地を探してみる。

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・埼玉県伊奈町 法光寺の十三仏板石塔婆(町指定文化財)

2015年7月5日 日曜日 曇り

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日に引き続き、埼玉県伊奈町にあります法光寺さまのおはなしです。

法光寺さまの境内、墓地の入り口に伊奈町指定文化財の「十三仏板石塔婆」があります。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1632

本堂から木立を隔てた位置に、いくつもの石塔や、お地蔵様が並ぶ一番右にあります。ちなみに板石塔婆のある後ろの木々の反対側、本堂側に沙羅の木(沙羅双樹)があります。沙羅の木についての記事は過去に書きましたのでよかったら見てみてください。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1623

後ろ側はこんな感じです↓

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 裏側 梵字 種字 DSC_1634

立派な板石塔婆(板碑、青石塔婆)に十三仏が種字(梵字)で刻まれています。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 DSC_1630

残念ながら上部部分が無くなってしまっていますが、八~九割の十三仏が確認できます。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆梵字 種字 DSC_1636

↓この仏様の種字についつい目がいってしまいました。ハートが二つ並んでいるように見えますね。

埼玉県伊奈町指定文化財 法光寺の十三仏板石塔婆 梵字 種字 丸 ハートが二つDSC_1637

全く梵字を読むことができません(汗)勉強してみたいな、と思いました。

永正3年(1506)11月23日に建てられたそうで、500年以上前のものという大変貴重な有形文化財です。

十三仏とは、私たちの身近にいる13の如来、菩薩、天の仏さまです。古くインドでは人は死後7日後とに法要がなされており、それぞれに対応した仏さまがいました。これが中国に伝わり三の仏さまが加わって十王信仰となります。そして日本に伝わりさらに三の仏さまが加わり十三仏の信仰となったわけです。日本では室町時代くらいから広まりはじめました。十三仏はそれぞれ十三の王に対応しており、有名な閻魔大王は、実は地蔵菩薩ということになります。

十三仏

●インド発祥の供養の日
不動明王  = 秦広王(しんこうおう)      = 初七日(七日目、六日後)
釈迦如来  = 初江王(しょこうおう)      = 二七日(十四日目、十三日後)
文殊菩薩  = 宋帝王(そうていおう)      = 三七日(二十一日目、二十日後)
普賢菩薩  = 五官王(ごかんおう)       = 四七日(二十八日目、二十七日後)
地蔵菩薩  = 閻魔王(えんまおう)       = 五七日(三十五日目、三十四日後)
弥勒菩薩  = 変成王(へんじょうおう)     = 六七日(四十二日目、四十一日後)
薬師如来  = 泰山王(たいざんおう)      = 七七日(四十九日目、四十八日後)

●中国で加わった供養の日
観世音菩薩 = 平等王(びょうどうおう)     = 百箇日(百日目、九十九日後)
勢至菩薩  = 都市王(としおう)        = 一周忌(二年目、一年後)
阿弥陀如来 = 五道転輪王(ごどうてんりんおう) = 三回忌(三年目、二年後)

●日本で加わった供養の日
阿閦如来  = 蓮華王(れんげおう)       = 七回忌(七年目、六年後)
大日如来  = 祇園王(ぎおんおう)       = 十三回忌(十三年目、十二年後)
虚空蔵菩薩 = 法界王(ほうかいおう)      = 三十三回忌(三十三年目、三十二年後)

貴重な文化財のある法光寺。文化財の近くでお墓をお探しの方がいらっしゃいましたら、お気軽に弊社までお問い合わせください。

※法光寺墓情報のページはこちら。
※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをごらんください。

・七夕の短冊かざり 七夕とお盆

2015年7月1日 水曜日 雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置く石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、JR浦和駅の改札を出たところ、東西自由通路になっているコンコースに七夕飾りが目に入ってきました。

2015063020040001.jpg

たくさんの色とりどりの短冊があり、ここだけ華やいだ雰囲気になってます。

2015063019570001.jpg 2015063019580000.jpg

今日から7月。もうすぐ7月7日の七夕です。

2015063020030000.jpg 2015063020030001.jpg

短冊に書き込めるようになっていましたので、さっそくmy短冊を作りました。

2015063020000000.jpg

世界が平和でありますように・・・と書いてみました。

2015063020040000.jpg

さて、七夕。

いまでこそ「七夕」と当て字のように書いて「たなばた」と書きますが、もともとは「棚幡」もしくは「棚機」と書いて「たなばた」と読みました。(幡は旗です)(織姫は機織り(はたおり)をするところから「織姫」と言われています)

盆飾り 精霊棚 1408086979630

もうすぐお盆になりますが、お盆になると仏壇に精霊棚(しょうろうだな)という飾り付けを行い供養をするわけですが、その精霊棚を設置するのが7月7日の夕方でした。この精霊棚に使われている笹と飾りが発展したものが、現在私たちが目にする「七夕飾り」になります。

7月7日の夕方に飾るから「七夕」と書いて「たなばた」と読むわけですね。※ただし、今は旧暦から新暦にかわり、8月にお盆を行う場合はお盆と七夕の関連性が薄れてしまってきていますが、地域によってはお盆と七夕の関連性の残っているところも少なくありません。

織姫と彦星の伝説と、7月7日の節句(五節句の一つ)は中国発祥で、織姫にちなんで手芸上達のお祭り(乞巧祭会・きっこうさいえ)が元々のスタートだったようです。日本だけでなく台湾やベトナム、韓国など中国を中心とした東アジアに広がりましたが、日本では古事記や万葉集に「たなばた」の文字を確認することができます。奈良時代には、7月7日を節句として定められ、彦星(牽牛)と織姫が会える事を祈る祭祀のほか、手芸上達のお祭り(乞巧祭会・きっこうさいえ)、相撲や詩の会なども行われ、天皇以下宮中や貴族、庶民の家庭でも広く行われるようになったようです。

また平家物語には貴族の間で願い事を葉に書く風習が書かれており、さらに江戸時代には手習い事などの上達を願う行事として広く庶民にも定着したようです。現代では手習いごとだけでなく、願い事にしばりはなくなったようですね。みなさん自由な願い事を書かれてました。受験合格や病気平癒、欲しいものなどなど。

 

お墓づくりの会社としてお盆とのつながりを思いながら、七夕の短冊に願いを書いてみました。願いがかなうことを祈ります。それから、7月7日は晴れますように。

 

・埼玉県鳩山町の霊園 サンヒルズメモリアルガーデン

2015年6月20日 土曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京都、神奈川県、千葉県にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、埼玉県鳩山町にあります「サンヒルズ・メモリアルガーデン」に行ってきました。

場所はこちら↓ https://goo.gl/maps/0s1Cn

霊園の入り口は広く作られていて、大き目の車でも入りやすくなっています。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1250- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1251-

駐車場も広くとってありますので、法要の際も安心です。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1252-

霊園の立地環境としては鳩山町のおよそ中央部に位置しており、丘陵地帯のなだらかな高台の上にある風通しの良い霊園です。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1236- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1239-

墓域からは、鳩山中学校の体育館(↑写真左)が良く見えます。地元の方にとっては馴染み深く感じることのできる景色ですね。

秩父連山もよく見えます(↓写真)。雲取山や正丸峠、伊豆ケ岳、武甲山などが見えています。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1240- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1241-

芝生の中には休憩スペースもあります。

墓域は全区画平坦地のうえ、雨の日もお参りしやすい水はけのよいインターロッキングの参道になっています。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1237- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1238-

墓域の一角には、供養塔を造成する予定地もありました。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1243- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1244-

すでに多くのお墓が立っていますが、まだまだ空いている区画もたくさんありますので、自由に区画を選ぶことができます。

また、様々なデザインや文字彫刻のなされた建墓済みのお墓を見ることができるということは、これから自分のお墓を検討するという方にとっては大いに参考にできるというメリットもあります。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1247- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1245- 

芝生の区画や、隣との間にゆとりのある区画など、さまざまな区画から選ぶことができます。

こちらが総合管理棟になります。

埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1248- 埼玉県比企郡鳩山町の霊園 サンヒルズ・メモリアルガーデンDSC_1249-

明るい雰囲気の総合管理棟では、法事なども行うことができます。お花なども置いていますので安心してお墓参りすることができます。

以上、とても明るい雰囲気の霊園、サンヒルズ・メモリアルガーデンです。

より詳しくお知りになりたい方は、お気軽に弊社までお問い合わせ、資料請求ください。

※サンヒルズ・メモリアルガーデンの区画情報のページはこちら。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

  page top