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著名人有名人の墓」カテゴリーアーカイブ

・著名人 有名人の墓 北原白秋(東京都 多磨霊園)

著名人 有名人の墓 北原白秋

都営多磨霊園 10区1種2列6

1885年(明治18年)1月25日生まれ、1942年(昭和17年)11月2日永眠 享年57歳。

著名人有名人の墓 多磨霊園 北原白秋DSC_0663-

北原白秋、本名北原隆吉(きたはらりゅうきち)。日本の詩人、歌人、童謡作家、さらには新民謡(松島音頭や、ちゃっきり節なども)や、多くの学校の校歌や応援歌にも作品がある等、多彩な活動をした。熊本県南関の産。福岡の柳川にて、商家の北原家に生まれる。

14歳の時、成績不振で県立伝習館中学を落第となり、このころから詩や歌に熱中するようになる。16歳の時に同人雑誌に作品を出すようになり、白秋の号を使いだす。父に無断で中学を退学し、東京にのぼって早稲田大学英文科予科に入学。同郷の若山牧水と交わる。新進気鋭の詩家として活躍し始める。

明治39年(1906年)、21歳の時に詩歌結社の新詩社に参加し、与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木と出会う。森鴎外、斉藤茂吉、高村光太郎など、知己を増やし人脈を広げる。

明治42年(1909年)、初めての詩集「邪宗門」発表。1912年、実家の家業が傾いたため父母弟を東京に呼び寄せる。

隣家の人妻松下俊子と恋仲となり、妻の夫より姦通罪で告訴されてしまい、身内のとりなしによって告訴は取り下げられるも、スキャンダルによって名声がかげる。1913年俊子と結婚。しかし翌年には離婚する。(俊子を含め三度結婚、二度離婚を経験する)

その後も精力的に制作活動を続け、優れた童謡作品を多く世に送り出す。

1942年(昭和17年)、11月2日逝去。享年57。

著名人有名人の墓 多磨霊園 北原白秋DSC_0665

神式の丸いドーム状に葺石(ふきいし)をドーム状の饅頭型にはりつけたお墓です。隣には「北原家墓」がたっています。

このドーム型の表面に貼りつけた小さな化粧石を葺石といい、この形状のお墓は神仏分離(廃仏毀釈)のなされた明治から戦前のお墓に時々みられる神式のお墓になります。葺石は古くは古墳の表面を化粧していたものになります。

また、神式のお墓ということで考えてみますと、丸い土饅頭型のお墓も神式として存在しておりますので、どちらにしましても神式のカタチと姿ということになります。神式、神道のお墓は、現代では三段墓の一番上が四角錐になっているトキン型が主流ですので、今となってはなかなか見られない形式です。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・著名人 有名人の墓 徳川無声(東京都 多磨霊園)

著名人 有名人の墓 徳川無声

都営多磨霊園 2区1種7列48

1894年4月13日生まれ、1971年8月1日永眠

著名人有名人の墓 多磨霊園 徳川無声DSC_0587-

徳川無声(とくがわむせい)、本名福原駿雄(ふくはら としお)。活動写真の弁士や漫談家、作家、俳優のほか、ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活躍した。

当初、「福原霊川」と名乗って弁士の活動をしていたが、1915年(大正4年)9月、赤坂葵館の主任弁士として迎えられた際に、支配人が勝手に「葵」から「徳川」という芸名をつけてしまった。本人は大変驚き恐縮したが、そのまま後世まで定着することとなった。(のちに週刊朝日の対談連載「問答無用」にて、第1回に、尾張徳川家当主の徳川義親と、最終回には水戸徳川家当主の徳川圀順と対談している。)

東京を代表する弁士として人気を博したが、技術の進歩によって音声の出る映画が普及したことによって弁士の仕事は無くなっていく。そのため、漫談や演劇の世界に進んでいくこととなり、映画にも俳優として出演している。

日本のラジオ創成期にも活躍し、1939年からはNHKラジオで吉川英治の「宮本武蔵」の朗読をスタートさせ人気を博す。あまりに好評だったため、何度も再放送になったりレコードとして販売されたりしている。(一番最近では2006年に新潮社より宮本武蔵朗読全集CD全20巻が販売されている)

戦時中は各戦地にて慰問活動にもまわり、シンガポールで見た「風と共に去りぬ」「ファンタジア」(どちらも日本未公開)に衝撃を受け、「日本は技術だけでなく精神的にも負けているのではないか」と日本の敗色を痛感する。

戦後はテレビ放送にも初期から参加。1955年(昭和30年)、「年ごとに円熟を示している各方面における活躍」により、菊池寛賞を受賞。1965年(昭和40年)には愛知県犬山市に開園した博物館明治村の初代村長となる。1971年(昭和46年)8月1日、脳軟化症に肺炎を併発して死去。77歳没。「おい、いい夫婦だったなあ」が最期の言葉。

著名人有名人の墓 多磨霊園 徳川無声DSC_0588--

墓石には「夢」の字と、左下の「夢」字を象りデザインされたト音記号風の印、マーク(?)があしらわれている。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・2015都心霊園バスツアー(全石協)青山霊園

2015年5月30日 土曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

一昨日の5/27(水)、全国石製品協同組合による「都心霊園バスツアー」に参加してきました。ツアーでは谷中霊園と青山霊園をめぐってきたのですが、昨日の記事「2015都心霊園バスツアー(全石協)谷中霊園」に続きまして、本日は「青山霊園」でのツアーの様子をご報告いたします。

 

それでは青山霊園。

2015年5月27日 12時10分より、都営青山霊園にて見学スタート。

青山霊園は谷中霊園同様に桜並木が有名です。桜を見に訪れる人はとても多いのですが、せっかくですので機会があればお花見のついでにでも著名人のお墓を訪ねてみるのもとても興味深いと思います。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0850-

青山霊園は美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設された日本初の公営霊園です。墓域内は武蔵野の野辺の面影の残るなだらかな起伏のある高台の土地になっています。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0836-

青山霊園には「立体埋葬施設」が五基あります。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0849- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0848- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0834- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0831-

霊園内にはちらほらと墓地整理のための↓このような立札のある墓所も見られました。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0838-

↓こちらは大久保利通墓所。神式の墓ですが、中国由来の「亀趺墓(きふぼ)」で亀が竿石の下にいいます。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0881- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0885- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0883-

↓こちらは志賀直哉墓所。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0863-のコピー 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0864-

青山霊園はほぼ中央部分に外人墓地の区画があります。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0891- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0893- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0894- 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0895-

↓こちらの白いお墓は、日本近代スポーツの父と言われているフレデリック・ウィリアム・ストレンジの墓。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0890-

キリスト教系の学校の墓もりました(写真は青山学院)

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 青山霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0902-

とても広大な青山霊園のほんの一角をまわりました。

昨日の谷中霊園もそうですが、まだまだ見て回りたいお墓はたくさんあります。(谷中霊園も青山霊園も、著名人のお墓はそれぞれ三ケタ台の数があるそうです)とても一日ではまわりきれません。

また時間をつくってゆっくりとお墓まいりをしたいと思いました。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・2015都心霊園バスツアー(全石協)谷中霊園

2015年5月29日 金曜日 曇りのち雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県だけでなく東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

一昨日の5/27(水)、全国石製品協同組合による「都心霊園バスツアー」に参加してきました。ツアーでは谷中霊園と青山霊園をめぐってきました。せっかくですので、谷中霊園と青山霊園を二回に分けてお送りいたします。

 

まずは谷中霊園。

2015年5月27日 JR上野駅に集合。バスにて移動ののち10時30分より、都営谷中霊園にて見学スタート。

谷中霊園中央参道の入口には、都営霊園化以前の天王寺門前町の名残りである「茶屋」が店を連ねています。手桶や供花などが並んでいました。そして墓域からはスカイツリーも見えます。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0701-茶屋 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0705-スカイツリー

谷中霊園には「立体埋葬施設」が三基あります。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0710-立体埋蔵施設 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0775-立体埋蔵施設

↓こちらは徳川慶喜墓所。この日ご案内、ご説明していただいた石匠あずま家社長の長江曜子さん(聖徳大学教授博士)

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0726-徳川慶喜墓所 長江曜子先生 石匠あずま家社長 聖徳大学教授 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0732-徳川慶喜墓所 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0733-徳川慶喜墓所

↓渋沢栄一墓所。渋沢栄一は旧幕臣のため、徳川慶喜墓所の近くに墓所を構えたそうです。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0742-渋沢栄一墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0744-渋沢栄一墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0758-渋沢栄一墓

横山大観墓所と鳩山一郎墓所は隣り合っています。左が横山大観。右が鳩山一郎。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0797-横山大観墓 鳩山一郎墓 隣同士 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0800-横山大観墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0789-鳩山一郎墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0803-鳩山一郎墓

長谷川一夫墓所。五重塔跡の公園の向かいにある。吉相墓。

2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0805-長谷川一夫墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0806-長谷川一夫墓 2015年5月27日 都心霊園バスツアー 谷中霊園 全国石製品協同組合 全石協DSC_0809-長谷川一夫墓 

谷中霊園での約一時間の見学は終了です。この後、バスに戻って青山霊園に向かいました(「2015都心霊園バスツアー(全石協)青山霊園」につづく)

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・著名人 有名人の墓 上杉謙信公のお墓(林泉寺)

2015年5月8日 金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県に本社を置き首都圏にて霊園と墓地をご案内しています石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日、新潟県出身の先輩より「上杉謙信公のお墓」の写メをもらいました。

場所は、新潟県上越市にあります林泉寺。戦国武将の「越後の虎」(もしくは越後の龍)上杉謙信公が少年期を過ごした寺院で、仏門への生涯を方向付けた寺院でもあります。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01863

とても美しくコケが広がっていますね~。「苔のむすまで」という歌詞がありますが、たしかにとても長い時間守られてきた空間、聖域だということが実感できます。

謙信公のお墓だと記されている石碑と角柱があります。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01862

石塔は五輪塔です。とても大きく、重厚感のある厳かさを感じさせてくれる石塔ですね。美しい花が供えられているのがとても印象的です。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01864

↓向かって左側面に文字が確認できます。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01865

拡大

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01866

天正六年とあります。謙信公の没年ですね(1578年)。今年が2015年なので、437年前の石塔ということになります。

上杉謙信公のお墓(林泉寺)新潟県上越市 五輪塔 供養塔DSC01861

これからも後世にわたって守り継がれていってほしいお墓、史跡、聖域です。

~ ~ ~ ~ ~

2015年7月11日 追記

「ここは墓ではなく、墓跡ではないですか?」というご指摘のメールをいただきましたので、林泉寺さまに直接聞いてみました。

詳しくはこちらの記事→「・上杉謙信公のお墓について、林泉寺さんに聞いてみました」をご覧くださいませ。

 

 

・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりました

2014年8月12日 火曜日 雨

こんばんは。埼玉県上尾市に本社を置きます石材店の大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

昨日、埼玉県北足立郡伊奈町にあります願成寺さまに行ってきました。本堂を建て替えられたということで、墓地販売用のチラシに使う写真撮影をさせていただきました。

今日はその外観の様子を見ていただこうと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0118 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0119

入口から進んでいきますと、白い綺麗な壁の向こう側に真新しい本堂が見えてきます。

以前はこんな感じでした↓

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji1 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺本堂 ganjyouji3

山門の正面に本堂があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0113山門 八幡山 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0114山門 八幡山

白壁がとても美しい願成寺。長屋門もとても印象的です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0115山門 白壁 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0117長屋門

真新しい本堂は、まだ白木が若々しく光り輝いて見えるようです。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0106 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0111

墓域からもとてもきれいに見ることができます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0098 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0092

本堂の屋根瓦には浄土宗の宗紋があります。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0102 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0105

この宗紋は、月影杏葉(つきかげぎょうよう)という紋で、法然上人の生家である漆間家の紋に由来しており、宗歌「月かげ」より月を配した紋にて定められたものです。宗歌とは『月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ』という法然上人作の歌で、勅撰和歌集の「続千載和歌集」におさめられている歌になります。私も好きな歌です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0112 客殿

ちなみに、↑本堂に隣接している客殿の屋根瓦には

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0120 客殿屋根瓦

三つ葉葵の紋が。そして「願成寺」の文字のある瓦も使われています。菊の紋、三つ葉葵の紋は宗派として使用の許可を取っておりますので、本堂の屋根瓦にも使用することができるのですが、宗紋を使うことにしたそうです。

墓域に戻りますと、ここ願成寺には貴重な文化財としてのお墓があるのです。伊奈熊蔵忠勝のお墓です。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0086伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0085伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0089伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0090伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔 埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0084伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

立派な宝篋印塔を中央に三つ配されており、その他小ぶりな宝篋印塔や五輪塔などの石塔が並んでいます。忠勝は元和5年(1619年)に没しましたので、約400年前に建てられたお墓ということになります。石塔の保存性の高さに驚かされます。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0081伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

伊奈家は、伊奈町の名前の元にもなった江戸時代の有力代官です。埼玉県の伊奈町だけでなく、茨城県の伊奈や、長野県の伊那も伊奈氏にゆかりのある土地です。伊奈熊蔵忠勝は、有名な関東郡代である伊奈忠次の孫にあたり、父忠政の急逝により若干8歳で伊奈家の当主になったものの、翌年わずか9歳でこの世を去ってしまいました。このため、伊奈家はお家断絶となってしまいます。(その後、断絶を惜しんだ幕府によって、分家が伊奈家を再興されました。)

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0088 伊奈熊蔵忠勝の墓 宝篋印塔

 

伊奈町の指定史跡になってます。熊蔵というのは世襲の名前。伊奈熊蔵忠勝は徳川家光に近侍していたようです。

伊奈家については次の記事でも触れています。

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その②

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その①

・伊奈町立郷土資料館に行ってきました その②

 

 

さて願成寺の新築本堂。

いよいよ内部に進んでみたいと思います。

埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりましたDSC_0079

本堂の内部もとても美しく仕上げられています。また、ここにしかない宝物もあります。内部のご紹介は次回につづきます→・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さまの新しくなりました本堂内部

 

↓こちらもご参考まで。

大塚サイト内での、願成寺さま墓所御紹介ページ

 

お墓、墓石については、下記問い合わせまでお気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が石匠位認定店(全石協)として丁寧にご対応させていただきます。

お問い合わせ、ご来店の際はこちら → お墓無料相談窓口

お問い合わせ番号 0120-36-1217(代表)

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

2014年5月9日金曜日 晴れ

先日の長宗我部元親公のお墓参りに続きまして、元親の長子で戸次川の合戦で戦死した長宗我部信親のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました。

雪蹊寺は高知市長浜の、長宗我部元親公のお墓の比較的近くにあります。場所はこちら↓ 

雪蹊寺は四国八十八か所の33番目の札所です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0468- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0469

県道に面した入口には「雪蹊寺(33番札所)」の文字とともに「長宗我部信親の墓」の文字のある看板↓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0470 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0472

↑四国のへんろ道を世界文化遺産に・・・世界遺産を目指しております。「人生御遍路」です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0474-

延暦年間(782~806)に弘法大師(空海)が開基。ということなので、1200年以上前に建てられたお寺です。もとは高福寺と言いましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天像(国重文)が安置されたことから慶運寺と改称された経緯があります。その後戦国時代に長宗我部元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称されました。儒教の南学の中心地とも言われています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0473 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0475 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0476 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0478

歴史あるお寺だけあり、古い石塔がたくさん並んでいます。

実はここ雪蹊寺はすぐ隣に「秦神社(はたじんじゃ)」があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0483

秦神社の御祭神は長宗我部元親。長宗我部家は秦の始皇帝の流れを組むという渡来の豪族、秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を名乗っていました。そのためここ秦神社には秦家累代の霊と、家臣忠死者も配神として祀られています。神社の拝殿の幕には、かたばみの紋が。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0479 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0481 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0484-

長宗我部家の家紋は「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。そのため、雪蹊寺、秦神社には↓の「丸に七つ酢漿草紋」の戦幟がいくつか配置されてました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0509

明治の世になり、廃仏毀釈の中、雪蹊寺が一時期廃寺となった際、雪蹊寺に収められていた衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として秦神社が祀られました。なので、秦神社の建立は明治4年です。神社には木造のほか、国指定重要文化財である絹本著色長宗我部元親画像もありますが、現在は高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に委託保管されています。

秦神社への参拝後、すぐ隣の小高い山にある神社もあわせて参拝。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0486 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0485

長宗我部家臣が奇跡の神鏡を拾い命拾いしたために作られた西宮神社(えびす様)。石段を登った先に社殿があります。実はこの小高い山は、長浜城跡なのです。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0482

西宮神社はその小高い城跡の一部に祭られています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0489

位置的には、秦神社のすぐ横、雪蹊寺の裏手にあたります。なので、雪蹊寺の見事な墓石がちらほら目に入ってきたりもします。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0490

それでは隣の雪蹊寺に戻ってみます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0491 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0494 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0506- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0508-

臨済宗のお寺様ということで、凛とした造りのお寺に感じられます。33番札所なので、お遍路さんもいらっしゃってます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0492 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0493-

四国八十八か所のお寺は、弘法大師さまが開いた霊場なのですが、ここ雪蹊寺のように必ずしも真言宗のお寺ではないというところも多々あります。臨済宗の雪蹊寺にも↑のように大師像が置かれていたりします。また、柄杓が篤志の方から奉納されていたりと、なかなか興味深いものを感じました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0495 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0505

境内を歩いていると、「長宗我部信親公墓所」の案内を発見しました。↑実は右の写真、一番奥の木立の中に宝篋印塔の信親公墓所が見えているのですがわかりますでしょうか?

墓所の手前に案内板が。ここには信親公のお墓だけではなく、戸次川戦没者供養塔、香宗我部系の出で雪蹊寺中興の祖であり、関ケ原戦後の浦戸一揆の際に仲に立って開場に貢献したという月峰和尚のお墓もあります。

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お寺の裏側に木漏れ日の中にお墓はありました。

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↑中央に信親公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、左に戸次川戦没者供養の五輪塔が、右には月峰和尚の丸い無縫塔(むほうとう)があります。

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お父上の元親公のお墓と比べて一回り小さいサイズではありますが、とても立派で保存状態のよい宝篋印塔です。

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長宗我部家が関ヶ原で西軍につかず、大坂の陣で滅亡せず、江戸から明治まで残る大名になっていたならばもっと大きなお墓になっていたことでしょう。

↓戸次川戦戦没者供養塔です。こちらもとても美しいカタチの五輪塔です。

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長宗我部信親は、長宗我部元親の長男として、将来を嘱望されていた武将です。

父元親は四国平定したものの、その後秀吉に屈服さぜるを得ませんでした。その後の九州征伐にて他の四国勢とともに島津氏と戦うこととなります。窮地に立っていた大友氏を助けるためという名目です。秀吉勢として父元親とともに出征した信親。秀吉の軍監仙石久秀の指揮のもと、戸次川の合戦にて秀吉勢は総崩れとなってしまったのですが、その際に多くの将兵が命を落としました。阿波の有力大名の十河存保(そごうまさやす)や、そして長宗我部信親と多くの供の者(700余名)も命を落としたのです。まだ22歳でした。

信親は身長184センチ、色白の長身だったようで、元親によって跡継ぎとして育てられてきたのですが、家臣の信望もとても厚かったようです。信親の「信」の一文字は織田信長からもらったのですが、その信長からも養子にほしいと言わせた程だったとか。そんな元親の後継者が他の若い多くの将兵とともに戦没したため、この後の長宗我部家は一気に衰えていってしまったとのことです。

戸次川の合戦についての記録は、雪蹊寺からも近い長宗我部元親初陣像の足元にもありますので、よしろければそちらもご覧ください。

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2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

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高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0465

突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0447

長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0446 長宗我部元親公のお墓DSC_0448 長宗我部元親公のお墓DSC_0449

この奥の石段の上にあるようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0463

新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0451 長宗我部元親公のお墓DSC_0453

石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0452

関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0454 長宗我部元親公のお墓DSC_0455

石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

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おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0458 長宗我部元親公のお墓DSC_0459

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0460

1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0462

元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

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2014年5月2日金曜日 晴れ

一昨日のことになりますが、高知県香美市にあります「朴ノ木公園」に行ってきました。場所は香美市にあるアンパンマンミュージアム(香美市立やなせたかし記念館)から車で約5分くらい。

グーグルマップではこちらが現地になります。https://goo.gl/maps/gt8Th

やなせたかし先生の実家跡がお墓の公園になると昨年10月このブログでも記事にも書いたのですが、今年2014年4月20日に公開となったとニュースで見てから、尋ねてみたい場所として自分の中で一位になっていた公園です。

ミュージアムのサイトでは「GWはアンパンマンミュージアムからのシャトルバスをご利用ください。(公園専用の駐車場はありません。)」とありましたが、一昨日4/30は平日ということもあり公園近くに駐車することができました。香美市観光協会さんのスタッフブログに、詳しいアクセスについて書かれてました。訪れる人にとってはとてもありがたいブログです!明日からのゴールデンウィーク後半や祝祭日にご訪問される方はアクセスや駐車場に気を付けてください。

さて朴ノ木公園の近くにある高照寺さま。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0120+のコピー

岩室山高照寺平成の大修理で志納された方々のお名前が並んでます。中央の「南無大師遍照金剛」の文字のすぐ右側に「柳瀬嵩」の文字が!柳瀬家の菩提寺だそうです。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園地図DSC_0121+

ホオちゃんが案内してくれてます。朴の木は「ほうのき」と読みます。そしてここは朴の木地区。柳瀬家の菩提寺の高照寺さまと氏神様の厳島神社の間に朴の木公園はあります。

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案内板がありましたので、まよわずに公園にたどりつくことができるのですが、傾斜のあるこの地区に立つそれぞれの家、建物はどちらもとてもきれいな石垣と練塀と複層の屋根を持つ蔵とを見ることができ、穏やかで豊かな土地なんだなぁと感じられます。前夜に降った大雨のせいか、幾筋もながれている水流も水の勢いが強めで、せせらぎの音がずっと聞こえてきています。

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↑せせらぎを耳に段々畑を進むと白く丸いものが見えてきました。どうやら公園の北側、裏側が見えているようです。

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↑朴の木公園にたどり着きました。入口には北を向いたお地蔵様と、そして役所の職員の方がいらっしゃいました。簡易ですがトイレもあります。

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やなせたかし先生のお父様のご実家跡地ということですが、巨大な公園ではなく、きれいな植栽とおなじみのキャラクターたちがいる親しみやすい公園です。遠くから見えていた白く丸いものは、そうです!みんなのアンパンマンでした。

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この公園のメインはやはり、やなせたかし先生のお墓です。さっそくお参りしましょう。

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柳瀬家はここにあった 300年以上続いた旧家だが 今は影もかたちもない 一族の墓石は 後方の 山の中腹にある ぼくはここでねむりたい 故郷の土はあたたかい 木蓮科のマグノリア 一本の朴の木にぼくはなりたい 季節にははにかみがちに 白い花を咲かせて 風の中でゆれていたい

やなせたかし

(以上、石碑より引用)

 

石塔の裏側には

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やなせ先生は奥様とお二人で眠られているんですね。

それにしても、とても大きな墓石です。洋型墓のカタチをとっています。そして両脇には大きなアンパンマンとバイキンマン。

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アンパンマンとバイキンマンは斜め方向を向いています。職員の方に聞いてみたところ、どうやらやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムの方向を向いているようです。

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アンパンマンとバイキンマンには、丸い踏み石が続いているのですが、よく見てみると・・・

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踏み石の中にアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんがいました!(画像だと少しわかりにくいですね(^_^;))

墓石と向き合うように、ふたつの石碑が配置されていました。

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ホオノキ やなせたかし

ヒノキは高級な木 ホオノキは低級な木 朴歯の下駄とか マナイタになる でもホオノキのマナイタは 自分が傷ついても 決して包丁の刃をいためない トントントン 音がうれしそう ホオノキはモクレン科 ひかえめな木 ぼくは下駄の歯と マナイタでいい 低級な木のホオノキでいい 生まれたところも香美郡在所村 朴ノ木(ホオノキ)だしね

(以上、石碑より引用)

やなせ先生の詩集があったらぜひ手に入れたいと思います。

もう一方の石碑には

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 アンパンマンのマーチ 歌詞20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0131 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0130 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0132 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0162

アンパンマンのマーチの歌詞が刻まれています。歌詞がかかれているので、石碑の裏側にはJASRACの番号も刻まれています。

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0149 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0150 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0151 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0152 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0153 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0154 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0155 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0156

公園内には、おなじみのショクパンマンやカレーパンマン、メロンパンナちゃんとジャムおじさんもいました。(ばたこさんと、めいけんチーズは?)

遠くからもわかるように、公園の名前の書かれた横断幕があります。目印になりますね!

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しかし、なんとよい土地なのでしょう。なんだか離れるのが名残惜しい気持ちになる、風光明媚な場所です。新緑の季節で日差しもあたたかく、とても気持ちよくお墓参りできました。

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それにしても段々畑の石垣が幾重にも重なって見えて、とっても綺麗です。さてそろそろ公園を後にしてみます。来た時とは別の道で離れてみます。

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こちらの道から来るときは、↑複層の屋根の付いたこちらの蔵と、↑遠くからも見える横断幕が目印ですね!

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↑すぐの場所にある氏神様の厳島神社。むこうに公園の横断幕が見えています。ちょっと寄り道してこちらもお参りしてきました。

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繊細かつダイナミックな石彫刻の灯篭です。すばらしい。

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規模は決して大きいとは言えない厳島神社でしたが、歴史を感じられる境内と拝殿、そして周りを巡る小川のせせらぎがここちよく癒してくれる、とても暖かな気持ちになる神社でした。きっとやなせ先生も毎日この前をあるいたのでしょうね。

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とても気に入ってしまった朴の木地区と、やなせたかし朴の木公園。またいつか尋ねてみたいものです。

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おまけ やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム

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高知県の子供たちにはおなじみのアンパンマンミュージアム。全国からもたくさんの方が訪れています。ゴールデンウィーク中ではありますが平日と言うこともあってすいていました。↑右下の写真、鯉のぼりとともに高知のみで見られる「ふらふ」という大きな旗、大漁旗に似た旗がたなびいています。鯉のぼりと一緒に子供の成長を願う旗です。フラッグが転訛して「ふらふ」と呼ばれているとか。

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↑元気ひゃくばいになりそうです。思わず「あーんぱーんち!」と口に出てしまいそう。

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↑この四角い建物がやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムです。

バイキンロボットがこちらをみてます!

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このロボット、実はかなり大きいのです。

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バイキンロボットの横の道には、キャラクターたちが並んで展示されています。

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石造りのアンパンマンたちもたくさんいます。

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黒い蝶々も飛ぶ、おだやかな日です。

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あんぱんちは、車でくる人をお出迎えしてくれているようですね!

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近隣の案内図です。

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なぜかダムのタービンも展示されています。

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水力発電の水車なんですね。でもここにあることでたくさんの方の目に触れることができているのは、とっても貴重なことだと思いました。

 

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・お墓参りで何を思うか、語りかけるか

12月28日土曜日

年の瀬も押し迫ってきました。いよいよもう四つ寝るとお正月です。

年末年始は、春と秋のお彼岸、お盆に次いでお墓参りをする方が多いのではないでしょうか。

今日は、お墓参りの時に墓前で何を思うか、語りかけるかという点をちょっと考えてみます。

 

●感謝する

墓前で手を合わせたとき、ご先祖様や亡き方、お墓に眠っている方に感謝の気持ちを心に思い浮かべるという方は多いと思います。いつも見守っていてくれてありがとう。産み育ててくれてありがとう。生前にしてもらったことについての感謝や、そもそも子孫として存在させてくれたことについての感謝などです。

 

●日頃の報告をする

おかげさまで無事に就職決まったよ。孫が小学校にあがったよ。家を建て直すことになったよ。などなど、自然に心の中で報告している、ということって多いのではないでしょうか。

 

●目標など、自分の決意を伝える

目標のあの大学に入学できるよう頑張るね。お父さんが残してくれた店を頑張って守っていくね。今度のコンテストで入賞できるように努力するね。人生に目標がある人や、強い決意を持つ時などは墓前で心の中でこういった決意表明のような会話をされる方もいるでしょう。

 

●亡き方との思いで語り

お墓で眠る人との思い出を心の中で語られる人もいるかもしれません。あの旅行は楽しかったね。結婚式でお父さんあんなこと言ってたね。よくお母さんに叱ってもらったよね。風邪をひいたときに看病してくれたよね。などなど、思いで語りをしはじめると、ついついいろんな気持ちが次々に浮かんでくるかもしれません。

 

●願い事は要注意?

若い方やお子さんにいるかもしれないのが、手を合わせて願い事を唱えることではないでしょうか。手を合わせるシーンとしては、神社やお寺に参拝した時と、仏壇の前と、いただきますごちそうさまと、そして墓前かと思います。かっちりと明文化されたものがないのがお墓参りの仕方です。手を合わせて目をつぶり心の中で何かを唱えるという部分から、神社やお寺での参拝とごっちゃになってしまっているかもしれません。宝くじが当たりますように。彼氏ができますように。など、ご先祖様やお墓で眠る人の立場になって考えてみると、きっと気持ち的に応援はしてくれると思いますが、実際に運を左右させるようなパワーを発揮してくれるのかというと、疑問が出てしまいます。「ほとけ」さまではあるけれど、阿弥陀如来や大日如来、観音様やお地蔵様ではありません。いつかは氏神様になってくれるご先祖様も、godではなく、祖霊というものではないでしょうか。ご先祖様に「ご利益」を求めるのはいかがなものでしょう。「かわいい孫の願いでも、おじいちゃんは運命を変えられないよ(^_^;)」と思われてるかも?

 

お墓参りの際に心に何を思うかについては、何が正しいということはないと思います。が、もし勘違いをしている方がいるのならば、家庭や親族の教育という意味でも確認してみて、お墓参りで何を語りかけるかについて話をしておくというのは悪いことではないでしょう。もし機会があったらお墓参りへの道すがらにでもそんな話をしてみてもいいかもしれません。

余談ですが、昨年の初詣のとき、すれちがった若いカップルさんが「このおみくじ、捨てる場所どこにあるんだろうね~」と言っていてびっくりしてしまいました。おそらくシーンとしてはおみくじを結ぶ場所を探していたのだと思います。「捨てる」という言葉にしている感覚にびっくりです。まだ若い人たちだったので、大人になるうちにいろんなことを覚えて考えて感じていくと思いますので、そんな言葉は使わなくなるかもしれません。が、他人事ながら少し心配になってしまいました。

と、ここまで書いてみましたが、私自身は宗教家でも民俗学の学者でもないので、お墓参りや神社仏閣にお参りするときに、間違ったことをしてしまってはいないか、もっともっと勉強しなきゃな、と感じております。

もし間違えてしまっていたら、ご先祖様、神様仏様、ご容赦ください(^_^;)

 

 

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