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行楽・お出かけ」カテゴリーアーカイブ

・お芋ほりに行きました。

2014年11月29日 土曜日 曇りのち雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日は、大塚本社のNさんの美味しそうな記事と写真になります。以下本文↓

 

お芋ほりに行きました。

どの位ぶりでしょう・・・小学生のとき以来でしょうか?

 

広い畑のひと畝が我が家の分です。他の畝はほぼお芋ほりが終わっています。

お芋ほりに行きました。いもほり①

最初スコップでざっくりと土を返し、小さなスコップや手で掘っていきます。

お芋ほりに行きました。いもほり②

土の中から赤紫色のお芋が顔を出します。

途中で折れないように慎重に・・・

お芋ほりに行きました。いもほり③ お芋ほりに行きました。いもほり④

大きなお芋が芋づる式にザクザク・・・

お芋ほりに行きました。いもほり⑤ お芋ほりに行きました。いもほり⑥

お芋ほりに行きました。いもほり⑦ 

大収穫です!段ボール2箱分になりました。

お芋ほりに行きました。いもほり⑧

お芋は天日に干すと甘~くなるそうです。

お芋ほりに行きました。いもほり⑨

さつまいもは健康に良いお野菜です。

食物繊維が豊富なので、便秘によく効きます。出来るだけ皮ごと食べた方が効果的と言われます。

 

カロチンやビタミンCも多く含まれていますので、美容効果も期待できます。

ビタミンCは、メラニン色素の沈着を抑えて、シミやそばかすを防いでくれます。美肌効果ですね。また、免疫力を高めて風邪の予防にもよいと言われています。

 

調理法は、焼くも煮るも、揚げるもよし。お菓子なども美味しいです。

甘くてホクホク~たのしみです♪

 

↑以上、本文でした。

お聞きしたところ、芋ほりの場所は伊奈町役場の近くとのこと。伊奈町は弊社大塚のある上尾からもすぐ近くですし、弊社が日頃お世話になっておりますお寺さまが多くある地域でもあります。伊奈町での墓所をお探しの方はお気軽にお問い合わせください。

 

・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました②

2014年11月27日 木曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日の記事「・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました①」の続きになります。

伊奈氏館跡地図 伊奈氏館跡地図2

グーグル地図の空撮と通常の地図です。前回①の記事では、館跡の表門跡(右下あたり)から中央あたりに進んだところの二の丸まで書きました。

二の丸の続きからです。

伊奈氏館跡DSC_0117_ 伊奈氏館跡DSC_0118_

開けている二の丸のあたりは、土塁の跡も残っています。高さ1メートル前後の土塁が四方を囲うようにのこっており、中央部に高さ2mほどの土塁が門のように残っているのがわかりました。築城時はもっと高い土塁だったことでしょう。

伊奈氏館跡DSC_0119_ 伊奈氏館跡DSC_0120_

二の丸の外周の堀を見ることができました。高さ3mくらいでしょうか。

伊奈氏館跡DSC_0122_ 伊奈氏館跡DSC_0123_

再び二の丸にもどり、1mほどの外周土塁の上に立ってみます。写真でわかりにくいかもしれませんが、土塁なのです。南側を見てみると、上尾鷹の台高校の方向が見えました。

伊奈氏館跡DSC_0124_ 伊奈氏館跡DSC_0125_

さて、裏門跡に向かって進んでみましょう。この道沿いの土塁もなかなか保存状態がよく貴重な土塁をよく観察することができます。

伊奈氏館跡DSC_0126_ 伊奈氏館跡DSC_0128_

この道は、いわゆる城内の道なので、まっすぐにはつくられていません。連続してクランクの状態が続いています。

伊奈氏館跡DSC_0129_ 伊奈氏館跡DSC_0130_ 伊奈氏館跡DSC_0213_

ふる里歩道の案内板が誘導してくれます。

伊奈氏館跡DSC_0131_

途中にみられる畑のなかの柿の木、まさに今が旬!という実ごろを迎えていました。

伊奈氏館跡DSC_0132_

そうこう進むうちに道が下り坂になってきました。木がたくさん茂っていてわかりにくいかもしれませんが、ここにも大きな空堀がありました。外周の堀のうちの一つかと思われます。

伊奈氏館跡DSC_0134_

地面が完全に大きく下り坂になっていますが、道路は新幹線の高架の向こう側に橋になって続いています。実は、この新幹線の高架の向こう側にはニューシャトルの車両基地があるので、いつかそれも記事にしたいと考え中です。

伊奈氏館跡DSC_0133_ 伊奈氏館跡DSC_0135_

橋の下にたどり着きました。新幹線の高架の足元です。

伊奈氏館跡DSC_0136_ 伊奈氏館跡DSC_0137_

こちらが裏門跡になります。館跡を縦断できたかっこうになります。

伊奈氏館跡DSC_0138_

案内板があります。

伊奈氏館跡DSC_0139_ 伊奈氏館跡DSC_0140_

埼玉県指定史跡 伊奈氏館跡

天正18(1590)年、関東郡代伊奈忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に、陣屋を構え、その後の関東地方の幕府直轄地を支配する拠点としました。寛永6(1629)年に、三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となっていました。

屋敷跡の規模は、東西350m、南北750mです。陣屋が構えられた頃の様子は明らかではありませんが、当時をしのばせる土塁や堀が各所に良く保存されているほか、見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道などが、現存しているとともに、「表門」・「裏門」・「蔵屋敷」・「陣屋」などの呼称も伝承として残っています。

「裏門跡」伝承地と「障子堀(しょうじぼり)」

ここは、伊奈氏屋敷跡の「裏門跡」と伝えられていることろです。近年の発掘調査によって、堀を折り曲げて、「虎口(こぐち)」(出入口)をつくっていたことがわかりました。公園内の縁石の部分が堀の位置を示しています。発掘された堀は、幅が約5m、深さは2mあり、堀の中には障子の桟のような仕切り(畝)が作られているので「障子堀」と呼ばれています。畝の高さは約1.5mありました。「障子堀」は、武者が堀を越えたり、堀の中を移動したりすることが難しいように工夫されたもので、戦国時代の築城技術が良くあらわれています。

史跡指定地のほとんどが民有地です。見学に当たっては、地元の方々に迷惑をかけないようにお願いします。

以上、文章を引用しました。

伊奈氏館跡DSC_0141_

↑こちらの空撮写真でいうと、一番上の新幹線に近いあたりがここ裏門跡の場所になります。下側(表門側)から上側(裏門側)に縦断して通り抜けてきました。

伊奈氏館跡DSC_0142_

ここに障子堀が発見されました。

伊奈氏館跡DSC_0144_

障子堀と言えば、「堀障子」という名前で岩槻城の遺構からも発見されています。(岩槻城の堀障子についての記事はこちら「・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました①」)

伊奈氏館跡DSC_0145_

↑この空地の下には障子堀が埋め戻されて保存されてます。戦国時代と現代が交差しているように見えます。

ぐるりとスタートラインに戻ってみます。

伊奈氏館跡DSC_0220_

最初は気が付かなかったのですが、よく見てみると二の丸の高い方の土塁が丸い山のように頭をだしているのがわかりました。

場所はここ↓。一度訪問してみないと決してわかるものではありませんね(^_^;)

伊奈氏館跡DSC_0097_

他の城跡関係の記事はこちら

 

さて弊社はお墓をご案内している石材店です。

ここ伊奈氏館跡の場所は、弊社も以前ご案内をしておりました霊園の「みどりの森」や「ほたるの里」からも遠くありません。また、お寺では願成寺さまが一番近くにあり、そのほか相頓寺さま、楞厳寺さまや法光寺さまもすぐ近くになります。

お墓をお探しの場合や、墓地のリフォームや修理などのご相談がありましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県伊奈町 伊奈氏館跡に行ってきました①

2014年11月25日 火曜日

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて墓地と霊園をご案内し墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

大塚本社は埼玉県上尾市にあるのですが、その上尾市のお隣にあります伊奈町の「伊奈氏館跡」に行ってきました。

伊奈氏については「・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①」や「・埼玉県北足立郡伊奈町 願成寺さま本堂が新しくなりました」の記事等でたびたび取り上げていますが、今回は伊奈町にある館跡です。

場所は、伊奈町南部にあり、ニューシャトルの丸山駅の横、上尾鷹の台高校(旧上尾沼南高校)や県立がんセンターからも遠くありません。東北新幹線と上越新幹線がY字に分かれる辺りになります。弊社も以前ご案内をしておりました霊園の「みどりの森」や「ほたるの里」からも遠くありません。また、お寺では願成寺さまが一番近くにあり、そのほか相頓寺さま、楞厳寺さまや法光寺さまもすぐ近くになります。

伊奈氏館跡地図 伊奈氏館跡地図2

グーグル地図の空撮と通常の地図です。位置はどちらも同じ位置です。中央辺りの森が囲んでいるエリアが旧館跡です。今回は↑地図の右下側から左上に通過してみました。館跡ではありますが、史跡としての施設などはありません。通過して昔を偲ぶばかりです。

「館跡」というと、あまりコワモテな印象を抱かないかもしれませんが、要するに江戸時代に関東郡代の伊奈氏のために作られた軍事拠点の城です。関東一円を納めるための警察署のようなものです。一国一城令がありますので「城」という名前がついていないだけで、機能は全く同じと思ってよいと思います。

伊奈氏館跡DSC_0097_

南側の上尾鷹の台高校のあたりから見た様子です。左側に新幹線の高架が見えます。

原市沼川が流れています。丁度草刈りがなされており、とてものどかな田園風景です。

伊奈氏館跡DSC_0099_ 伊奈氏館跡DSC_0098_ 伊奈氏館跡DSC_0219_

入口?に到着しました。

伊奈氏館跡DSC_0102_

こちらのカーブミラーの右側、暗くてわかりにくいのですが、実は堀が少しだけ残っています。

伊奈氏館跡DSC_0103_ 伊奈氏館跡DSC_0218_

反対側に案内板がありました。

伊奈氏館跡DSC_0104_ 伊奈氏館跡DSC_0105_ 伊奈氏館跡DSC_0106_ 

埼玉県指定史跡 伊奈氏館跡

ここは、代官頭伊奈忠次が築いた屋敷跡です。伊奈氏は信州伊那郡(今の長野県)の出身で、忠次の祖父忠基の代に松平広忠(徳川家康の父)に仕え、三河国小島(今の愛知県西尾市)の城主となりました。

忠次は善政をしき、特に豊臣秀吉の小田原攻めには、主君徳川家康の命で兵糧の輸送、荒廃した伊豆国(今の静岡県)の農村復旧などにあたり功績を挙げました。

天正18(1590)年、徳川家康が関東へ入国した時、忠次はこれまでの功績によって、三河国小島の旧領と武蔵国小室・鴻巣領1万3千石(1万石とも言われている)を与えられました。代官頭となった忠次は、中世以来城郭として使われてきたこの地(小室丸ノ内)に陣屋を構えて、関八州(今の関東地方)の天領(幕府直轄地)を治め、検地の実施、新田開発、中山道その他の宿駅の整備、備前堤・川島大囲堤の築堤などに大いに活躍しました。さらに江戸幕府成立後は、関東及び東海道筋の支配にも参画するようになりました。忠次および長男忠政の死後は、次男忠治が元和4(1618)年に築いた赤山陣屋(今の川口市)に関東支配の拠点が移り、この地は忠政の次男忠隆系の旗本伊奈氏の屋敷となりました。

屋敷跡の規模は、東西350m、南北750mです。陣屋が構えられた頃の様子は明らかではありませんが、当時をしのばせる土塁や堀が各所に良く保存されているほか、見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道などが、現存しているとともに、「表門」・「裏門」・「蔵屋敷」・「陣屋」などの呼称も伝承として残っています。

以上、案内板より引用しました。なお、赤山陣屋については、こちらの記事「・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①」もご覧ください。

伊奈氏館跡DSC_0107_

↑現在地によると、ここは表門のあったあたりになるようです。それでは左上方向(西北方向)にある裏門跡に向かって進んでみましょう。

伊奈氏館跡DSC_0110_ 伊奈氏館跡DSC_0111_

赤茶色の縁石が堀の跡ということですが、この縁石がそうなのかもしれません。そしてこの道は「ふる里歩道」だそうです。裏門跡の方向に進んでいきます。

少し進みますと、ひらけた場所にでました。案内板と石碑があります。

伊奈氏館跡DSC_0112_ 伊奈氏館跡DSC_0214_

案内板はだいぶ古くなっているようで、左側に地図が書かれているのですが、陽の光にやられており新幹線くらいしか判別できなくなっております。

伊奈氏館跡DSC_0114_ 伊奈氏館跡DSC_0113_

埼玉県指定史跡 伊奈氏館跡

天正18(1590)年、関東郡代伊奈忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に、陣屋を構え、その後の関東地方の幕府直轄地を支配する拠点としました。寛永6(1629)年に、三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となっていました。

屋敷跡の規模は、東西350m、南北750mです。陣屋が構えられた頃の様子は明らかではありませんが、当時をしのばせる土塁や堀が各所に良く保存されているほか、見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道などが、現存しているとともに、「表門」・「裏門」・「蔵屋敷」・「陣屋」などの呼称も伝承として残っています。

平成4年10月
埼玉県教育委員会
伊奈町教育委員会

以上、案内板より引用しました。

伊奈氏館跡DSC_0216_

↑こちらは案内板の横に立つ石碑です。「伊奈氏屋敷址碑」と刻まれています。

ここは二の丸にあたるようです。どうりで少し高くなっているわけです。

伊奈氏館跡DSC_0115_ 伊奈氏館跡DSC_0116_

二の丸の様子については後半の②の記事に続きます。

他の城跡関係の記事はこちら

 

・「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました

2014年11月24日 月曜日 曇り

こんにちは。霊園と墓地をご紹介し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

今日の記事は、大塚本社のSHさんの記事です。以下本文↓

 

先日、趣味の一環で「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像1

日本酒造組合の理事さんを講師に招き、醸造や蒸留の違い、常圧・減圧蒸留があることや、原材料、麹の種類などを説明して頂きました。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像2

テーブルには、透明のプラスティックのコップが沢山並んでいます。

途中、蒸留方法の違う焼酎の飲み比べ、利き酒なども交えて説明を受けました。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像3

最後に焼酎に合う料理をランチボックス風に出して頂きました。

クッキングスタジオとコラボ?してるみたいです。

レシピも頂きました。

ほんの一部ですが、「すき焼きスパニッシュオムレツ」と「鶏肉のゆずこしょうチーズカナッペ」です。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像4

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像5

帰りにお土産として小瓶の焼酎を頂きました。

お土産セットの中にこんな冊子もありまして、女性にもっと焼酎を飲んでもらいたいという印象をうけました。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像6

会場が有楽町でしたので、帰りはブラブラと東京駅に向かって歩きました。

途中、丸の内仲通りのイルミネーションが綺麗でした。

スマートホンで撮影するのは難しいですね。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像7 丸の内仲通りイルミネーション

最後に丸ビルで「アナと雪の女王」をイメージしたツリーも見ながらほろ酔い気分で帰宅しました。

「本格焼酎&泡盛 セミナー」に参加してきました画像8 丸の内 アナと雪の女王 イルミネーション

セミナーには仕事の後に参加しましたが、十分に満喫できました。

また参加してみようと思います。

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・2014秋の信州善光寺

2014年11月23日 日曜日 晴れ

こんばんは。東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日の記事(・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉・長野県上田市 北向観音の紅葉)と同日の写真をご紹介します。

 

長野県長野市にあります善光寺です。日本最古の仏像といわれている「一光三尊阿弥陀如来」さまがご本尊です。それでは善光寺を見てみましょう。

仁王門です。現在のものは大正七年(1918年)に再建されたものなのですが、善光寺の山号「定額山」と書かれた額が確認できます。

2014秋の信州善光寺DSCF6118_ 2014秋の信州善光寺DSCF6119_

仁王様の迫力に圧倒されます。あ、足の親指が浮いています!

2014秋の信州善光寺DSCF6120_ 2014秋の信州善光寺DSCF6121_ 2014秋の信州善光寺DSCF6122_

山門(三門)が見えてきました。寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りとなっています。重要文化財の指定をうけています。

2014秋の信州善光寺DSCF6123_ 2014秋の信州善光寺DSCF6124_

歴史を感じさせる佇まいと重厚感でいっぱいです。

2014秋の信州善光寺DSCF6125_ 2014秋の信州善光寺DSCF6116_ 2014秋の信州善光寺DSCF6117_

本堂が見えてきました。

2014秋の信州善光寺DSCF6126_ 2014秋の信州善光寺DSCF6127_

本堂は創建以来、十数度と焼失してきており、その都度民衆によって再建なされてきたという歴史があります。創建は642年に信濃国司となった本田善光が都からここ信州にご本尊をお連れしたのがきっかけとなり、644年に勅願にて伽藍が造営されました。1400年近い昔の話です。

本堂から山門を見た様子です。

2014秋の信州善光寺DSCF6115_

2014秋の信州善光寺DSCF6114_

わが国最古の仏様をお祀りしている古今無双の霊場で、本堂・山門・経蔵等すべて国の宝です。

迷子郵便供養塔がありました。配達不能になった「迷子郵便」を供養する碑とのこと。

2014秋の信州善光寺DSCF6128_ 2014秋の信州善光寺DSCF6129_

善光寺も紅葉に包まれていました(10月25日撮影)

2014秋の信州善光寺DSCF6131_

多くの方の信奉をあつめている善光寺。時はうつり、建物や構造物が変わっていっても「供養の心」や「手を合わせる」という人間の営みは変わらないようです。

弊社の取り扱っている「お墓」も同じように、時がうつってもお墓のカタチが変わっても、供養の心と先祖と故人を思って手を合わせる営みは変化せずに後世に生き続ける文化であってほしいと感じました。

 

 

 

・2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉

2014年11月20日 木曜日 曇りのち雨

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉県のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事という「お墓作りのお手伝い」をしております石材店の株式会社大塚のブログ「霊園とお墓のはなし」です。

先日の11月14日の金曜日は埼玉県民の日でした。ちょうどこの日に埼玉県さいたま市にあります、さいたま市営霊園思い出の里に行ってきたのですが、紅葉が綺麗に見られました。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5925

霊園内のケヤキ並木が紅葉真っ盛りでした。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5895 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5915

このケヤキ並木の両サイドに墓域が広がっています。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5912 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5916

墓域から見る紅葉のケヤキ並木は、とても贅沢な眺め、見え方をしています。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5893 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5923 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5924

↓こちらは墓域の外周を回る道路なのですが、立体屋内墓地の大きな建物が見えてきました。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5896 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5897 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5899 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5901

緑色の屋根が印象的なデザインとなっています、立体屋内墓地です。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5902 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5903

屋内墓地の中から見える紅葉は、まるで切り取った絵画のような、映画のワンシーンのような見え方で、こちらもまた贅沢に感じられます。(春にはこの窓から桜の花を見ることができます)

↓こちらは左が合葬式墓地と、右が立体屋外墓地。どちらも紅葉に包まれています。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5904 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5905

公園墓地というだけあり、園内は広々としていて、ゆっくりと紅葉を楽しめました。お墓参りの際にもゆっくりとお散歩できる公営霊園です。ところどころにあるベンチや東屋で休憩もできます。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5907 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5908 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5909

銀杏の木も黄色く美しく衣が変化しています。

2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5913 2014年11月14日 さいたま市営霊園思い出の里 の紅葉DSCN5892

紅葉真っ盛りの公営霊園、さいたま市営 思い出の里でした。

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さいたま市営霊園の過去記事

・20141027 さいたま市営霊園 思い出の里 紅葉

・20140402 さいたま市見沼区 さいたま市営霊園の桜が満開でした

・20140320 雨のお彼岸、お墓参り

・さいたま市営霊園 思い出の里 紅葉

~ ~ ~ ~ ~

さいたま市営霊園 思い出の里は公営霊園ですので、墓所を希望の場合は抽選に応募する必要があります。平成26年度は募集はありませんでしたが、弊社大塚もここさいたま市営霊園での多数の建墓実績がありますので、当選された場合は是非お見積りのご相談をお願いします。

また、当選しなかった場合でも、近隣の霊園をご案内することができます。さいたま市内にはまだまだ他の霊園(民間霊園)もございます。その際にも「他にはどういった墓地があるの?」とご質問いただければお客様にぴったりの霊園を探して資料をお送りさせていただいています。

また、埼玉県に限らず、東京、神奈川、千葉等の公営霊園についても施工実績を積んできておりますので、こちらもお気軽にお問い合わせくださいませ。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。
※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・20141113 埼玉県さいたま市 大宮花の丘農林公苑の寒桜

2014年11月19日 水曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のみならず東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内し、墓石の製造加工と墓所への据付施工工事をしております石材店の株式会社大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。

一週間ほどまえの11/13の様子になりますが、さいたま市にあります「大宮花の丘農林公苑」にて寒桜が咲いていました。

20141113 埼玉県さいたま市 大宮花の丘の寒桜DSCF6139

冬の近づく寒空のなか、元気に咲いていました。

20141113 埼玉県さいたま市 大宮花の丘の寒桜DSCF6140

淡いピンクと額の黄緑色がとてもきれいでした。

弊社は石材店なのですが、墓石に桜を彫刻される方は少なくありません。ただおそらく通常は桜と言えば春の花ですので、なかなか秋の寒桜を、とご指定される方はさすがにみかけません。

しかし桜は日本人に愛されている花です。桜に限らず、お花の彫刻を墓石に施すという例はとても多く、お墓にちょっとしたアクセントとワンポイントになるようで、多くの方が希望されています。その中でも桜を好まれる方はやはり多いです。墓石に彫刻する桜の花のデザインも多種多様、さまざまなバリエーションがありますので、気になりましたらお気軽にご相談、お問い合わせください。

さて、ここ大宮花の丘農林公苑は、弊社がご案内しております霊園の「公園墓地彩の恵」からほど近く、車だと5~10分くらいで到着できます。彩の恵の墓地情報についてお知りになりたい場合はこちらのページもご覧ください→彩の恵の墓地情報ページ

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・長野県上田市 北向観音の紅葉

2014年11月17日 月曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて墓石の製造加工と墓地への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のほか東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内しております。

先日の記事「・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉」と「・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉」と同日の様子になりますが、長野県上田市にあります北向観音の写真をいただきましたので記事にしてみます。

北向観音は上田市内の別所温泉にあります。門前に連なる店の奥に北向観音は見えてきます。

長野県上田市 北向観音DSCF6097

天長2年(825年)、慈覚大師円仁によって開創された霊場ですが、木曾義仲によって源平の争いのさなか、八角三重塔と石造多宝塔を残して焼失してしまいます。現在の本堂は源頼朝の命によって建長4年(1252年)に再興されたものになります。

長野県上田市 北向観音DSCF6098 長野県上田市 北向観音DSCF6108

再興されたとはいえ、700年以上の歴史を刻んだ本堂には圧倒されます。

長野県上田市 北向観音DSCF6100

年代物の額も並んでいます。

長野県上田市 北向観音DSCF6109

この本堂に安置せる本尊は千手観音菩薩である。南面の善光寺阿弥陀如来に相対しているところから「善光寺」だけでは「片参り」になると傳えられており又古くから「厄除観音」として知られている。

観音の平鐘の緒長くこきたれしながき春日も暮れはてにけり 白秋

(以上、引用しました)

長野県上田市 北向観音DSCF6112

本堂を横から見てみましたが、奥行きもあって重厚さがまして感じられます。

↓こちら左から愛染堂、札所観音堂、額堂。

長野県上田市 北向観音DSCF6110

鐘楼と梵鐘があります。

長野県上田市 北向観音DSCF6099 鐘楼と梵鐘 長野県上田市 北向観音DSCF6107 鐘楼と梵鐘

高台にあるので、さぞ遠くまで美しい鐘の音が聞こえる事でしょう。さきほどの北原白秋の歌にもありましたね。

長野県上田市 北向観音DSCF6101 愛染桂 かつら 長野県上田市 北向観音DSCF6106 鐘楼と梵鐘

鐘楼のすぐ横に大きな木があります。有名な「愛染かつら」です。

長野県上田市 北向観音 DSCF6103 愛染桂 かつら

小説「愛染かつら」は映画にもドラマにもなりましたが、川口松太郎氏が境内の愛染堂と桂の木に因んで作られました。

長野県上田市 北向観音 DSCF6102 愛染桂 かつら

温泉薬師瑠璃殿です。一説には行基菩薩の創建、慈覚大師の再建とも言われているようです。湯川の氾濫によって流されてしまい(1741年)ましたが、その後講中の積立金によって1809年に再興されました。

長野県上田市 北向観音DSCF6104 温泉薬師瑠璃殿 長野県上田市 北向観音DSCF6105 温泉薬師瑠璃殿

東北方向の上田市街、そしてその奥に菅平周辺や四阿山など紅葉に包まれた様子がうっすら見えます。

長野県上田市 北向観音DSCF6111

秋の味覚画像のおまけつきです。

松茸そば(1,500円)

長野県上田市 北向観音DSCF6113

北向観音を訪問した同日の記事「・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉」と「・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉」もよろしければご覧ください。

 

・20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉

2014年11月15日 土曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて墓石の製造加工と墓地への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のほか東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内しております。

一昨日の記事(20141030 長野県上田城跡公園の紅葉)と同日の先月末の様子になりますが、長野県小諸市にあります懐古園(小諸城跡)の紅葉の写真です。同じく本社営業の方からのいただきものです。以前訪ねたときの記憶をもとに記事にしてみます。

JR小海線と、しなの鉄道の小諸駅からすぐの懐古園入口、三の門です。小諸城は武田信玄公の軍師山本勘助の縄張りによるとも言われる伝説もあり、江戸初期に関ヶ原の功で封ぜられた仙石久秀により完成された城郭です。なお、大手門は線路の反対側にあります。

20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉DSCF6030_ 20141030 長野県懐古園(小諸城跡)の紅葉DSCF6031_

仙石氏はその後1622年に上田に転封となります。(一昨日の上田城の紅葉の記事参照

小諸は「あの夏で待ってる」の舞台の地だそうです。

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二の丸入口の石段が見えてきました。懐古園の紅葉は、城の勾配もあって野趣に溢れた紅葉を楽しむことができます。それにしても険しい城です(汗)

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園内は随所に見事な紅葉が楽しめます。

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真っ赤ですね~。見上げると一面の紅葉色です。

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小諸城跡からは南西を流れる千曲川がよく見えます。こんな高い場所にお城はあるんです。断崖に守られた堅い城だったことでしょう。対岸の山々や川沿いの木々が紅葉しているのもよく見えます。

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見事な菊も展示されてます。

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五重塔や力士の菊人形も。この力士、「郷土の名力士 雷電為右衛門」とあります。なるほどですね~。

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桜の季節には、たくさんの花見客も訪れる懐古園。紅葉の真っ盛りでした。

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山本勘助晴幸が常に愛用したと伝えられる鏡石です。

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懐古園内にある小諸神社に立つ小諸城址の石碑です。右の石碑は、「是より西小諸領」とあり、領地の境界線にあったものだそうです。

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険しい斜面に立つ紅葉の木もとてもきれいに見えますね~

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苔むした野面積みの石垣がとても美しい小諸城です。

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ここ懐古園の駐車場の片隅には、なんとSLがいるんです!

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SL C56-144 だそうです。昭和13年6月4日に日立製作所で63,900円で製作され、その後小海線の主役として35年活躍し、昭和48年より小諸市に貸与されているようです。

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しかし、城跡とSLなどの鉄道というのは、相性がよいようで他の場所でも見かけたりしますね(・埼玉県さいたま市 岩槻城に行ってきました②)。公園として史跡、文化財として、一か所にあった方が保存に適しているからでしょうか。

 

こういった史跡や文化財と同じく、弊社の取り扱っている「お墓」も超長期間の記録を保存する施設でもあります。石材は何百年後の世代に情報を保存し伝えることができます。こういった古きを訪ねることは、そのままお墓などを大切にする心にもつながっているように思えます。

お墓についてご質問などありましたらお気軽にお問い合わせください。

 

またどこかのお城情報を手に入れましたら記事にしてみます。

他の城跡関係の記事はこちら

・20141030 長野県上田城跡公園の紅葉

2014年11月13日 木曜日 晴れ

こんにちは。首都圏にて墓石の製造加工と墓地への据付施工工事をしております石材店の大塚ブログ「霊園とお墓のはなし」です。埼玉県上尾市に本社を置き、埼玉のほか東京、神奈川、千葉、群馬、静岡にて霊園と墓地をご案内しております。

先月末の様子になりますが、長野県上田市にあります上田城跡公園の紅葉の写真をいただきましたので記事にしてみます。

20141030 長野県上田城跡公園の紅葉DSCF6083 20141030 長野県上田城跡公園の紅葉DSCF6082

上田城の本丸への入口、東虎口櫓門の手前です。左の三階櫓が紅葉の樹木と一緒に見えてとても綺麗ですね。門の手前で何やら武将さんたちがいます。記念写真撮ったりしています。

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真田日本一の兵(つわもの)と称された武将の真田幸村と、真田十勇士の中から筧十蔵と猿飛佐助がこの日は「出陣」しているとか。赤い人が幸村さんなのでしょうね。

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こちらには、右に真田幸隆(祖父)、左に真田昌幸(父)、中央に真田幸村(次男)と真田三代の顔出しパネルがあります。幸村さんのお兄さんの真田信之さん(長男)はないのでしょうか。(ないんですね・・・)

真田は大国に挟まれた小勢力でした。幸隆の代に甲斐の武田に帰順し信濃攻略や越後の上杉との争い、上野攻略など常に前線で活躍しました。昌幸は兄が二人いたため、武田信玄の小姓を務めていましたが信玄没後の長篠の戦で二人の兄を失い、真田家を継ぐこととなります。武田家没落の後は、関東の北条氏、越後の上杉謙信、信濃と甲斐をいち早く抑えた徳川家康という大勢力に囲まれて生き延びねばなりません。頼るべき大樹の武田はもうありません。独立していくため、来るべき大軍を迎え撃つために造られたのがここ上田城と上田の街です。実際に、この時徳川家の大軍を返り討ちにしたりしました(第一次上田合戦)。

北条、上杉、徳川という大勢力を巧みに手玉にとり家の存続をはかった様子を豊臣家五奉行の石田三成や増田長盛から上杉景勝にあてた書面に見られ「表裏比興の者」と評されました。比興(ひきょう)とは、現在では「卑怯」の字をあてたりしますが、本来は「老獪な」や「食わせ者な」といった意味で、武将としては称賛の言葉です。小勢力ながら徳川に勝ち、上杉や北条にも飲み込まれなかったのですから老練さは推し量れます。

豊臣政権下では秀吉から重宝され、その息子の幸村(信繁)は秀吉にたいそう愛され、豊臣の姓をもらったりという厚遇を受けました。幸村の兄である信之はというと、徳川四天王のひとり本田忠勝の息女小松姫を家康の養女として娶り、徳川臣下としての立場を持つようになります。幸村は大谷吉継の娘を娶ります。大谷吉継といえば、石田三成の莫逆の友です。

そして関ヶ原の戦い。戦いは関ヶ原だけではなく、日本中で東西に割れました。会津の上杉討伐に向かった軍が関ヶ原に向かう際、二手に分かれた一手を別働隊として若き徳川秀忠が中山道を率いて上ります。それを待ち構えるのは、ここ上田の真田昌幸、幸村親子。信之は徳川勢です。兄弟を石田勢と徳川勢に分けたあたり、さすが表裏卑怯の将昌幸です。どちらが勝っても真田家は滅亡しません。小国の悲しさからの老獪な選択肢です。昌幸の仕事は上田城で東軍の別働隊の大軍を足止めさせて、大開戦に間に合わせない事。間に合わせなければ上田勢の勝ちです。結果、真田の上田勢の勝ちとなりました(第二次上田合戦)が、世の大勢は東軍の勝利です。勝負に勝って試合に負けたカタチになりました。

その後、江戸開府に伴い徳川勢だった信之は松代藩を起こして真田家を存続させ、昌幸と幸村は高野山に蟄居となります(そして幸村はその後の大阪の役で日本一の兵と称されることになります)。

・・・と、そんな上田城です。

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現在の遺構は、関ヶ原戦後に仙石氏によって整えられた城です。真田家の上田城は、戦後徹底的に破却されました。徳川家、二代将軍になる秀忠のメンツをつぶしたのですから、そうなって仕方なかったのでしょう。徳川勢だった真田信之は上田ではなく松代に転封となるのも、味方とはいえ真田の力を弱めるためでしょう。関ヶ原戦後、1622年に仙石忠政が小諸より転封されてきて、改めて上田城を整えて現在に至ります。仙石忠政は、有名な仙石権兵衛久秀の三男です。(仙石久秀といえば、以前書いたこの記事でも触れました→・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

そんな歴史の城跡も、現在紅葉の真っ最中です。

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見上げてみても見事な紅葉です。

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もうすぐ紅葉も終わりに近づいてきました。紅葉を見るならお急ぎください。

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と、もらった写真だけをたよりに記事を書いてみました。写真をみていると、「あー、私も上田城で紅葉をみてみたいなぁ~」と感じてしまう、ブログ担当のTでした。

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またどこかのお城情報を手に入れましたら記事にしてみます。

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