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お墓参り」カテゴリーアーカイブ

・墓石の目地(メジ)、劣化していませんか?

2014年6月28日土曜日

お墓の材料は「石材」です。石材は超長期間の使用に耐える素材のた、大きな劣化はそうそうは起こりません。特に御影石の場合はなおさらですが、それでも時間とともに雨風や汚れ、陽の光や温度差や吸水によって少しずつ変化をしていくもの。定期的なメンテナンスをすることで、いつまでも美しく保つことができます。

そんなお墓の中で、石材ではない部分は特に劣化が早く、そして激しく見ることができます。以前書きました記事「墓石の文字に入れた色、落ちていませんか? 墓石文字の色入れリフォーム」のように塗料の劣化のほかにも、「石材と石材の間の目地(メジ)」も劣化が目立つ部位になります。

↓こちらの画像は劣化してしまった例になりますが、墓地にある石塔や外柵には、石材と石材の間には目地を入れてあります。

墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSCN0835- 墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSCN0833-

近年ではなくなってきましたが、目地としてモルタルが多用された時期が以前はありました。モルタルは砂とセメントと水で作られますが、その比率や耐久力はまちまちなため、さまざまな劣化を見ることができます。

墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSC_0069 墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSC_0066 墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSC_0040 墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSC_0027 墓石の目地(メジ) モルタル 劣化DSC_0013

経年劣化は仕方のないことです。必ず起こります。ただ、目地が割れたりした場合などは中に水分やほこりが入り、石材自体にダメージを与える結果にもなりかねませんし、そもそも耐久力、耐震という意味でも目地が劣化してきた場合にはできるだけ早めに処置することをお勧めいたします。

↓こちらは最近のコーキング剤を使用した目地。

墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0084 墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0082 墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0064 墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0061 墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0057 墓石の目地(メジ) コーキングDSC_0035

近年は、以前のようにモルタルをもって目地のコーキングをする例はほとんど見られなくなりました。現在多くの石材店では、耐久力の高いコーキング剤をどちらも使用しています。弊社大塚でも、耐久力、高い接着力、耐震性のある素材を選び実際に使用し、これなら大丈夫!というコーキング剤を使用しています。

目地の補修は見た目が美しくなるだけではない、ということもご理解いただければと思います。今度お墓参りに行かれる際など「うちのお墓の目地は切れたりはしていないかな?」と、ちょっと確認してみてはいかがでしょうか?

 

なお、お墓のリフォーム、建て替えについてはこちらが参考になります→お墓のリフォーム

あわせてこちらの記事もご覧ください。

・お墓参りで気が付くこと 冠水の痕跡
・お墓に雑草は生えていませんか?防草シートと、新しい玉砂利で気持ち良いお墓参りを
・墓石の香炉 劣化していませんか?新しい香炉で気持ち良いお墓参りと御供養を
・墓石の花立て 劣化していませんか?新しい花立に交換を!
・墓石の目地(メジ)、劣化していませんか?
・墓石の文字に入れた色、落ちていませんか? 墓石文字の色入れリフォーム
・お墓の掃除とリフォームその1
・お墓の掃除とリフォームその2
・お墓の掃除とリフォームその3

 

お墓のことで疑問やご質問、お困りのことなどありましたら、全優石加盟の弊社大塚にお気軽にご相談ください。お墓相談員(全優石)やお墓ディレクター有資格者(石産協)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

・お墓を建てると幸せになる? その2 心のもやもやを整理整頓できます。

お墓を建てると幸せになる? その2 心のもやもやを整理整頓できます。

前回「・お墓を建てると幸せになる? その1 気持ちの安心が得られます。」に続いての第二回です。

 

お墓参りをする人としない人がいます。

お墓参りができない人にも理由があり、距離が遠い、お墓に眠っている人は「会ったことのない知らない人」と感じていたり、そもそもお墓の場所がわからなかったり・・・。昨今、お墓離れという言葉もありますが、お盆やお彼岸にお墓参りをするということを「慣例化」された儀式のようなものと感じてしまった場合、「お墓参りとは必要なの?」や「お墓は必要ないのでは?」と考えが進んでしまうことが理由なのではないでしょうか?

 

では、お墓参りをする人はどのような理由でお墓参りをしているのでしょうか。

この記事を読まれている方は老若男女問わず様々な方がいらっしゃると思いますが、ある程度の年齢になると「身近な人を亡くす」という経験をされていると思います。また逆に若い方や青少年の方の中には、「まだ身近な人を亡くした経験はない」という方もいらっしゃるでしょう。そんな未経験の方は是非想像してみてください。身近な人がある日急に亡くなってしまう日のことを。もしくは大切にしていたペットを亡くしてしまう「ペットロス」の人々のことを。人間は一人では生きていません。自分を生み育ててくれた両親や、共に生活した家族や親類縁者、大切な同僚や友人や先輩後輩、そして自分が育てた子やそれに連なる孫、実にさまざまな人と関係を持って今を生きています。

 

そんなかけがえのない人を亡くすと、気持ちの整理に時間を要します。

大切な両親、若くしてなくしてしまった我が子、これらの近親者が亡くなられた場合などは、一生かかって気持ちを整理していくという人もいるかと思います。また、小説や映画やドキュメンタリーで目にすることもありますが、戦地で失った戦友を思い70年経っても「申し訳ない」と涙されている方々もいらっしゃいます。人は長い時間をかけて、折に触れ、事があるにつれて、そんな大切な故人に心の中で語りかけます。心の中で手を合わせる人もいるでしょうし、お仏壇があればお仏壇で手を合わせて話しかけるかもしれません。写真が残っていればその写真をみながら。千の風になってではありませんが、空や風に語りかける人もいるかもしれませんね。海の人や山の人もいるかもしれません。

 

しかし、故人と一番近く語り合うことのできる場はやっぱりお墓なのではないでしょうか。

なぜなら、お墓参りをされる方の多くの方は、お墓参りで手を合わせる際に故人に話しかけていることが多いからです。

 

ところで、皆さんは「魂」の存在はあると思いますか?

あると考えている方は、亡き人の魂はどこにあるとお考えでしょうか。お仏壇の中の位牌にあるのか、お墓の中の遺骨か、はたまた千の風のように天空にあるのか。古来の日本では、亡くなった人の魂、霊は母なる山に向かったり、母なる海の向こうに向かい、一定期間が経ちますと先に亡くなられてご先祖様たちの例の集合体に合流する、というように考えていたとも言われています。祖霊信仰といい、さらに進んで氏神信仰というものになりますが、各集落や里、村にあります「氏神神社」はそんな氏神様をまつった神社なわけです。

現代のお墓の構造としては、石材でできたお墓の中に納骨室(カロート)があり、そこで亡き人の遺骨は一定年数保管されます。このカロートの下面には「土」になっている部分があり、一定年数を過ぎた遺骨や、カロート内の遺骨がたくさんになったような場合には、その土の部分に遺骨を撒き「土に還ってもらう」構造になっています。お墓とは、土に還ってもらう装置でもあるのです。※現代日本でも、諸事情により1%ほどの地域では土葬されている地域もあります。

そして、お墓、石塔ともいいますが、この「塔」とはそもそもがお釈迦様の遺骨を納めた施設のことを指します。塔=タワー、という意味合いで定着したのはごく最近のこととお考えください。インドで発生した「塔」というものは、その後三重塔や五重塔に発展したり、石塔(供養塔としての個々人のお墓)に発展してきました。(そして塔婆は石塔のカタチをかたどっています)いまやお釈迦さまの遺骨は世界中の仏舎利塔に分かれて納められています。そして各地の塔で各地の人々によって供養されているわけです。(五重塔について、竹林寺にある五重塔について説明をこちらの記事で書いておりますので、よろしければご参照ください

日本では、土着の信仰や氏神信仰、中国から伝わったお釈迦様の仏教や、道教、近世になってからのキリスト教や明治になってからの国家神道など、さまざまな考え方が影響し合って現在の「お墓の文化」になっています。

もし亡き人の魂や霊が「遺骨」にあるのでしたら、亡き人に一番近い場所で語り合うことができるのはお墓なのかもしれません。土に還っているご先祖様がいらっしゃるなら、墓地自体が語り合える場ともいえると思います。また現代の日本の仏教では、お墓の引っ越しや新しく建墓する場合、解体の前には「魂抜き」を、完成後には「魂入れ」の法要をいたします。これは石塔自体に先祖代々の魂に宿ってもらうという作業になります。そう考えますと、遺骨のみならず石塔にも魂はいらっしゃることになります。

話を元に戻してみますと、お墓参りをされる方々は「お墓で故人と対話をしている」のですが、どんな対話をしているのでしょうか。人それぞれだとは思いますが、「お墓参りをしたら気持ちがすっきりした」という方はとても多いと思います。きっと亡き人やご先祖様になにか報告し、悩みを打ち明け、気持ちの整理ができたからなのだと思います。報告ならば、進学や就職や結婚や出産や出世など、悩み事ならば亡き人に語りかけることで自身の忘れていたことを思い出したり、語りかけること自体で気持ちの整理整頓になるということなのかもしれません。

氏神信仰の氏神さまは、子孫である今を生きる人たちに、作物の豊作や、大猟、大漁をもたらしてくれる神様でもあります。ご先祖様は子孫であるわたしたちを温かく見守ってくれている存在です。たとえあったことのない遠いご先祖様であっても、子孫を温かく見守る気持ちはかわらないのではないでしょうか。

お墓参りをあまりされたことのない方は「お墓参りで手を合わせて何を考えればいいの?」という質問などもあるかもしれませんが、是非ご先祖様に「ありがとう」と心で語りかけてみてはいかがでしょう。

 

全優石の吉田会長のお話で次のような記事が全優石のブログにあります

こんな話を聞きました。刑務所の受刑者に心のケアをされているお坊さんが、受刑者に「お墓参り」についてアンケートを採ったところ、受刑者の98%がお墓参りをしたことがないと回答したそうです。 お墓参りをする、しないが犯罪に直接つながるかどうかは分かりませんが、私は大いに関係があると思います。(後略)

もし受刑者の方がお墓参りをしていたら、気持ちの整理に一役買って刑を受けることにはならなかった・・・という人もいたのかもしれません。全優石吉田会長はブログにて「お墓参りに勝る情操教育はない」とおっしゃられています。よろしければこちらもご参照ください→ 全優石ブログ 2013/07/05  お墓博士の一言 お墓参りに勝る情操教育はない

 

まだ自分のお墓を作っていない。お墓を近くに引っ越しさせたいがまだ手を付けられていない。そもそもお墓の必要性がわからない。という方は、そんな「故人と対話して心のもやもやを整理整頓する場」を作ってみてはいかがでしょう?自分自身のためにもなるかもしれませんし、またご家族のためにもなるかもしれません。

 

お墓を建てると幸せになります。心のもやもやを整理整頓できる場、装置が「お墓」でもあるからです。

 

さて、また近々わたしブログ担当のTもお墓参りをしてこようかな、と考えていますが、みなさんはいかがでしょうか?

 

 

・カマキリの赤ちゃんに威嚇されました

2014年6月13日金曜日

墓地・霊園のご紹介と墓石販売の石材店、株式会社大塚のブログです。

昨日6/12日、車のボンネットに何やら蚊のようなものが目に入ってきました。でも蚊や蟻にしては少し大きな虫のようです。

よく見てみると、カマキリでした。それもまだまだ卵から孵ってそう時間のたっていない赤ちゃんのようです。

カマキリの赤ちゃん DSC_19542-

胸に刺してあったボールペンのペン先を近づけてみると、なんと威嚇してきました!ペン先と比較するとサイズがわかるのではないでしょうか。とっても小さいのに気持ちは立派な肉食昆虫です。

カマキリの赤ちゃん ボールペン 威嚇 DSC_19552-

スマホ写メの限界なのか画像ノイズがひどいです。色はもっと明るい黄色っぽい茶色でした。

カマキリの赤ちゃん 拡大 DSC_19553

指を近づけてみると、やはりこちらも威嚇・・・というか近づいて来ました。ボンネットの上では生きていけないと思われるので、そのまま草の中に誘導しておきました。

カマキリの赤ちゃん ボールペン 指 威嚇 DSC_19572

カマキリは益虫。夏になると人間を不快にさせる虫を食べて大きくなっていきます。

お墓参りの際などに墓地やお墓でもしカマキリを見るようなことがあっても、いじめたりせずにそっと見守っておきたいものです。

また、カマキリの卵を秋から冬にかけて見つけたとしても、決して机の引き出しや押し入れ、タンスなどの中に宝物としてしまって置いたりしないようお願いいたします。初夏に大参事になってしまいますので、くれぐれもご注意を。

 

 

・埼玉県 行田市にある、さきたま霊園。着火器が増えました。

2014年6月12日木曜日 雨のち晴れ

埼玉県行田市にありますさきたま霊園。今日は雨でしたがさきたま霊園に行ってきました。

埼玉県 行田市 さきたま霊園DSCN4458

大雨の直後なのですが、参道はばっちり問題なく歩くことができました。

さきたま霊園には従来から着火器があるのですが、ご利用になられる皆様の利便性向上のために、霊園の一番奥にももう一台着火器を設置いたしました。

↓中央の銀色に光る柱のようなものが新しく設置した着火器になります。

埼玉県 行田市 さきたま霊園 着火器DSCN4447

よく見てみると、こんな感じです↓

埼玉県 行田市 さきたま霊園 着火器DSCN4448

「回す」と書いてあるドアノブのような部分をひねると小さな扉が開きます。

埼玉県 行田市 さきたま霊園 着火器DSCN4449

扉の中の四角の中が着火位置になります。右側の黒いレバーを下に動かすと四角の中でお線香に火をつけることができます。

埼玉県 行田市 さきたま霊園 着火器DSCN4454

カチッと音がするまで最後までレバーを下げると着火いたします。

大雨の日などはつきにくいようですが、通常の日であれば問題なくお線香に火がつけられます。霊園の一番奥に近い場所にお墓のある皆様は、お参りの際などの使い勝手がよくなるのではないでしょうか。

さきたま霊園の一番奥から振り返るとこのように霊園が広がって見えます↓

埼玉県 行田市 さきたま霊園DSCN4455

インターロッキングの参道なので、水はけよく歩きやすくなっています。

 

管理事務所の近くにはアーチがあり、植栽が雨に濡れてイキイキとしていました。

埼玉県 行田市 さきたま霊園DSCN4456

↓活き活きとした白いお花

埼玉県 行田市 さきたま霊園DSCN4457

さきたま霊園にご興味のある方は、こちらのページをご覧ください。→さきたま霊園の墓地ご紹介ページ

また、さきたま霊園の経営主体は、高源寺さま。小説・映画で大ヒットした「のぼうの城」に登場した武将、正木丹波守利英公が開いたお寺です。ご興味のある方はこちらのページをご覧ください。→高源寺の墓地ご紹介ページ

~ ~ ~ ~ ~

参照記事 のぼうの城関連の記事

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・正しいお墓の買い方 [その10] ニューデザイン墓石

正しいお墓の買い方 [その10]

(前回 正しいお墓の買い方 [その9]

 

15.ニューデザイン墓石。

江戸時代から継承されてきた規格型三段墓石に対し、現代人にマッチした祈りの造形として作られる新しい形の墓石のことを総称してニューデザイン墓石といい、近年急速に普及しています。

欧米では、昔からひとつひとつ形の異なるお墓を建ててきましたが、日本ではどんなに個性的な生き方をされた方でも、亡くなれば、画一的な没個性の規格型のお墓に祀られてきました。

その背景にあったものは、仏塔としてのお墓があったからですが、その意義が薄れ形骸化したことに加え、死者の供養塔としてのお墓、家族の死後の住まいとしてのお墓、この世に生きた証としてのお墓といったように「求めるお墓が多様化した」ことによって、想いを込めた個性的なお墓作りがなされる時代になったようです。

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

 デザイン墓 デザイン墓 

 

→正しいお墓の買い方 [その11]へ

・正しいお墓の買い方 [その9] 墓石の方角

正しいお墓の買い方 [その9]

(前回 正しいお墓の買い方 [その8]

 

14.墓石の方角。

お墓は当初仏塔として建てられたものです。そうだとすると、仏教では六方拝といって、東西南北上下六方をいずれも尊び、吉凶の別は問わないとしています。また、仏は八方世界をあまねく照らすという言葉もあります。その仏様が、あっち向きはダメ、こっち向きはダメといわれるでしょうか。供養するのにふさわしい場所であれば、方角は関係ありませんね。墓地が北向きでどうしても気になるというのであれば、五輪塔をお建てになられたらいかがでしょうか。塔は四方正面ですからよろしいと思います。

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

埼玉県桶川市 桶川霊園に行ってきましたDSC_0380

 

↑四方正面となっている、桶川霊園のみどり区

 

正しいお墓の買い方 [その10]

・ヘビの赤ちゃん

2014年5月14日

こんにちは。墓石、墓地と霊園をご紹介している埼玉の石材店、大塚のブログ担当Tです。

昨日夕方の18時過ぎ、家の車庫の片隅にヒモのようなものが落ちていました。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 1

おや?ヒモではなさそうです。落ち枝でもなさそう・・・これはひょっとして・・・

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 2

ヘビでした!

でもまだ小さい赤ちゃんです。30cmもないくらい。アオダイショウかと思われます。

赤ちゃんヘビはこちらの様子をうかがっている。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 3

アップで見てみると、赤ちゃんでも迫力ありますね~(^_^;)でも赤ちゃんなので、目が大きく感じられます。かわいらしくも感じられます。

アオダイショウはこちらが何もしなければおとなしいヘビです。きっと目の前に大きな別の生き物が急にあらわれて怖かったのでしょう。チョンと棒でつついたらダッシュで逃げて行きました。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 4

ヘビはその姿から怖い、気持ち悪い、気味が悪いと忌み嫌われる存在ではありますが、家にいる場合は守り神になってくれるとも言われています。少なくとも小動物や害虫を駆除してくれそうではありますね。

お墓のある墓地などは森林に囲まれた場所にあるという場合も多く、さまざまな動物もいたりすることもあるかと思います。ひょっとしたらへびもいるかもしれません。そんな場合は、お墓を守ってくれているのかもしれませんね。お墓参りのときなどに青大将に出会ってしまった場合は、おとなしい蛇ですので無理に刺激したりせず、いなくなるのを静かに待っておいてください。

目の前に出てこられるとびっくりしてしまいますが、見えないところで家を守ってくれているとしたらとてもありがたい存在。

赤ちゃんがいるということは、その兄弟姉妹や親もどこかにいるということ。みんなで家を守ってね~

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

2014年5月9日金曜日 晴れ

先日の長宗我部元親公のお墓参りに続きまして、元親の長子で戸次川の合戦で戦死した長宗我部信親のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました。

雪蹊寺は高知市長浜の、長宗我部元親公のお墓の比較的近くにあります。場所はこちら↓ 

雪蹊寺は四国八十八か所の33番目の札所です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0468- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0469

県道に面した入口には「雪蹊寺(33番札所)」の文字とともに「長宗我部信親の墓」の文字のある看板↓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0470 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0472

↑四国のへんろ道を世界文化遺産に・・・世界遺産を目指しております。「人生御遍路」です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0474-

延暦年間(782~806)に弘法大師(空海)が開基。ということなので、1200年以上前に建てられたお寺です。もとは高福寺と言いましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天像(国重文)が安置されたことから慶運寺と改称された経緯があります。その後戦国時代に長宗我部元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称されました。儒教の南学の中心地とも言われています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0473 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0475 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0476 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0478

歴史あるお寺だけあり、古い石塔がたくさん並んでいます。

実はここ雪蹊寺はすぐ隣に「秦神社(はたじんじゃ)」があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0483

秦神社の御祭神は長宗我部元親。長宗我部家は秦の始皇帝の流れを組むという渡来の豪族、秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を名乗っていました。そのためここ秦神社には秦家累代の霊と、家臣忠死者も配神として祀られています。神社の拝殿の幕には、かたばみの紋が。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0479 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0481 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0484-

長宗我部家の家紋は「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。そのため、雪蹊寺、秦神社には↓の「丸に七つ酢漿草紋」の戦幟がいくつか配置されてました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0509

明治の世になり、廃仏毀釈の中、雪蹊寺が一時期廃寺となった際、雪蹊寺に収められていた衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として秦神社が祀られました。なので、秦神社の建立は明治4年です。神社には木造のほか、国指定重要文化財である絹本著色長宗我部元親画像もありますが、現在は高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に委託保管されています。

秦神社への参拝後、すぐ隣の小高い山にある神社もあわせて参拝。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0486 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0485

長宗我部家臣が奇跡の神鏡を拾い命拾いしたために作られた西宮神社(えびす様)。石段を登った先に社殿があります。実はこの小高い山は、長浜城跡なのです。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0482

西宮神社はその小高い城跡の一部に祭られています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0489

位置的には、秦神社のすぐ横、雪蹊寺の裏手にあたります。なので、雪蹊寺の見事な墓石がちらほら目に入ってきたりもします。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0490

それでは隣の雪蹊寺に戻ってみます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0491 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0494 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0506- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0508-

臨済宗のお寺様ということで、凛とした造りのお寺に感じられます。33番札所なので、お遍路さんもいらっしゃってます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0492 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0493-

四国八十八か所のお寺は、弘法大師さまが開いた霊場なのですが、ここ雪蹊寺のように必ずしも真言宗のお寺ではないというところも多々あります。臨済宗の雪蹊寺にも↑のように大師像が置かれていたりします。また、柄杓が篤志の方から奉納されていたりと、なかなか興味深いものを感じました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0495 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0505

境内を歩いていると、「長宗我部信親公墓所」の案内を発見しました。↑実は右の写真、一番奥の木立の中に宝篋印塔の信親公墓所が見えているのですがわかりますでしょうか?

墓所の手前に案内板が。ここには信親公のお墓だけではなく、戸次川戦没者供養塔、香宗我部系の出で雪蹊寺中興の祖であり、関ケ原戦後の浦戸一揆の際に仲に立って開場に貢献したという月峰和尚のお墓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0496

お寺の裏側に木漏れ日の中にお墓はありました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0502 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0497

↑中央に信親公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、左に戸次川戦没者供養の五輪塔が、右には月峰和尚の丸い無縫塔(むほうとう)があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0499

お父上の元親公のお墓と比べて一回り小さいサイズではありますが、とても立派で保存状態のよい宝篋印塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0501

長宗我部家が関ヶ原で西軍につかず、大坂の陣で滅亡せず、江戸から明治まで残る大名になっていたならばもっと大きなお墓になっていたことでしょう。

↓戸次川戦戦没者供養塔です。こちらもとても美しいカタチの五輪塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0500

長宗我部信親は、長宗我部元親の長男として、将来を嘱望されていた武将です。

父元親は四国平定したものの、その後秀吉に屈服さぜるを得ませんでした。その後の九州征伐にて他の四国勢とともに島津氏と戦うこととなります。窮地に立っていた大友氏を助けるためという名目です。秀吉勢として父元親とともに出征した信親。秀吉の軍監仙石久秀の指揮のもと、戸次川の合戦にて秀吉勢は総崩れとなってしまったのですが、その際に多くの将兵が命を落としました。阿波の有力大名の十河存保(そごうまさやす)や、そして長宗我部信親と多くの供の者(700余名)も命を落としたのです。まだ22歳でした。

信親は身長184センチ、色白の長身だったようで、元親によって跡継ぎとして育てられてきたのですが、家臣の信望もとても厚かったようです。信親の「信」の一文字は織田信長からもらったのですが、その信長からも養子にほしいと言わせた程だったとか。そんな元親の後継者が他の若い多くの将兵とともに戦没したため、この後の長宗我部家は一気に衰えていってしまったとのことです。

戸次川の合戦についての記録は、雪蹊寺からも近い長宗我部元親初陣像の足元にもありますので、よしろければそちらもご覧ください。

~ ~ ~ ~ ~

関連のある記事

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・長宗我部元親公のお墓をお参りしてきました。

2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0466

高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0465

突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0447

長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0446 長宗我部元親公のお墓DSC_0448 長宗我部元親公のお墓DSC_0449

この奥の石段の上にあるようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0463

新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

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石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

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関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

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石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

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おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

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宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

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1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

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元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

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2014年5月2日金曜日 晴れ

一昨日のことになりますが、高知県香美市にあります「朴ノ木公園」に行ってきました。場所は香美市にあるアンパンマンミュージアム(香美市立やなせたかし記念館)から車で約5分くらい。

グーグルマップではこちらが現地になります。https://goo.gl/maps/gt8Th

やなせたかし先生の実家跡がお墓の公園になると昨年10月このブログでも記事にも書いたのですが、今年2014年4月20日に公開となったとニュースで見てから、尋ねてみたい場所として自分の中で一位になっていた公園です。

ミュージアムのサイトでは「GWはアンパンマンミュージアムからのシャトルバスをご利用ください。(公園専用の駐車場はありません。)」とありましたが、一昨日4/30は平日ということもあり公園近くに駐車することができました。香美市観光協会さんのスタッフブログに、詳しいアクセスについて書かれてました。訪れる人にとってはとてもありがたいブログです!明日からのゴールデンウィーク後半や祝祭日にご訪問される方はアクセスや駐車場に気を付けてください。

さて朴ノ木公園の近くにある高照寺さま。

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岩室山高照寺平成の大修理で志納された方々のお名前が並んでます。中央の「南無大師遍照金剛」の文字のすぐ右側に「柳瀬嵩」の文字が!柳瀬家の菩提寺だそうです。

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ホオちゃんが案内してくれてます。朴の木は「ほうのき」と読みます。そしてここは朴の木地区。柳瀬家の菩提寺の高照寺さまと氏神様の厳島神社の間に朴の木公園はあります。

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案内板がありましたので、まよわずに公園にたどりつくことができるのですが、傾斜のあるこの地区に立つそれぞれの家、建物はどちらもとてもきれいな石垣と練塀と複層の屋根を持つ蔵とを見ることができ、穏やかで豊かな土地なんだなぁと感じられます。前夜に降った大雨のせいか、幾筋もながれている水流も水の勢いが強めで、せせらぎの音がずっと聞こえてきています。

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↑せせらぎを耳に段々畑を進むと白く丸いものが見えてきました。どうやら公園の北側、裏側が見えているようです。

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↑朴の木公園にたどり着きました。入口には北を向いたお地蔵様と、そして役所の職員の方がいらっしゃいました。簡易ですがトイレもあります。

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やなせたかし先生のお父様のご実家跡地ということですが、巨大な公園ではなく、きれいな植栽とおなじみのキャラクターたちがいる親しみやすい公園です。遠くから見えていた白く丸いものは、そうです!みんなのアンパンマンでした。

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この公園のメインはやはり、やなせたかし先生のお墓です。さっそくお参りしましょう。

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柳瀬家はここにあった 300年以上続いた旧家だが 今は影もかたちもない 一族の墓石は 後方の 山の中腹にある ぼくはここでねむりたい 故郷の土はあたたかい 木蓮科のマグノリア 一本の朴の木にぼくはなりたい 季節にははにかみがちに 白い花を咲かせて 風の中でゆれていたい

やなせたかし

(以上、石碑より引用)

 

石塔の裏側には

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やなせ先生は奥様とお二人で眠られているんですね。

それにしても、とても大きな墓石です。洋型墓のカタチをとっています。そして両脇には大きなアンパンマンとバイキンマン。

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アンパンマンとバイキンマンは斜め方向を向いています。職員の方に聞いてみたところ、どうやらやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムの方向を向いているようです。

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アンパンマンとバイキンマンには、丸い踏み石が続いているのですが、よく見てみると・・・

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踏み石の中にアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんがいました!(画像だと少しわかりにくいですね(^_^;))

墓石と向き合うように、ふたつの石碑が配置されていました。

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ホオノキ やなせたかし

ヒノキは高級な木 ホオノキは低級な木 朴歯の下駄とか マナイタになる でもホオノキのマナイタは 自分が傷ついても 決して包丁の刃をいためない トントントン 音がうれしそう ホオノキはモクレン科 ひかえめな木 ぼくは下駄の歯と マナイタでいい 低級な木のホオノキでいい 生まれたところも香美郡在所村 朴ノ木(ホオノキ)だしね

(以上、石碑より引用)

やなせ先生の詩集があったらぜひ手に入れたいと思います。

もう一方の石碑には

20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園 アンパンマンのマーチ 歌詞20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0131 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0130 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0132 20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園20140430 やなせたかし 墓 朴の木公園DSC_0162

アンパンマンのマーチの歌詞が刻まれています。歌詞がかかれているので、石碑の裏側にはJASRACの番号も刻まれています。

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公園内には、おなじみのショクパンマンやカレーパンマン、メロンパンナちゃんとジャムおじさんもいました。(ばたこさんと、めいけんチーズは?)

遠くからもわかるように、公園の名前の書かれた横断幕があります。目印になりますね!

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しかし、なんとよい土地なのでしょう。なんだか離れるのが名残惜しい気持ちになる、風光明媚な場所です。新緑の季節で日差しもあたたかく、とても気持ちよくお墓参りできました。

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それにしても段々畑の石垣が幾重にも重なって見えて、とっても綺麗です。さてそろそろ公園を後にしてみます。来た時とは別の道で離れてみます。

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こちらの道から来るときは、↑複層の屋根の付いたこちらの蔵と、↑遠くからも見える横断幕が目印ですね!

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↑すぐの場所にある氏神様の厳島神社。むこうに公園の横断幕が見えています。ちょっと寄り道してこちらもお参りしてきました。

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繊細かつダイナミックな石彫刻の灯篭です。すばらしい。

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規模は決して大きいとは言えない厳島神社でしたが、歴史を感じられる境内と拝殿、そして周りを巡る小川のせせらぎがここちよく癒してくれる、とても暖かな気持ちになる神社でした。きっとやなせ先生も毎日この前をあるいたのでしょうね。

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とても気に入ってしまった朴の木地区と、やなせたかし朴の木公園。またいつか尋ねてみたいものです。

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おまけ やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム

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高知県の子供たちにはおなじみのアンパンマンミュージアム。全国からもたくさんの方が訪れています。ゴールデンウィーク中ではありますが平日と言うこともあってすいていました。↑右下の写真、鯉のぼりとともに高知のみで見られる「ふらふ」という大きな旗、大漁旗に似た旗がたなびいています。鯉のぼりと一緒に子供の成長を願う旗です。フラッグが転訛して「ふらふ」と呼ばれているとか。

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↑元気ひゃくばいになりそうです。思わず「あーんぱーんち!」と口に出てしまいそう。

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↑この四角い建物がやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムです。

バイキンロボットがこちらをみてます!

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このロボット、実はかなり大きいのです。

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バイキンロボットの横の道には、キャラクターたちが並んで展示されています。

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石造りのアンパンマンたちもたくさんいます。

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黒い蝶々も飛ぶ、おだやかな日です。

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あんぱんちは、車でくる人をお出迎えしてくれているようですね!

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近隣の案内図です。

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なぜかダムのタービンも展示されています。

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水力発電の水車なんですね。でもここにあることでたくさんの方の目に触れることができているのは、とっても貴重なことだと思いました。

 

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