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月別アーカイブ: 2014年5月

・正しいお墓の買い方 [その7] 墓石の大きさ 墓石に刻む文字

正しいお墓の買い方 [その7]

(前回 正しいお墓の買い方 [その6]

10.墓石の大きさ。

大きいお墓が良い、小さいお墓は悪いというものでは全くありません。大切のは、死者への供養の心を込めて作られたか否かです。例え小さくとも、心のこもったお墓であれば、気に入った石種で、ご予算に応じてお作りになられてら良いと思います。

 

11.墓石に刻む文字。

墓石に文字を刻むようになったのは、平安時代の終わり頃のようです。当初は経文や梵字を彫りましたが、室町時代に入って仏の種子、仏像、名号、題目などが彫られるようになり、仏塔としての性格が顕著になりました。江戸時代にはいって、庶民が建立するようになった三段型の墓石は、当初、仏塔として亡くなられた方のために一人一基ずつ建立され、棹石の正面頭部に宗派によって仏を表す「円」大日如来を表す梵字の「石塔の梵字-ア-大日如来(ア)」「妙法」などを入れ、その下に「南無阿弥陀仏」「妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」などの題目を彫り、側面に仏弟子となった故人の戒名、法名を記しました。

明治時代に入ると仏を表す円や名号、題目が欠落し、家紋や個人俗名が刻まれ、仏教的な意義付けが、次第に薄れました。大正から昭和にかけて民法に家制度が導入されると、仏塔として個人墓だった墓石は家墓、先祖代々墓となり、仏弟子の証として刻まれた戒名も墓誌(法名碑)に記されるようになり、仏塔としての墓石は完全に形骸化し、墓石に刻む文字への制約もなくなりました。

そして、家制度が崩壊し核家族化、少子化が進んでいる今日、お墓も家族墓、夫婦墓、両家墓、個人墓、永代供養墓など、急速に多様化し、それに伴って墓石に刻まれる文字も思い思いに好きな文字や言葉が刻まれるようになりました。

 

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

正しいお墓の買い方 [その8]へ

・40年前の1970年代、20年前の1990年代の航空写真をWEBで見る

2014年5月5日月曜日 曇り

先日の記事(グーグルマップとヤフー地図とGoo地図)で、『各社の膨大な地図データや航空写真画像データ、「現在」を知るだけではなく、過去を知るという知的欲求のためにも、各社手がけ始めてくれるととてもありがたいな~』と書きましたが、

少し調べてみると興味深い記事にたどり着きました↓

Googleマップの航空写真モードで「40年以上昔の日本」を見れるサービスに驚愕!

約一年前のAPPGIGA!!(アプギガ)さんの記事なのですが、どうやら国土地理院の1970年代の航空写真データをグーグルマップ上で見ることができるとか。見ることができるのがこちらのサイトです⇒「Googleマップを使って国土地理院の地図を見る」こんな感じの地図閲覧が可能です。

地図1

↑こちらのページの右上のボタンを拡大してみます。

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る

こちらを操作すると↓が現在の東京ドーム

地図2

↓こちらが1970年代の後楽園球場です。

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る 後楽園球場と東京ドーム

比較できるのってすごいですね!1990年代も見ることができます。

そして少しこのサイトを調べてみると、どうやら沼津工業専門学校の地理の先生のページだということがわかりました。地図を活用してさまざまな取り組みをされているようで、このページとか、このページを見てみるととても興味深く感じられました。

~ ~ ~ ~ ~

そしてその航空写真の元になっている「国土地理院」ですが、実は私も時々見に行っていました。ただし、よく見ていたのは「ウォッ地図」というWEB地図でした。国土地理院が元データだということなので早速、国土地理院ウォッ地図のサイトに行ってみましたところ・・・

ウォッちずは平成26年4月1日以降地図を更新しておらず、平成26年10月1日をめどにサイトを停止する予定です。なお、最新の地図は「地理院地図」でご覧いただけます。

とのこと・・・。時々活用させてもらっていたので残念ではありますが、その「地理院地図」のページを見てみたところ、残念さが驚きに変わりました。

地図01 地図03

↑こちらは「地理院地図」の最初の画面と、例として宮城県女川町の2011.3月の航空写真です。

地図02 地図04

↑そしてこちら、左が2007年ごろの女川町と、右は1970年代の女川町です。

この「地理院地図」、実に様々な機能がついており、地図05

現在の航空写真のほか、1990年代や1970年代の航空写真、東日本大震災の津波被災地については被災直後とその後の様子など三段階に時系列がわかれて記録されています。そのほかにも色々な見方使い方が可能そうです。

「地理院地図」すごいです。

~ ~ ~ ~ ~

以前の記事で書きました『各社の膨大な地図データや航空写真画像データ、「現在」を知るだけではなく、過去を知るという知的欲求のためにも、各社手がけ始めてくれるととてもありがたいな~』という個人的な希望は「各社」ではないもののかなり希望がすでにかなっておりました。よく調べてから書けばよかったです(^_^;)

昔の航空写真を見ることができる。とっても興味深く見ることができますので、ぜひぜひ一度見てみてはいかがでしょうか?

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る」も「地理院地図」もどちらもおススメ地図サイトです。

※ただし、エリアによっては縮尺やそもそも航空写真を撮影されていなかった時期もありますのでご注意ください。

※また、航空写真の閲覧は今のところPCでの閲覧を想定されているようですので、スマホやタブレットの方はパソコンから見てみてください。

~ ~ ~ ~ ~

別記事になりますが、昔の地図の比較ができるサイトを紹介した記事がこちら↓。これも興味深いですよ!

・これはすごい!時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」

~ ~ ~ ~ ~

さて弊社は首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し墓石の製造販売をしています石材店です。このように古い写真や元来の地形を確認するのは、いいお墓探しやよりよい墓石建立のためもあります。元々はどういった土地だったのかという点については、お墓だけでなく様々な家や建物など不動産や日々の安全、地域の歴史を知ること以外にも、私たちの仕事のような後世に長く残るような「お墓作り」という仕事にとってもとても大切なことです。たとえば古い神社やお寺は高い土地に建っていたり、昔の墓地が山の上にあったりなど、それぞれ理由があるためです。

そのようなわけで、本記事のように調べてみたりなどしています。

お墓作りにご興味のある方は、資料請求や霊園墓地のご見学についてお気軽にお問い合わせください。

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・長宗我部元親初陣像を見てきました

2014年5月4日 日曜日 薄晴れ

昨日の記事に引き続きまして、高知県で見てきました銅像訪問記です。昨日は坂本龍馬先生銅像でしたが、今回は戦国大名の長宗我部元親公。しかも初陣像だそうです。昨今、ゲームや小説等でファンになった方の訪問もあとをたたないとか。

場所はこちら↓https://goo.gl/maps/llEpv 

高知市中心部から桂浜まで通る県道の高知県道34号桂浜はりまや線を、中心街から桂浜方面に向かうと右手に見えてきます。↓この戦国時代のノボリ風の看板が目印。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0271

「どろんこ祭り」で有名な高知市長浜にある若宮八幡宮の境内地、参道わきにあります。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0273 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0272

坂本龍馬象のある浦戸の桂浜や、長浜の雪蹊寺からも遠くありません。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0270 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0269

馬防柵や物見やぐらの解説がありますが、この地は長宗我部元親初陣の地。1560年22歳の初陣でした。若宮八幡宮の社頭に陣を張り戦勝を祈願し、本山氏の守る長浜城を陥落させ、その後「土佐の出来人」と呼ばれるようになります。このことからこの地に像が建てられました。その後15年で土佐を統一。25年後には四国全土を掌握(1585年)。その後秀吉の軍門に下り、慶長四年(1599年)に61歳で京伏見の館で没しました。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0274 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0297

没年が1599年ですが、関ヶ原の戦いが1600年。跡継ぎの長宗我部盛親が西軍に与し、しかも事情はあっても全く戦働きをしなかったために大名としての長宗我部家は終わりを迎えてしまいました。元親がもう2年生きていたら、全く違う歴史になったのではないでしょうか?高知に山内家も来ることなく、そうすると幕末に坂本龍馬も武市瑞山も中岡慎太郎も岩崎弥太郎も生まれなかったのかもしれません。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0300 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0299 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0298

石造りの柵の向こうに銅像が見えてきました。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0305 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0306 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0304

新緑越しに見える銅像はかなりかっこよく見えています。実際かっこよかったです(^-^)

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兜には、はっきりと「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」の紋が見られます。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。 長宗我部氏は秦氏の流れの一族です。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0294 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0292 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0296

長い槍が印象的で、また動きも迫力がある銅像です。全国のカッコいい銅像のベストテンには入っているのではないでしょうか?左手は何かをつかもうとしているのか、押さえつけようとしているのか・・・

答えはその手の先にありました。

四国全土の地図が足元にあります。そして地図には各地域に蟠踞していた大小名の名前が。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0275 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0276

四国を一掴みにしていたわけですね。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0304

銅像の傍らには↓このようなものも。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0277

戸次川の戦いについて。秀吉の軍門に下った長宗我部家は、島津九州征伐の際に他の四国勢とともに出征。大敗を喫してしまい、他の大名有力者とともに長男で英名のほまれの高い長宗我部信親と多くの群臣を失ってしまいました。信親がこの時に戦没していなければ、その後の長宗我部家の運命も大いに変わっていたと言われています。

ちなみに信親の「信」の一文字は、中央で覇を唱えた織田信長とよしみを結ぼうと元親が息子のために信長からもらったものです。でもその信長からは「鳥無き島の蝙蝠」と元親を指して揶揄されてもいたとか。戦国時代の外交は難しかったのでしょう。※鳥無き里の蝙蝠という慣用句があり、信長はそれを転用したわけです。四国なので「島」なのでしょう。

20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0279 20140504 長宗我部元親公初陣像 高知 若宮八幡DSC_0278

戸次川で亡くなった信親の供の方々の名前が列記してありました。

なお、来る2014年5月17日(土)には元親の本拠地だった岡豊城で長宗我部フェスが、ここ若宮八幡宮では5/18(日)に長宗我部祭りが開催されるとか。戸次川でともに戦った豊後大友宗麟鉄砲隊の演武や、甲冑武者行列、戦国BASARAで長宗我部元親役を演じた石野竜三氏のトークショーもあるなど、ものすごく内容盛りだくさん。タイミングが合えば見てみたかったです。

と、高知では近年、長宗我部アゲが勢いついているそうです。もっともっと盛り上がるといいですね!

昨日の記事にも書きましたが、銅像はモニュメントであり記念碑でもあります。弊社大塚の作る墓石もモニュメントであり記念碑でもあります。各地の様々な記念碑を見て勉強していこうと、ブログ担当Tは感じました。

このあと、長宗我部元親のお墓と信親のお墓にもお参りしてきましたので、それはまた別の記事にしてみます。

~ ~ ~ ~ ~

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・坂本龍馬の視点に立って、現代の日本、太平洋を見て考えてみる

2014年5月3日土曜日 晴れ

坂本龍馬の視点に立って、現代の日本、太平洋を見て考えてみる。

難しい話ではありません。つまりこういうことです↓

 

 

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0366

銅像業界(?)の中でも特に有名な、坂本龍馬像の目線の高さに立ってみる!

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0387

と、そんな期間限定の催し物に行ってまいりました。

それでは、現地入りから時系列であらためて書いて行ってみます。

高知県高知市の観光名所、桂浜に向かいます。月の名所の桂浜です。坂本龍馬像のある場所、それが桂浜です。

場所はこちら↓https://goo.gl/maps/XzkL3       20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0339 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0340 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0345

桂浜駐車場に到着。桂浜は遊泳禁止の浜です。景観が損なわれるとかそういうことではなく、単に「急激に深くなっており、また波も荒いため危険」だからです。案内板を見て場所を確認したら坂本龍馬像を目指します。龍馬像は桂浜に面した小高い丘の上、松林の頂上にあります。

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後姿が見えてきました。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0348 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0351

台座のプレートには「時 昭和三年五月  建設者 高知県青年」とあります。有志のみなさんによって建てられたということは有名ですね。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0353

平成26年、2014年4/12土~5/18日までの期間限定にて「龍馬に大接近」の催し物が開催されています。入場料はなんと100円!坂本龍馬ファンにとっては、アイドルの握手会に行くアイドルファンの方や、特急の最後の雄姿を写真におさめる撮り鉄さんのような、とっても貴重なイベントです。何せ普段は坂本龍馬の目線に立つなんてできませんので。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0355 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0389 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0390 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0354 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0391

坂本龍馬像を見たことのある方ならば、↑こんな感じで見た記憶があるのではないでしょうか?ですが今は像の隣に「心はいつも太平洋ぜよ」と書かれた赤い欄干の櫓があるのです。

櫓の足元には説明書きがありました。(クリックすると元画像が表示されます。)

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0384 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0385 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0386

ではせっかくですので櫓にのぼってみます。ここまで来て登らない手はありませんし。

櫓の内部は、想像通り単管で工事現場チックに作られていますが、足元は広く作られていて、しかも手すりもついています↓ただし、こういった場所を歩いたことのない方にとっては、プチ工事現場体験にもなるかもしれません。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0380 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0382

頂上に着きました。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0364

携帯電話、カメラ等を落とさないよう注意しましょう。

そして記事冒頭の光景が目に入ってきます。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0365 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0367 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0368

下から見上げた想像よりもずっと高く感じられました。坂本龍馬は太平洋の朝日が昇る東を見つめています。「日本の夜明けぜよ」ですね。

櫓の上の欄干内はそんなに広くないのですが、少しだけ角度を変えて撮影することができます。角度によっては見え方が大分変ってきます。表情や考えていることも変わって感じることもできるかもしれません。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0357 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0358 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0359 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0369 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0374

↓遠くを進む柱のある船、なんとなく幕末の大きな帆船に見えなくもありません。

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ところで、坂本龍馬さんが見ている視界には何が見えているのかと言うと・・・

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0360

土佐湾が広がっています。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0363 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0362

港を行き来する船や、↓一番右は種崎海水浴場です。長宗我部の遺臣が相撲大会で悲劇にあった場所でもあります。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0370 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0371 20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0372

足元↓には、坂本龍馬像を見上げる人たちと、アイスクリンやさんが見えました。坂本龍馬もアイスクリンを食べたいことでしょう。

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0361

 

余談ですが、アイスクリンというのは、アイスクリームの誤打ではありません。明治2年に日本で初めて横浜馬車道で販売された時の名称が「アイスクリン」でした。その後、牛乳や生クリームの代わりに卵や脱脂粉乳を用いたものを「アイスクリン」と呼ぶようになり、アイスクリームとは別物として歩んできたのですが、現在では沖縄や高知、大阪城公園などの一部でしか見ることができなくなりました。が、ここ高知県では全県で味わうことが出来る美味しいスイーツなんです。

たくさん写真も撮りましたので、櫓を降りてみます。アンケートに答えるともらえるという絵葉書をもらいました↓

20140501 高知 土佐 桂浜 坂本竜馬像 大接近DSC_0392

ハガキは三種類あるのですが、手に入れたのは「世の人は われをなにともゆはばいへ わがなすことはわれのみぞしる」の龍馬自筆の書の書かれているハガキでした。十代の青年坂本龍馬が詠んだ有名な歌です。

さて、せっかく桂浜まで来たのですから、名勝桂浜、坂本龍馬も愛した桂浜を歩いてみます。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0394 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0395

太平洋はでかいです。海なし県の住人としては、波打ち際が見えるだけでテンションが上がってしまいます。

右手の奥には竜王岬が見えています。絵葉書などにもなる有名な「ザ・桂浜」というアングルです。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0398 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0400

救命ペットボトルと、危険への注意喚起の看板がところどころあります。テンションあがっても、桂浜では海に入ってはいけません。

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振り返ってみます。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0412 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0413

↑岩がありますが、かなり巨大な岩です。人間が見えているので比べてみてください。

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岬の上に立つ神社を目指してみます。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0420 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0419

海津見神社(わたつみじんじゃ)です。竜王宮です。こちらの案内板によると、御祭神は大綿津見神(おおわたつみかみ)。完全に海の神様ですね。創建は不詳ですが、長宗我部時代とも言われているようです。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0417 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0416

最近、海難事故などもニュースにのぼったりしています。海の安全を祈ってきました。社殿内の依代はなんと石塔でした。

振り返って岬の付け根を見てみます。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0423 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0421 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0422

↑左が西浜、右が本浜(桂浜)です。かなり険しい岬だということがわかります。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0424

↑広さのない岬の上の神社なので、社はコンパクトです。絶えず強い海風にさらされているので、社や鳥居など石造りの箇所の風化もとてもはやいようで、内陸にある石造りのものとは大違いの様子でした。

↓こちらの写真、何もないように見えますが、実は中央に坂本龍馬像の頭が見えているんです。拡大するとわかりますよ。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0418

岬の足元は、太平洋の親潮が荒々しく水しぶきを上げていました。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0426 20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0427

↓ここから見る桂浜の全景です。

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0431

↓どうやら修学旅行か遠足か社会科見学か、学生さんがたくさん到着したようです。ここは遠足などのメッカでもあります。混雑する前にもどらないと・・・(^_^;)

20140501 高知 土佐 桂浜DSC_0432

坂本龍馬の銅像を見に来ましたが、やはり桂浜はとてもダイナミックで美しい景勝地でした。

坂本龍馬の銅像はモニュメント。弊社大塚の仕事もお墓と言うモニュメントづくりです。たくさんの人が訪れるようなモニュメントはとても素敵ですね!今度はいつか坂本龍馬のお墓も訪問してみたいと思いました。

*************

近くに長宗我部元親の銅像もあります。訪問記事→長宗我部元親初陣像を見てきました

 

~ ~ ~ ~ ~

関連のある記事

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・20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜

2014年5月3日土曜日 晴れ

昨日、芝桜の綺麗な画像を大塚本社のASさんからもらいました。

武甲山をバックに、一面の芝桜が見事です。

20140502 埼玉県秩父市羊山公園芝桜と武甲山.jpg 

見ごろを迎えていますね!よく見てみると黄色いタンポポも目に入ってきました。

5月2日はゴールデンウィークの谷間の平日。にもかかわらず、たくさんの人が見に来ていました。連休後半の人出はきっとすごいことになる思いますので、お出かけされる方は渋滞などご注意を。

まさにとりあえず秩父は今がドンピシャ、見ごろのピークということでしたが、芝桜の数あるほかの名所も見ごろなのではないでしょうか?

*****************

後日、上記ケータイ画像とは別のデジカメ画像をもらいました。とっても綺麗なので並べてみます。

まずはパノラマ写真。

20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1136 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1162

とっても広いんですね!

20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1131 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1132 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1134 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1140 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1142 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1143 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1149 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1150 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1153 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1154 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1155 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1156 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1158 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1164 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1165 20140502 埼玉県秩父市羊山公園の芝桜DSCF1166

 

いつか機会がありましたら私も行ってみたいと思いました。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・やなせたかし先生のお墓「朴ノ木公園(ほうのきこうえん)」に行ってきました

2014年5月2日金曜日 晴れ

一昨日のことになりますが、高知県香美市にあります「朴ノ木公園」に行ってきました。場所は香美市にあるアンパンマンミュージアム(香美市立やなせたかし記念館)から車で約5分くらい。

グーグルマップではこちらが現地になります。https://goo.gl/maps/gt8Th

やなせたかし先生の実家跡がお墓の公園になると昨年10月このブログでも記事にも書いたのですが、今年2014年4月20日に公開となったとニュースで見てから、尋ねてみたい場所として自分の中で一位になっていた公園です。

ミュージアムのサイトでは「GWはアンパンマンミュージアムからのシャトルバスをご利用ください。(公園専用の駐車場はありません。)」とありましたが、一昨日4/30は平日ということもあり公園近くに駐車することができました。香美市観光協会さんのスタッフブログに、詳しいアクセスについて書かれてました。訪れる人にとってはとてもありがたいブログです!明日からのゴールデンウィーク後半や祝祭日にご訪問される方はアクセスや駐車場に気を付けてください。

さて朴ノ木公園の近くにある高照寺さま。

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岩室山高照寺平成の大修理で志納された方々のお名前が並んでます。中央の「南無大師遍照金剛」の文字のすぐ右側に「柳瀬嵩」の文字が!柳瀬家の菩提寺だそうです。

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ホオちゃんが案内してくれてます。朴の木は「ほうのき」と読みます。そしてここは朴の木地区。柳瀬家の菩提寺の高照寺さまと氏神様の厳島神社の間に朴の木公園はあります。

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案内板がありましたので、まよわずに公園にたどりつくことができるのですが、傾斜のあるこの地区に立つそれぞれの家、建物はどちらもとてもきれいな石垣と練塀と複層の屋根を持つ蔵とを見ることができ、穏やかで豊かな土地なんだなぁと感じられます。前夜に降った大雨のせいか、幾筋もながれている水流も水の勢いが強めで、せせらぎの音がずっと聞こえてきています。

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↑せせらぎを耳に段々畑を進むと白く丸いものが見えてきました。どうやら公園の北側、裏側が見えているようです。

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↑朴の木公園にたどり着きました。入口には北を向いたお地蔵様と、そして役所の職員の方がいらっしゃいました。簡易ですがトイレもあります。

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やなせたかし先生のお父様のご実家跡地ということですが、巨大な公園ではなく、きれいな植栽とおなじみのキャラクターたちがいる親しみやすい公園です。遠くから見えていた白く丸いものは、そうです!みんなのアンパンマンでした。

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この公園のメインはやはり、やなせたかし先生のお墓です。さっそくお参りしましょう。

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柳瀬家はここにあった 300年以上続いた旧家だが 今は影もかたちもない 一族の墓石は 後方の 山の中腹にある ぼくはここでねむりたい 故郷の土はあたたかい 木蓮科のマグノリア 一本の朴の木にぼくはなりたい 季節にははにかみがちに 白い花を咲かせて 風の中でゆれていたい

やなせたかし

(以上、石碑より引用)

 

石塔の裏側には

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やなせ先生は奥様とお二人で眠られているんですね。

それにしても、とても大きな墓石です。洋型墓のカタチをとっています。そして両脇には大きなアンパンマンとバイキンマン。

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アンパンマンとバイキンマンは斜め方向を向いています。職員の方に聞いてみたところ、どうやらやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムの方向を向いているようです。

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アンパンマンとバイキンマンには、丸い踏み石が続いているのですが、よく見てみると・・・

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踏み石の中にアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんがいました!(画像だと少しわかりにくいですね(^_^;))

墓石と向き合うように、ふたつの石碑が配置されていました。

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ホオノキ やなせたかし

ヒノキは高級な木 ホオノキは低級な木 朴歯の下駄とか マナイタになる でもホオノキのマナイタは 自分が傷ついても 決して包丁の刃をいためない トントントン 音がうれしそう ホオノキはモクレン科 ひかえめな木 ぼくは下駄の歯と マナイタでいい 低級な木のホオノキでいい 生まれたところも香美郡在所村 朴ノ木(ホオノキ)だしね

(以上、石碑より引用)

やなせ先生の詩集があったらぜひ手に入れたいと思います。

もう一方の石碑には

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アンパンマンのマーチの歌詞が刻まれています。歌詞がかかれているので、石碑の裏側にはJASRACの番号も刻まれています。

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公園内には、おなじみのショクパンマンやカレーパンマン、メロンパンナちゃんとジャムおじさんもいました。(ばたこさんと、めいけんチーズは?)

遠くからもわかるように、公園の名前の書かれた横断幕があります。目印になりますね!

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しかし、なんとよい土地なのでしょう。なんだか離れるのが名残惜しい気持ちになる、風光明媚な場所です。新緑の季節で日差しもあたたかく、とても気持ちよくお墓参りできました。

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それにしても段々畑の石垣が幾重にも重なって見えて、とっても綺麗です。さてそろそろ公園を後にしてみます。来た時とは別の道で離れてみます。

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こちらの道から来るときは、↑複層の屋根の付いたこちらの蔵と、↑遠くからも見える横断幕が目印ですね!

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↑すぐの場所にある氏神様の厳島神社。むこうに公園の横断幕が見えています。ちょっと寄り道してこちらもお参りしてきました。

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繊細かつダイナミックな石彫刻の灯篭です。すばらしい。

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規模は決して大きいとは言えない厳島神社でしたが、歴史を感じられる境内と拝殿、そして周りを巡る小川のせせらぎがここちよく癒してくれる、とても暖かな気持ちになる神社でした。きっとやなせ先生も毎日この前をあるいたのでしょうね。

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とても気に入ってしまった朴の木地区と、やなせたかし朴の木公園。またいつか尋ねてみたいものです。

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おまけ やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム

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高知県の子供たちにはおなじみのアンパンマンミュージアム。全国からもたくさんの方が訪れています。ゴールデンウィーク中ではありますが平日と言うこともあってすいていました。↑右下の写真、鯉のぼりとともに高知のみで見られる「ふらふ」という大きな旗、大漁旗に似た旗がたなびいています。鯉のぼりと一緒に子供の成長を願う旗です。フラッグが転訛して「ふらふ」と呼ばれているとか。

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↑元気ひゃくばいになりそうです。思わず「あーんぱーんち!」と口に出てしまいそう。

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↑この四角い建物がやなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムです。

バイキンロボットがこちらをみてます!

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このロボット、実はかなり大きいのです。

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バイキンロボットの横の道には、キャラクターたちが並んで展示されています。

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石造りのアンパンマンたちもたくさんいます。

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黒い蝶々も飛ぶ、おだやかな日です。

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あんぱんちは、車でくる人をお出迎えしてくれているようですね!

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近隣の案内図です。

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なぜかダムのタービンも展示されています。

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水力発電の水車なんですね。でもここにあることでたくさんの方の目に触れることができているのは、とっても貴重なことだと思いました。

 

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・正しいお墓の買い方 [その6] 9.墓石の形

正しいお墓の買い方 [その6]

(前回 正しいお墓の買い方 [その5]

9.墓石の形。

現在建立されている墓石は、大きく分けると三段型の和型とオルガン型の洋型に分類されます。三段型の墓石は、江戸時代中期頃より一般庶民が建てるようになったお墓の形です。その原型は五輪塔とも言われていますし、位牌を形どったものとも言われています。当初は仏塔として人が亡くなると、一人一基ずつ建立されましたが、家制度の導入と共に家墓、代々墓となり、仏塔としてのお墓は形骸化し、その形だけが今日まで継承されています。洋型墓石は仏塔としてのお墓が完全に形骸化した昭和40年初頭に出現し、あっという間に全国に普及しました。そして、今日では、家制度が崩壊し核家族化、少子化が進みお墓も家族墓、夫婦墓、両家墓、個人墓、永代供養墓など、急速に多様化し、墓石の形も人によって、あるいは求めるお墓によって様々になりました。特に近年、自分好みの自分らしいお墓作りをされる方が急増し、洋型墓石はデザインを競う時代に入り、素敵なお墓がたくさん目につくようになってきました。

このほか、一般的な墓石として五輪塔があります。平安時代中期頃できた仏の姿を表し、森羅万象をかたどった伝統的な供養塔です。お釈迦様の遺骨が納められた塔を原形として、古来インドの地・水・火・風・空の五大(要素)思想に基づいて作られたもので、報恩供養を願って建立される代表的な供養塔です。

こういう形はいけないとか、宗教を無視した新型墓石はいけない、などと言われる先生がおられるようですが、お墓の原点はネアンデルタール人が花を手向けたその心です。形ではありません。従ってどういう形の墓石で建てられるかは、作られる方の自由です。それにお釈迦様はお墓のことは何も話されていません。それは人の心が決めることと悟られていたからに違いありません。それにもし宗旨、宗派に即して建てなければならないなら、三段型墓石が誕生した江戸時代にさかのぼって、当初意義づけられた仏塔として一人一基ずつ建てなければなりません。そんなことをしたら、日本中お墓だらけになってしまうのではないでしょうか。

 (全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

霊園や墓所によってはお墓の形など規制されているところがあります。より詳しくは、お気軽にご相談・ご質問ください。お墓ディレクター有資格者(石産協)やお墓相談員(全優石)など専門の知識のある者が丁寧にご対応させていただきます。

正しいお墓の買い方 [その7]

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