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月別アーカイブ: 2014年5月

・ヘビの赤ちゃん

2014年5月14日

こんにちは。墓石、墓地と霊園をご紹介している埼玉の石材店、大塚のブログ担当Tです。

昨日夕方の18時過ぎ、家の車庫の片隅にヒモのようなものが落ちていました。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 1

おや?ヒモではなさそうです。落ち枝でもなさそう・・・これはひょっとして・・・

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 2

ヘビでした!

でもまだ小さい赤ちゃんです。30cmもないくらい。アオダイショウかと思われます。

赤ちゃんヘビはこちらの様子をうかがっている。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 3

アップで見てみると、赤ちゃんでも迫力ありますね~(^_^;)でも赤ちゃんなので、目が大きく感じられます。かわいらしくも感じられます。

アオダイショウはこちらが何もしなければおとなしいヘビです。きっと目の前に大きな別の生き物が急にあらわれて怖かったのでしょう。チョンと棒でつついたらダッシュで逃げて行きました。

自宅 家 ヘビ へび 蛇 赤ちゃん 子供 アオダイショウ 4

ヘビはその姿から怖い、気持ち悪い、気味が悪いと忌み嫌われる存在ではありますが、家にいる場合は守り神になってくれるとも言われています。少なくとも小動物や害虫を駆除してくれそうではありますね。

お墓のある墓地などは森林に囲まれた場所にあるという場合も多く、さまざまな動物もいたりすることもあるかと思います。ひょっとしたらへびもいるかもしれません。そんな場合は、お墓を守ってくれているのかもしれませんね。お墓参りのときなどに青大将に出会ってしまった場合は、おとなしい蛇ですので無理に刺激したりせず、いなくなるのを静かに待っておいてください。

目の前に出てこられるとびっくりしてしまいますが、見えないところで家を守ってくれているとしたらとてもありがたい存在。

赤ちゃんがいるということは、その兄弟姉妹や親もどこかにいるということ。みんなで家を守ってね~

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・5月11日は母の日でした

2014年5月13日火曜日 曇り

本日の記事は、霊園と墓地をご紹介し墓石を販売している石材店の弊社大塚、本社営業のKAさんからの思わずほっこりとしてしまう記事です。以下本文↓

 

少し前の話になりますが5月11日は母の日でした。

 

日頃もしくは長年の感謝をこめて、贈り物や何かしらのサービスした方も多かったのではないでしょうか?

世間一般の例に漏れず、私もハッピーマザーズデイとやらに乗っかりました!

 

こんなカード贈って。

5月11日は母の日でした1

 

次にお花渡して。

5月11日は母の日でした2

 

チョコをプレゼントして。

5月11日は母の日でした3

中身を(結局私も一緒に)いただきます!

5月11日は母の日でした4

これでしっかり感謝の気持ちが伝わったのかは分かりませんが、母にありがとうを贈ろうと試みた一日でした。 

皆様の母の日はどうでしたか?

近くに居ても遠くに居ても、感謝の気持ちを何らかの形で贈れたら素敵ですね!

~ ~ ~ ~ ~

弊社の取り扱っている商品はお墓。お墓は家族や親族のつながりを再確認させてくれる装置であり施設です。家族のつながりを大切にしていたい。そう考えている株式会社大塚です。

・正しいお墓の買い方 [その8]  墓石を建てる時期  生前墓(寿陵墓)の考え方

正しいお墓の買い方 [その8]

(前回 正しいお墓の買い方 [その7]

 

12.墓石を建てる時期。

特別な決まり(法律)はありません。大切なのは供養の心です。思い立ったが吉日でよいと思います。一般的には、四十九日、百ケ日、月忌、一周忌、三回忌などの法要を営むときに納骨されることが多いようです。

 

13.生前墓(寿陵墓)の考え方。

お墓を建てることは仏事です。仏教では生前に仏事をすることを「逆修」といって、大変功徳の高い善行と説いています。事実「灌頂経」「地蔵本願経」というお経の中でお釈迦様は「生前に死後の仏事を修めておくと、その幸せは無量で計り知れない」と説いておられます。中国でも寿陵は長寿を願うめでたい墓として秦の始皇帝をはじめ歴代の皇帝が作っています。日本では聖徳太子が作られています。従って生前墓がいけないという根拠はなさそうですね。

寿陵イラスト

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

 

正しいお墓の買い方 [その9]

・埼玉県内最大のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園

2014年5月11日 日曜日 晴れ

昨日からはじまりました、埼玉県北足立郡の伊奈町にありますバラ公園でのバラまつり。バラ公園は伊奈町制紀念公園内にあります。美しいバラの町伊奈の一番いい季節がやってきました。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4423 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4424

バラまつりは、今年2014年は5/10土曜日から開催。昨日10日は、まだパラのピークではありませんでしたが、現在咲いているバラもとても綺麗でした。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4421 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4309 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4311 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4324 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4337 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4345 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4376 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4382 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4383 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4388 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4395 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4401 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4258 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4266 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4294 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4308

ピークはどうやら来週以降の様子です(と、チケット売り場の方に教えてもらいました)

もらったチラシによると、本日14時からは安木節踊りがあったようですね。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4426

17日と18日には、ゆるキャラ登場の観光物産展(両日)や、バトン演技と手話コーラスと太鼓演奏(それぞれ17日)、パークトレイン運行(18日)、ミニコンサートとコーラスとYOSAKOIソーラン(それぞれ18日)、ミスユニバース埼玉写真撮影会(18日)。

24日には、カスタムカー展示とミニコンサートなど。25日にはジャズ演奏、太鼓演奏、ダンスなど。

盛りだくさんですね!

埼玉県内最大のバラ園。4,500株以上のバラがあります。ゆるキャラのローズ君とローズちゃんが綺麗なバラたちと一緒に待ってますよ!

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4425

※バラ公園のすぐ隣には、弊社大塚がいつもお世話になっております西蔵院さまがあります。

~ ~ ~ ~ ~

過去記事

バラ公園①  バラ公園②  伊奈町町制施行記念公園 紅葉

20140331 埼玉県伊奈町羽貫 西蔵院 桜満開

 

 

・素人がセロリを自宅で大きくできるか?セロリの水耕栽培から鉢植えに

2014年5月10日土曜日 晴れ

ブログ担当Tの好物にセロリがあります。以前スーパーで買ってきたセロリ、売り場で水に浸かっていたので、あまったセロリを水につけておいたところ、元気に長生きしてきておりました。

そして現在のそのセロリがこちら↓

20140510 セロリ水耕栽培

ガラス瓶に入れてるだけです。葉が青々として生き生きとしています。(ガラス瓶のゴールドブレ〇ドというラベルには注目しないでください。)

いつからか、最初はなかった根っこが伸びてきて、今では沢山の白い根っこでまさに「水耕栽培」状態になってきました。

20140510 セロリ水耕栽培根っこ拡大

さてここからが実験です。ちょっとこのままだとかわいそうかなと感じましたので、植木鉢に引越しさせてみたいと思います。

20140510 セロリ水耕栽培を鉢植えにする

今まで水いっぱいの状態でしたので、水分は大目にしていこうと思っていますが、はたしてこのままさらに大きく育てることはできるのでしょうか?そして育ったセロリを美味しくいただくことはできるのか?

セロリは高原の植物なので、このまま部屋で育てることになりそうです。というか、さきほどの白い根っこが無事に鉢植えの土に根付くことができるのか。

頑張れセロリさん!

 

・2014年5月9日のコロコロ変わる空模様 積乱雲、ゲリラ豪雨、突風、夕焼け

2014年5月9日金曜日 晴れ→雨→晴れ

本日は天気予報で「昼過ぎに激しい雨が降り、すぐあがります」と聞いていました。

そして丁度昼過ぎ、一度目の激しい雨は食事をしていて見逃してしまいましたが、その後の空模様を定点にて観察することができました。

 

13時

20140509 空模様の推移 13時DSC_0090 20140509 空模様の推移 13時DSC_0089 20140509 空模様の推移 13時DSC_0092

↑左から南、西、真上です。先ほど激しい雨が降りましたが、西から色の濃い雲がこちらに進んできています。

 

13時50分

20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0094 20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0093 20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0095

↑左から南、西、真上です。一気に暗くなってきました。西から近づく雨雲が真上に広がった感じです。このあと第二段の雨が降りました。

 

15時19分

20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0097 20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0096 20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0098

↑左から南、西、真上です。二回目の雨は終わりましたが、今度は突風が吹き荒れています。昨年春にありました「煙霧」に少し似た空気になりましたが、昨年の煙霧ほど埃で空が見えない状態までにはなりませんでした。が、かなり埃が空に舞っているのが分かりました。地平線方向が茶色です。

 

17時

20140509 空模様の推移 17時DSC_0101 20140509 空模様の推移 17時DSC_0100 20140509 空模様の推移 17時DSC_0102

↑左から南、西、真上です。積乱雲はどこかに消えてしまいました。突風も弱まってきました。西の空は太陽があって眩しいですが、秩父連山が見えるようになっています。地平線ちかくに見える茶色い空気はまだまだ残っているようです。

 

そして18時半

20140509 空模様の推移 18時半DSC_0105 20140509 空模様の推移 18時半DSC_0109

日没です。

 

時間を追って空の様子を見てみると、比較できる写真が残せました。

 

綺麗な富士山の様子や、綺麗な夕焼けの様子もいいけれど、たまにはコロコロと変化する空模様を見てみるのも面白いですね。

 

 

・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

2014年5月9日金曜日 晴れ

先日の長宗我部元親公のお墓参りに続きまして、元親の長子で戸次川の合戦で戦死した長宗我部信親のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました。

雪蹊寺は高知市長浜の、長宗我部元親公のお墓の比較的近くにあります。場所はこちら↓ 

雪蹊寺は四国八十八か所の33番目の札所です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0468- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0469

県道に面した入口には「雪蹊寺(33番札所)」の文字とともに「長宗我部信親の墓」の文字のある看板↓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0470 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0472

↑四国のへんろ道を世界文化遺産に・・・世界遺産を目指しております。「人生御遍路」です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0474-

延暦年間(782~806)に弘法大師(空海)が開基。ということなので、1200年以上前に建てられたお寺です。もとは高福寺と言いましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天像(国重文)が安置されたことから慶運寺と改称された経緯があります。その後戦国時代に長宗我部元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称されました。儒教の南学の中心地とも言われています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0473 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0475 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0476 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0478

歴史あるお寺だけあり、古い石塔がたくさん並んでいます。

実はここ雪蹊寺はすぐ隣に「秦神社(はたじんじゃ)」があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0483

秦神社の御祭神は長宗我部元親。長宗我部家は秦の始皇帝の流れを組むという渡来の豪族、秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を名乗っていました。そのためここ秦神社には秦家累代の霊と、家臣忠死者も配神として祀られています。神社の拝殿の幕には、かたばみの紋が。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0479 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0481 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0484-

長宗我部家の家紋は「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。そのため、雪蹊寺、秦神社には↓の「丸に七つ酢漿草紋」の戦幟がいくつか配置されてました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0509

明治の世になり、廃仏毀釈の中、雪蹊寺が一時期廃寺となった際、雪蹊寺に収められていた衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として秦神社が祀られました。なので、秦神社の建立は明治4年です。神社には木造のほか、国指定重要文化財である絹本著色長宗我部元親画像もありますが、現在は高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に委託保管されています。

秦神社への参拝後、すぐ隣の小高い山にある神社もあわせて参拝。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0486 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0485

長宗我部家臣が奇跡の神鏡を拾い命拾いしたために作られた西宮神社(えびす様)。石段を登った先に社殿があります。実はこの小高い山は、長浜城跡なのです。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0482

西宮神社はその小高い城跡の一部に祭られています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0489

位置的には、秦神社のすぐ横、雪蹊寺の裏手にあたります。なので、雪蹊寺の見事な墓石がちらほら目に入ってきたりもします。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0490

それでは隣の雪蹊寺に戻ってみます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0491 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0494 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0506- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0508-

臨済宗のお寺様ということで、凛とした造りのお寺に感じられます。33番札所なので、お遍路さんもいらっしゃってます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0492 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0493-

四国八十八か所のお寺は、弘法大師さまが開いた霊場なのですが、ここ雪蹊寺のように必ずしも真言宗のお寺ではないというところも多々あります。臨済宗の雪蹊寺にも↑のように大師像が置かれていたりします。また、柄杓が篤志の方から奉納されていたりと、なかなか興味深いものを感じました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0495 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0505

境内を歩いていると、「長宗我部信親公墓所」の案内を発見しました。↑実は右の写真、一番奥の木立の中に宝篋印塔の信親公墓所が見えているのですがわかりますでしょうか?

墓所の手前に案内板が。ここには信親公のお墓だけではなく、戸次川戦没者供養塔、香宗我部系の出で雪蹊寺中興の祖であり、関ケ原戦後の浦戸一揆の際に仲に立って開場に貢献したという月峰和尚のお墓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0496

お寺の裏側に木漏れ日の中にお墓はありました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0502 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0497

↑中央に信親公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、左に戸次川戦没者供養の五輪塔が、右には月峰和尚の丸い無縫塔(むほうとう)があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0499

お父上の元親公のお墓と比べて一回り小さいサイズではありますが、とても立派で保存状態のよい宝篋印塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0501

長宗我部家が関ヶ原で西軍につかず、大坂の陣で滅亡せず、江戸から明治まで残る大名になっていたならばもっと大きなお墓になっていたことでしょう。

↓戸次川戦戦没者供養塔です。こちらもとても美しいカタチの五輪塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0500

長宗我部信親は、長宗我部元親の長男として、将来を嘱望されていた武将です。

父元親は四国平定したものの、その後秀吉に屈服さぜるを得ませんでした。その後の九州征伐にて他の四国勢とともに島津氏と戦うこととなります。窮地に立っていた大友氏を助けるためという名目です。秀吉勢として父元親とともに出征した信親。秀吉の軍監仙石久秀の指揮のもと、戸次川の合戦にて秀吉勢は総崩れとなってしまったのですが、その際に多くの将兵が命を落としました。阿波の有力大名の十河存保(そごうまさやす)や、そして長宗我部信親と多くの供の者(700余名)も命を落としたのです。まだ22歳でした。

信親は身長184センチ、色白の長身だったようで、元親によって跡継ぎとして育てられてきたのですが、家臣の信望もとても厚かったようです。信親の「信」の一文字は織田信長からもらったのですが、その信長からも養子にほしいと言わせた程だったとか。そんな元親の後継者が他の若い多くの将兵とともに戦没したため、この後の長宗我部家は一気に衰えていってしまったとのことです。

戸次川の合戦についての記録は、雪蹊寺からも近い長宗我部元親初陣像の足元にもありますので、よしろければそちらもご覧ください。

~ ~ ~ ~ ~

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・・・・・??何事?  追突されました。皆さんもお気をつけて。

2014年5月8日木曜日 晴れ

今日は、大塚本社のSYさんからの記事になります。先日の話だそうです。以下本文↓

 

・・・・・??

何かな・・・?

あ、追突された。

あまりの衝撃で、一瞬わけもわからず。

少々冷静になると、背中に痛みが(かなり強打しました)

信号停止中で、背後の車は脇見運転。

ノーブレーキだったと、警察の方から教えてもらうも、痛い。

そして、なんと明日からはGW。病院が開いていない。連休中、

痛みと向き合いながら、仕事。

そしてシップで対処。

皆さんも気を付けて。

追突されました。皆さんもお気を付けて。

 

 

・長宗我部元親公のお墓をお参りしてきました。

2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0466

高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0465

突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0447

長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0446 長宗我部元親公のお墓DSC_0448 長宗我部元親公のお墓DSC_0449

この奥の石段の上にあるようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0463

新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0451 長宗我部元親公のお墓DSC_0453

石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0452

関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0454 長宗我部元親公のお墓DSC_0455

石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0461 長宗我部元親公のお墓DSC_0456

おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0458 長宗我部元親公のお墓DSC_0459

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0460

1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0462

元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

~ ~ ~ ~ ~

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・20140502 東名高速鮎沢PA(上り)から見える、朝焼けの赤い富士山

2014年5月7日水曜日 晴れ

ゴールデンウイーク中に、綺麗な朝焼けの富士山を見ることが出来ました。

-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色1

場所は、東名高速道路の鮎沢PA上りから。朝もやの中、赤く染まった富士山が目に入ってきてとてもびっくりしました。

富士山をほぼ真東が見る位置にあたるのですね!

写メをとった時間が朝の4時57分。日付は2014年5月2日。このあたりだとおそらく日の出の時間は4時46分くらいのはずなので、日出後の富士山が赤く見える絶妙のタイミングで鮎沢PAにたどりついたことになります。そのラッキーなタイミングにも驚きました。お日様と富士山に感謝です。(ここ神奈川県山北町は、経度が前橋市や新潟市と近いようなので、前橋市、新潟市の日の出の時間を調べてみました)

人もまばらな鮎沢PAでしたが、私の他に何人もの方が赤い富士山を写真に収めていました。

ご利益あるかな?

 

さて、弊社大塚では、富士山を見ることができる霊園もいくつもご案内しております。埼玉県の富士山のよく見える霊園としては、西上尾メモリアルガーデンや、さきたま霊園などが。千葉県ならメモリアルグリーン流山聖地、東京都ではメモリアルフォレスト多摩、神奈川県では、メモリアルパーク藤沢都筑まどか霊園南葉山霊園、などが富士山を見ることができます。

お気軽にお問い合わせください。
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

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