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年別アーカイブ: 2014年

・正しいお墓の買い方 [その11] 墓地についての基礎知識

正しいお墓の買い方 [その11]

(前回 正しいお墓の買い方 [その10]

 

墓地についての基礎知識。

正しいお墓の買い方と同様に大切な、墓地についての基礎知識をご案内します。

チェックと確認 正しいお墓の買い方

 

<墓地を決めるチェックポイント>

とくに、規則・資格・制限については、よく調べておく必要があります。遺骨を納めることのできる範囲、墓碑購入や工事を行う際の特定石材店の有無、墓石の大きさや形の制限の有無などです。

公営墓地では、ほとんど業者の指定はありませんが、寺院墓地や民営墓地の場合は特定の業者が指定されている場合があるので、必ず、確認しておきましょう。また、墓地の使用権の継承や譲渡についても、墓地それぞれの規定がありますので、確認しておく必要があります。

  • 安心できる経営・管理組織かどうか
  • 規則や資格・制限の詳細な確認(宗派による規則や資格など)
  • 区画の面積
  • 費用と支払い方法(ローンについてなど)
  • 墓地までの交通の便
  • 管理が行き届いているかどうか
  • 墓地の設備と周辺環境

 

<購入申し込み>

墓地を購入するということは、実際にその土地が自分のものになるわけではありません。半永久的に借りて使用権を得るのです。墓地を決めたら、管理者に購入を申し込みます。その際に、永代使用料と管理料を支払って、使用承諾証を受け取ります。

 

<永代使用料>

寺院等では冥加金、志納金などと呼ぶこともあります。永代使用料の金額は墓地によってかなり異なります。場所的には都心に近くなるほど高くなる傾向があります。また、寺院墓地の場合は、有名寺院になるほど高くなります。

 

<管理料>

墓地内の通路や水道、休憩所などの共用部分、管理事務所の維持などのために必要な費用で、墓地の使用権を持っている限り、支払い続けなくてはいけません。金額等については、支払方法も含め管理者(寺院墓地の場合はご住職)に確認することが必要です。

 

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

 

 

 →正しいお墓の買い方 [その12]へ

・五台山 竹林寺 本尊文殊菩薩平成の御開帳

2014年6月7日土曜日 雨

一か月ほど前の事柄になりますが、五台山竹林寺の、50年に一度の本尊文殊菩薩さまの御開帳に行ってきました。五台山竹林寺は高知県にあり、四国霊場三十一番札所になっているため、お遍路さんがたくさん来られてました。

五台山 竹林寺DSC_0198 五台山 竹林寺DSC_0199 五台山 竹林寺DSC_0200

↑駐車場にある看板です。竹林寺の文殊菩薩像は日本三文殊に数えられるもので、行基の作と伝えられているそうです。文殊菩薩に従う四人の従者とともにある文殊菩薩五尊像としては日本最古のものになります。四人の従者が今回の御開帳を案内してくれるそうです。(先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人)今年の秋にも御開帳がなされますが、その後に尊像を拝むことができるのは50年後になります。

五台山 竹林寺 客殿DSC_0202 五台山 竹林寺 鐘楼DSC_0204

客殿の横を通り、鐘楼堂を通過すると立派な山門にたどり着きます。聖武天皇の命にて僧行基が山を開き、その後空海によって整えられ、土佐山内家の庇護もあった立派な境内です。

五台山 竹林寺 山門DSC_0208 五台山 竹林寺DSC_0203 五台山 竹林寺DSC_0205 五台山 竹林寺DSC_0207

四人の従者がまた現れました。「もうすぐあえる。」そうです。わくわくしてきました。振り返ると山門がとても綺麗です。お遍路さんがいっぱい来ました。

五台山 竹林寺DSC_0214

本堂につづく参道、境内の庭には苔むした石塔や神社、お地蔵様などが並んでいます。それにしても苔がとても綺麗です。

五台山 竹林寺DSC_0213 五台山 竹林寺DSC_0216 五台山 竹林寺DSC_0217

参道も広く、大きな石段も幅が広くてとても美しいお寺です。紅葉の季節はきっと抜群の見え方になるのでしょうね。

五台山 竹林寺DSC_0218 五台山 竹林寺DSC_0219

振り返って山門を見てみると、今来た道のずっと向こうに見えます。

五台山 竹林寺DSC_0220

石段の一番上から振り返ると、このように見えます↓美しい石段ですね!

五台山 竹林寺DSC_0239

石段を登り切りますと、複数の堂宇が目に入ってきます。その前に傍らに立つ石塔に目が行ってしまいました。

五台山 竹林寺DSC_0236

↑右の円筒型の石塔には「寄進」の文字が。中央は虚空蔵尊。左は真言を百万遍唱えたと書かれてます。それぞれ意味は異なりますが、信心の深さからの供養塔だということがわかりました。

五台山 竹林寺 五重塔DSC_0221

五重塔が新緑によく映えています。

五台山 竹林寺 竹林寺 五重塔DSC_0222 五台山 竹林寺 竹林寺 五重塔DSC_0233

五台山 竹林寺 竹林寺 五重塔DSC_0235

竹林寺五重塔

塔とはインドの古い言葉で「スツーパ」といい、それが中国で音訳されて「卒塔婆」、さらに略されて「塔」と呼びなられわれるようになったもので、その起源はお釈迦さまのご霊骨(仏舎利)をお祀りする墳墓にはじまります。

最初その形は土饅頭型でしたが、やがて、仏教がインドから中国、そして日本へと東漸伝播するに伴いその姿は各地の風土や人々の精神に合わせ移り変わり、今日、わが国では三重、五重の層をなす塔姿となったものです。

今、天空にそびえ立つ塔を仰ぎ見れば、その姿は仏教東漸の長き歳月と伝来の幾多の風土の中、数限りない人々の仏をしたい仏に祈る心がひとつの形に清らかに昇華されたものとも映りましょう。

当山には古くは三重塔がありましたが明治32年の台風により倒壊、爾来、塔再建を悲願としてきましたが、昭和55年12月、全国より多くの般若心経写経奉納の浄業を得、五重塔として復興することができました。

鎌倉時代初期様式、総高31.20メートル、間口4.80メートル、総檜造り、使用木材1,320石、使用瓦2,800枚、宮大工延べ人数5,400人。建築工事はその設計施工全般を香川県詫間町 富士建設株式会社(真鍋利光社長)が請負、京都宇治の工匠 岩上政雄氏がその施工にあたりました。

塔内にはインド・ブッダガヤより勧請されました仏舎利を納め、また、初塔内陣には大日如来を奉安しております。

~以上、案内板より引用~

五重塔のすぐ足元には、大師堂があります。↓こちらの写真の右側奥に五重塔があります。

五台山 竹林寺 大師堂DSC_0229

お遍路さんがいっぱいです。山内家の三つ葉柏の家紋が印された幕がかかっています。

五台山 竹林寺 大師堂DSC_0228 五台山 竹林寺 大師堂 お手綱・なで五鈷DSC_0226

お手綱・なで五鈷で、お大師さまと結縁ができるそうです。

さて本堂(文殊堂)。

五台山 竹林寺 本堂 文殊堂DSC_0224

↑左側にあるイベントテントが御開帳の入口受付になります。ここから先本堂内は撮影できません。テント内では文殊様の四人の従者についてお教えいただき、本堂内では内陣に進むことができ、貴重な五尊像を拝見することができました。

本堂を出ると、またもや四従者が。ご参拝ありがとうございました。(また会おうね!)

五台山 竹林寺DSC_0225

さて、それではこれから客殿に向かい、さらに文化財を拝見し名勝庭園も拝見させていただこうかなと思います。

五台山 竹林寺DSC_0240

客殿は一番最初の駐車場からすぐの場所にありましたので戻っていきます。途中の参道、やっぱりきれいですね~

客殿です。あいにく、こちらも内部は撮影禁止です。

五台山 竹林寺 客殿DSC_0201

でも、名勝庭園の撮影は大丈夫。国指定の名勝になります。

五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0241 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0243 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0244 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0246 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0248 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0249

↑こちらの庭園は北庭。大きく半円形につくられていて、どこから見ても正面に見えるように作られています。中央の石がホスト、その石とまるで対話しているかのように座っている石が客人。というようなストーリーを見るものに与えてくれる庭です。作者は臨済宗の高僧、夢窓疎石(夢窓国師)。多くの庭を造られましたがこちらの庭もその一つです。

トイレは当時のままなのでしょうか。とてもきれいな陶器のトイレでした。(穴があり、下に落ちるようになっていました)画像は小さくしておきます。(クリックすると元画像を見られます)

五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 陶器のトイレDSC_0250 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 陶器のトイレDSC_0251

↓こちらは西庭。中国の廬山(ろざん)と鄱陽湖(はようこ)を模しているそうです。

五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0252 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0253 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0255 五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0256

先ほどの西庭もですが、思わず音声解説を聞きながらしばらくの間、時間もわすれて眺めてしまいました。こちらも夢窓国師の作です。

五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0260

カメもいます。井戸も立派です。

五台山 竹林寺名勝庭園 夢窓疎石国師の作庭 DSC_0262

客殿は以上です。

竹林寺は、国指定の名勝である庭園のほか、本尊の文殊菩薩五尊像以下本堂などの建築物や幾多の仏像が国指定の重要文化財になっています。宝物の宝庫ですね。

貴重な体験ができた一日でした。

~ ~ ~ ~ ~

関連のある記事

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・五台山 竹林寺 本尊文殊菩薩平成の御開帳

 

・傘傾げ 江戸思草(しぐさ)

2014年6月6日土曜日 大雨

いよいよ関東も梅雨入りしました。日本中に大雨が来ています。台風のような、爆弾低気圧のような、威力のある梅雨入りになりました。

さて梅雨に入ると連日お世話になるツールが傘。

この傘の使い方で、粋でクールなのが「傘傾げ(かさかしげ)」。行き違う人同士が、すれ違う相手を思いやって傘をすれ違う反対側に傾けてすれ違うことを言います。これは「江戸しぐさ」という江戸時代の人々の素敵な仕草の中の一つ。しぐさを「思草」とも書くそうです。

傘傾げ かさかしげ 男女 子供

見知らぬ相手を思いやる、なんとも素敵な行動ですね。粋でcoolです。

雨の日はそんな「傘傾げ」に限らず、他の方を思いやる行動も考えることができそうです。たとえば人の多い場所で傘同士がぶつからないように高く上に持ち上げてすれ違うこともできますし、傘を広げる際に「誰もいないかな?」と確かめてから広げる、逆に傘を閉じるときにも周りに人がいないか確かめてから閉じる、閉じて持ち歩く際に傘先がほかの人にぶつからないよう自分側を向けてひじに傘をかける、電車で傘を置き忘れそうになった人に「傘わすれてますよ」と声をかける、など・・・実にさまざまな思いやりを考えることができそうです。

雨の日に捨て猫の赤ちゃんがいたらそっと雨がかからないように広げたまま置いて立ち去る。雨宿りしている女の子がいたらそっと傘を差しだして自分は雨の中走り去る。というようなシーンにはなかなか日常では立ち会えませんが、相手を思いやる傘のしぐさや行動は小粋にこなすことができる大人になりたいものです。

江戸しぐさ、他にもさまざまな行動があるようですので、ご興味のある方は調べてみてはいかがでしょう?→NPO法人江戸しぐさ様ページ

古き良きものを伝えて守っていく。弊社石材店の大塚が大切にしているお墓文化にも通じる温故知新の考え方です。

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雨についての関連記事

・雨と墓石

・墓石に残る黄色いシミ。花粉と黄砂の季節。水たっぷりのお掃除を。

・雨のあとの墓石 濡れると色が濃くなります

~ ~ ~ ~ ~

 

 

 

・墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い

墓石に刻む文字

今回は、墓石に彫刻する文字について、墓石の色や書体、文字に色を入れるとどう見えるか、色を入れないとどう見えるかを比較いただこうと思います。

比較しやすいように「家」の文字だけ撮影してみました。

↓こちらは白御影石に彫刻文字は色をいれていないもの

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に色入れなしDSC_1947 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に色入れなしDSC_1965 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に色入れなしDSC_1968

↓こちらは黒御影石。

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなしDSC_1948 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなしDSC_1950

彫ってそのまま色を入れない状態では、白御影石よりも黒御影石のほうが文字を判別しやすくなります。

では今度は色を入れるとどうなるのか?

↓白御影石。

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1941 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に白い文字DSC_1946 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に白い文字DSC_1944 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1945 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1942  墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1963

書体や彫り方、入れる色によっても見え方はだいぶ変わってきます。

↓次は黒御影石に白い文字。

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に白い文字DSC_1949

墓石への彫刻は、文字の書き順などを考慮し、深い浅いを調整して美しく彫られます。

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなしDSC_1956 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に白い文字DSC_1963 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に色入れなしDSC_1962 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に色入れなしDSC_1957 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1964 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなしDSC_1960 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1962 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 白御影に黒い文字DSC_1964

彫刻は、サンドブラストによってなされるのですが、その砂はこんな感じです。

墓石に刻む文字 サンドブラストDSC_1953

もし墓地や霊園に行かれるような際には、それぞれのお墓の文字について、書体や色、文字の大きさなど実に千差万別ですので、ご参考にご覧になられてもよいかもしれません。

 

最後に、以前はすべて機械を使わずに人間の手によって石材を切り出し、磨き上げ、一文字一文字彫刻をしたのですが、今では機械によって上記にように美しく整えられています。

弊社展示場の片隅に、数十年前に手彫りにて彫刻された墓石がありますので比較してみてください。

墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなし 昔の手彫り彫刻DSC_1971 墓石に刻む文字 書体と墓石色と色入れによる違い 黒御影に色入れなし 昔の手彫り彫刻DSC_1972

機械を使わずに人間の手によって墓石をつくる。以前までの工程でつくられたお墓はとてもとても技術と心をこめて作られていたのだなぁとつくづく感じました。

~ ~ ~ ~ ~

墓石の文字関連記事

・正しいお墓の買い方 [その7] 墓石の大きさ 墓石に刻む文字

・戒名彫刻 追加字彫 「字刷り(じすり)」

・動画で見る「お墓ができるまで」 採石、石の加工、字彫、据付、引渡し、開眼供養

・お墓・墓石 石材店選びで知っておきたい10のポイント

・お墓に刻む文字② 五輪塔

・お墓に刻む文字①

・お土産 赤福と手羽煮

2014年6月4日水曜日 晴れのち曇り

今日は、石材店の大塚本社、Nさんからの記事になります。以下本文↓

 

家族が(日帰り)出張でお土産を買ってきてくれました☆

『さんわの手羽煮』と『赤福』

途中休憩で立ち寄った浜松で、風力発電機を見た!とかいろいろお話を聞かせてくれたけど・・・写メも見せてくれたけど・・・

赤福大好きヽ(≧▽≦)ノ”ワーイ

お土産② 赤福包装 お土産③ 赤福蓋をあけると

手羽唐大好き!手羽煮は・・・食べたことない~すごい楽しみ♪( ´艸`)

お土産① 手羽煮

お仕事で時間がないなか、どうもありがとうございます~お疲れ様でした!!

ちなみに浜松で見た風力発電機とは、直径80メートル以上もある風車が山の上にズラッと10基、民間の企業により設置されているそうです。最近、自然エネルギーのことやドイツの風力発電のことを本で読んだばかり、って話してたから、きっと感慨深かったのでしょう。(ちゃんとお話し聞いてました!)

浜松の風力発電機 

~ ~ ~ ~ ~

弊社大塚は墓地や霊園をご案内している石材店なのですが、以前は浜松の近くでも墓地、霊園をご案内しておりました。現在は静岡市清水区のメモリアルガーデン清水、沼津市のメモリアルパーク花の郷墓苑あしたかなどをご案内しております。

お墓をお求めの際はお気軽にお問い合わせください。

 

・雨のあとのお墓の墓石 濡れると色が濃くなります

2014年6月3日

先日、雨上がりの乾き始めた墓石の写真を撮りました。

そもそも、石は水を吸うということをご存じですか?石は細かな粒子の隙間に水分を含むことができ、表面的に濡れるだけでなく、内部にまでしみこむものなのです。石の種類によって、水を吸う量に違いがあることから、それを吸水率と呼び、それぞれの石種の特徴として数値化がなされています。

雨後のお墓参り、特に白い御影石では墓石が濡れて水分がしみこんでいる状態を目にされた方もいるのではないでしょうか?

それぞれの墓地や霊園にて、雨の降った後に白い墓石を見ることがありましたら、少し観察してみてください。

 

↓こちらは弊社石材店の大塚の墓石展示場にあります和型墓石です。

雨のあとの墓石 濡れると色が変わる1401674250806

石塔の縁の部分に水分が残っています。色が濃くなっているのがわかりますでしょうか?

雨のあとの墓石 濡れると色が変わる1401674313398

乾いてきているところと、水分が残っていてまだ濡れているところと、これだけ色が違います。木や布などと同様、濡れると色彩が鮮やかに、色濃く見えるようになります。

雨のあとの墓石 濡れると色が変わる1401674322971

水が滴って流れた部分。表面は濡れていません。内部にしみこんでいますが、少し時間がたてばこちらも水分が抜けて乾いてきます。

雨のあとの墓石 濡れると色が変わる1401674268918

↑別の部分になりますが、拡大してみました。石塔の角の部分です。

雨のあとの墓石 濡れると色が変わる1401674260726

↑こちらもまた別の部分。香炉を真上から撮影しました。色の明るさの差が大きいのがよくわかるかと思います。

↓別の雨の日の翌日の同じ石塔の写真です。

雨のあとのお墓の墓石 濡れると色が濃くなりますDSC_1961

 

和型墓石は三段墓ともいい、上から長い「竿石」、上から二段目が「上台」、三段目が「中台」、その下が「芝石」というのですが、一段上の竿石と三段目の中台でこんなにも色に差が出ています。

↓別の石塔にも同様の吸水が見られます。白御影石の多くは吸水の様子がとてもわかりやすい特徴があります。

雨のあとのお墓の墓石 濡れると色が濃くなりますDSC_1958

 

↓こちらはまた別の部材の写真ですが、側面向かって左側は鏡面加工まで磨かれた本磨き加工がなされています。正面右手前に向いている面は水磨き加工までなされている状態。水磨き加工のままのほうがより吸水の状態がわかりやすく、色の変化も大きくなります。

 

雨のあとのお墓の墓石 濡れると色が濃くなりますDSC_1966

 

お墓をお考えの際は、可能でしたら晴れの日の墓地と雨の日の墓地、そして雨後の半乾きの墓石なども見てみると、墓地、お墓、墓石それぞれの様子についてより理解が深まるかと思います。

 

なお、雨の日のお墓については以前に下記のような記事も書いておりますので、合わせてご参照ください。

~ ~ ~ ~ ~

雨についての関連記事

・雨と墓石

・墓石に残る黄色いシミ。花粉と黄砂の季節。水たっぷりのお掃除を。

・雨のあとの墓石 濡れると色が濃くなります

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・素敵な雑貨屋さんを発見しました。 雑貨屋 十夢(とむ)さん

2014年6月2日月曜日

今日は、大塚本社の営業SHさんからの記事です。以下本文↓

 

大塚本社の近くに素敵な雑貨屋さんを発見しました。

上尾市井戸木の大石北小学校の脇に桜並木の遊歩道があります。
桜の時期は、さぞ壮観なことでしょう。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)1

遊歩道沿いに「雑貨屋 十夢(とむ)」さんという雑貨屋さんがあります。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)2.

店内はこんな様子です。
犬と猫とさくらんぼをテーマにしたお店です。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)3

様々な商品が陳列されていて犬猫好きには堪らない光景です。

個人的な感想ですが、ジブリの作品に出てきそうな素敵な雰囲気のお店です。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)4 埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)5

店内では画家の金城幸也先生の絵画↓も販売しています。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)6

ん~ なんとも雰囲気がある素敵な絵画です。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)7

金城先生は、沖縄の画家さんで、犬や猫の絵の他に違うタッチの絵画も描いています。

凄い方なんですね~
この絵画↓も実際の目で見てみたいです。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)8

とても素敵なお店なので一度お出かけ下さい。

雑貨屋 十夢(とむ)
埼玉県上尾市井戸木4-21-9
TEL:048-774-7883
営業日:木・金・土(祭日も開店)
営業時間:11:00~17:00
リンク:http://homepage2.nifty.com/tomu/

営業日、営業時間が決まってます。
ご注意ください。

埼玉県上尾市 雑貨屋 十夢(とむ)9

 

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

2014年6月1日日曜日 晴れ

昨日の記事に引き続きまして、埼玉県行田市にあります忍城の訪問記事になります。(昨日の記事はこちら→ ・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

念のため忍城の場所はこちら。

国道125号線(バイパスではない方)沿いで、行田市役所の隣になります。

前回記事では、御三階櫓を下から眺め、木橋で本丸の堀を渡り、東門から本丸に入ったところまででした。↓こちらの案内図の左下あたりです。

埼玉県行田市 忍城 案内図DSC_0373

本丸の北東部分には、一段高い土塁の上に鐘楼がありました。

埼玉県行田市 忍城 鐘楼DSC_0420 埼玉県行田市 忍城 鐘楼DSC_0422

土塁から振り返ると・・・

埼玉県行田市 忍城 郷土博物館DSC_0421

整備された庭と、行田市郷土博物館が見えます。

埼玉県行田市 忍城 都市景観大賞 さいたま景観賞 石碑DSC_0423 埼玉県行田市 忍城 都市景観大賞 さいたま景観賞 石碑DSC_0424

都市景観大賞と、さいたま景観賞を平成8年に受賞されていたんですね!受賞記念の石碑がありました。そして↓このような案内板もありました。

埼玉県行田市 忍城 足袋蔵歴史のまち 蔵めぐりモデルコース 足袋蔵と行田市の近代化遺産DSC_0426

埼玉県行田市 忍城 足袋蔵歴史のまち 蔵めぐりモデルコースDSC_0428 埼玉県行田市 忍城 足袋蔵と行田市の近代化遺産DSC_0427

行田の町は足袋の町です。戦後はスリッパの生産も盛んになりました。また多くの蔵、足袋蔵も残っているそうで、蔵めぐりも行田の町を探訪する切り口になっています。

それでは郷土博物館に入ってみます。

埼玉県行田市 忍城 郷土博物館DSC_0430

ところが、「館内は撮影禁止」ということ(^_^;)残念!受付の方に「撮影してよいものはありますか?」と聞いてみたところ、入り口すぐの場所にある有志の方寄贈の忍城模型と、のぼうの城関連の掲示物、窓から見える景色は撮影してもよいとのこと。要するに展示物は撮影しないでくださいということのようです。お教えいただきありがとうございました(^_^)

↓こちら撮影許可をもらった模型です。郷土博物館、御三階櫓など現在の様子ですね。精密につくられています。こういった視覚に訴える模型があると、とてもわかりやすくて助かります!

埼玉県行田市 忍城 郷土博物館内の模型DSC_0434

↑の写真の左上方向に受付があります。↓そしてこちらも撮影許可をもらった、のぼうの城関連の掲示物。のぼうの城にまつわる史跡一覧地図になっています。元画像は少し大きめなのでクリックして元画像を拡大してみてください。

埼玉県行田市 忍城 のぼうの城の舞台を歩く(広域図)DSC_0436 埼玉県行田市 忍城 のぼうの城の舞台を歩く(城内図)DSC_0435

受付を通ると、展示物は撮影できませんので、窓から見えたもののみのご紹介になります。途中は鎧兜や刀、武具や各種道具、昔のお城の総構えの模型や現在の街並みとの比較パネル、忍版の御殿の細かな模型や農工具や出土土器、戦前の各種道具など多岐にわたっていました。

御三階櫓の各階にもさまざまな展示があったのですが、最上階から景色を眺めたい気持ちにせかされて早足でまわってしまいました。次回はじっくり見て回りたいです。

さて最上階。四方に窓があるのですが、窓には太い格子があるため、見ることができる景色は少し制限されてしまいます。

埼玉県行田市 忍城から見える さきたま古墳の丸墓山 桜満開DSC_0441

そんななか、ぎりぎり見えました。

埼玉県行田市 忍城から見える さきたま古墳の丸墓山 桜満開DSC_0438

↑さきたま古墳の丸墓山古墳です。豊臣勢による北条攻めの際、忍城を攻める上方勢の大将である石田光成が陣を敷いた場所です。桜の季節なので、満開の桜が綺麗な丸墓山がばっちりと見えました。

ちなみに、以前、丸墓山の頂上から見た忍城御三階櫓はこちら↓

・・さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079 さきたま古墳 石田堤 石田三成陣 丸墓山古墳から見た 見える 忍城 本丸 御三階櫓 天守閣 DSC_0079-

二月だったので雪が残ってますね。あちらから見えるということは、こちらからも見えるということ。ばっちり丸墓山を拝むことができて一安心です。

↓こちらは御三階櫓から降りてきた際に、渡り廊下から見えた景気です。やっぱり桜の時期に来て大正解だったようです。

埼玉県行田市 忍城 桜と石垣と城塀DSC_0452 埼玉県行田市 忍城 桜と石垣DSC_0453

郷土博物館の一階窓からはきれいな本丸と竹林も見ることができました。絵のようですね。

埼玉県行田市 忍城 郷土博物館から見える竹林DSC_0454 埼玉県行田市 忍城 郷土博物館から見える竹林DSC_0455

名残惜しいのですが、郷土博物館を後にし、残りの歩いていない本丸内を散策です。

埼玉県行田市 忍城 忍城御本丸跡 石碑DSC_0458

郷土博物館横の駐車場の傍らには↑「忍城御本丸跡」の石碑が。野球場だったときからあった石碑なんでしょうね~。

埼玉県行田市 忍城 行田電燈株式会社跡 石碑DSC_0460

↑駐車場の反対側あたり、こちらは「行田電燈株式会社跡」の石碑が。本丸跡はさまざまな使われ方をしていたのが少し残っているのですね。

埼玉県行田市 忍城 郷土博物館駐車場 桜DSC_0462

駐車場も桜に囲まれています。さて、先に進んでみます。

何やら四角い石が五つと立札があります。

埼玉県行田市 忍城 櫓の石垣DSC_0463 埼玉県行田市 忍城 櫓の石垣 立札DSC_0464

なんと「忍城櫓の石垣」とあります!これは石材店の人間としてはよく見てみないと。

埼玉県行田市 忍城 櫓の石垣DSC_0465 埼玉県行田市 忍城 櫓の石垣DSC_0466 埼玉県行田市 忍城 櫓の石垣DSC_0467

四角錐ではありませんが、竜や虎の爪のような美しい形状に整えられているのがわかります。貴重な資産ですね。大切に残して行ってください。

御三階櫓が見えてきました。今度は前回記事とは違い、本丸内から見える御三階櫓です。

埼玉県行田市 忍城 三階櫓と桜DSC_0469 埼玉県行田市 忍城 三階櫓と桜DSC_0470

↑先ほどは、見えている渡り廊下から外の景色を撮影しました。

埼玉県行田市 忍城 三階櫓と桜と城塀DSC_0472 埼玉県行田市 忍城 三階櫓と桜DSC_0473

城塀の上の屋根瓦越しの御三階櫓もまたかっこいいです。

本丸の内側はというと

埼玉県行田市 忍城 本丸DSC_0474

のんびりできる公園になっていました。

小説と映画がヒットした「のぼうの城」に登場する正木丹波守利英(映画では佐藤浩一さんが演じました)が戦没者のために出家して創建したのが高源寺。この高源寺さまは、弊社石材店の大塚がいつもお世話になっておりますお寺様で、墓地と墓石のご案内のお手伝いをさせてもらっています。(弊社高源寺さまページ高源寺の桜の記事

また弊社大塚がご案内しております、さきたま古墳の近くの「さきたま霊園」。こちらの経営母体も高源寺さまです。(弊社さきたま霊園のページ

またどこかのお城に行きましたら記事にしてみます。

~ ~ ~ ~ ~

参照記事 のぼうの城関連の記事

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

 

お城関連の記事

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その②

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

・群馬県館林市 館林城と出土墓石群

・伝源経基館跡(鴻巣市)

・埼玉県加須市 騎西城(私市城)に行ってきました

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

2014年5月31日土曜日 晴れ

少し前の時期のことになりますが、埼玉県行田市の忍城に行ってきました。

忍城といえば、小説と映画がヒットしました「のぼうの城」で石田三成による水攻めの舞台となったお城。小説と映画のヒットにより一躍全国区になった話題のお城ですが、その「のぼうの城」に登場する正木丹波守利英(映画では佐藤浩一さんが演じました)が秀吉の北条攻め後(忍城開城後)に戦没者の供養のために自ら出家したてた寺院が高源寺と言われています。この高源寺さまは、弊社石材店の大塚がいつもお世話になっておりますお寺様で、墓地と墓石のご案内のお手伝いをさせてもらっています。(弊社高源寺さまページ高源寺の桜の記事

また弊社大塚がご案内しております、さきたま古墳の近くにあります「さきたま霊園」の経営母体も高源寺さまということもあり、忍城についていつか記事にしようと考えていました。(弊社さきたま霊園のページ

忍城の場所は近隣の方はわかるとは思いますが、念のためご案内しますと、行田市役所の隣。国道125号(バイパスではない方)沿いになります。厳密には、旧忍城の城域の中を国道が突き抜けていて、本丸をかすめている状態です。

忍城は、豊臣勢の石田三成が指揮する軍勢の水攻めにも耐えた、北条方で唯一落城しなかったという名城です。関東7名城のうちの一つです。旧本丸跡地は行田市本丸球場があり長く市民に親しまれてきましたが、1988年から現在は行田市郷土博物館になっています。

第二駐車場に車を停め、順路に沿って進んでみます。スタート地点の第二駐車場は↓の地図の右側端(本丸西側)。すこしわかりにくいですが、赤い点が現在地です。

埼玉県行田市 忍城 案内図DSC_0373

まずはここから御三階櫓に向かいます。いわゆる「天守閣」のように見える建築物が御三階櫓です。途中に、まずは「本丸土塁」と立札がある土手が見えてきます。土手の向こう側が本丸というわけです。

埼玉県行田市 忍城 本丸土塁DSC_0375 埼玉県行田市 忍城 本丸土塁DSC_0376 埼玉県行田市 忍城 本丸土塁DSC_0377

土塁沿いに進みますと、忍藩の藩校「進修館」の表門であったと伝えられている「伝進修館表門」があります。移築があったため完全な確定とは言えないそうですが、行田市に現存する唯一の武家屋敷の門だそうです。

埼玉県行田市 忍城 伝進修館表門DSC_0378 埼玉県行田市 忍城 伝進修館表門DSC_0379

門の延長線上には、↓こんな石の基礎が。渡り廊下でもあったのでしょうか。

埼玉県行田市 忍城DSC_0380

ここから先は、土塁の上に綺麗な城塀がめぐっています。

そういえば、以前訪問しました加須市の總願寺(不動岡不動尊)に忍城の北谷門が残されていたのを思い出しました。↓こちらの画像です。(總願寺の訪問時の記事

不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2689 不動ヶ岡不動尊 總願寺 黒門 DSCN2691

さて先に進みます。

埼玉県行田市 忍城 本丸土塁と城塀 鉄砲狭間DSC_0381 埼玉県行田市 忍城 本丸土塁と城塀 鉄砲狭間DSC_0382

城壁に〇△□の小窓のようなものがありますが、これは鉄砲挟間(さま)。内側から鉄砲や弓矢で外側にいる敵を狙い打ちするための穴です。※間違えていたらごめんなさいですが、忍城の復元された城塀と挟間は、外側が広く見えます。多くの他の城では狙いやすいように内側が広く、外側の穴は小さく作られています。謎です。

御三階櫓が見えてきました。

埼玉県行田市 忍城 本丸土塁と城塀 鉄砲狭間DSC_0383 埼玉県行田市 忍城 本丸土塁と城塀 三階櫓DSC_0384

桜が満開です。実は、約二か月前に行っていたのですが、すっかり記事にする時期を逸していたんです(^_^;)

埼玉県行田市 忍城 桜と三階櫓DSC_0388 埼玉県行田市 忍城 桜と三階櫓 堀DSC_0391 埼玉県行田市 忍城 桜と三階櫓と東門DSC_0396 埼玉県行田市 忍城 桜と三階櫓DSC_0398

とってもきれいで大きな御三階櫓です(^-^)堂々としてますね~

忍藩は明治維新まで続いた藩なのですが、明治になってからの廃藩置県で忍県が新しくつくられ、県庁が二の丸に建てられました。その後廃城となり、明治6年にほとんどの構造物が取り壊されたそうです。近代明治のハイカラ政治にはそぐわないと判断されたのでしょうか。現在の価値観をあてはめることはできませんが、非常にもったいない!と、以上簡単な前段の話。

御三階櫓について、実は、本丸の南東角というこの場所には御三階櫓はありませんでした。忍城を再整備しようとされた際、本来この場所になかった三重櫓を天守閣のなかった忍城のシンボルとしてここに据えて建築されたとか。

おそらくいまだに意見は分かれるのではないでしょうか。史実を大切にするか、観光を優先するか。日本中の城跡で起こっている現象です。近年は史実を大切にする流れが主流のようですね。熊本城や小田原城の御殿計画など。

御三階櫓は、天守、天守閣ではありませんが、おおきなくくりとしては天守、天守閣といっても構わないかと思います。現存天守(国宝姫路城など)、木造復元天守(木造でちゃんと復元した天守。白河城や掛川城など)、外観復元天守(外観だけ復元した天守。名古屋城や大垣城など)、復興天守(資料不足のため推定で復興した天守。大阪城や小倉城など)、模擬天守(天守はなかったにもかかわらず天守を現代につくってしまったもの。千葉城、富山城など)とあり、忍城の御三階櫓は復興天守とも模擬天守とも言われています。

埼玉県行田市 忍城 桜と石垣と城塀DSC_0393 埼玉県行田市 忍城 桜と東小路DSC_0395 埼玉県行田市 忍城 本丸 堀 桜DSC_0403 埼玉県行田市 忍城 本丸 堀 木橋DSC_0404

とても桜がきれいな忍城御三階櫓です。のぼうの城の戦国時代には、こんなきれいなお城ではなく、土塁と木の塀、木組みの柵と櫓で小説と映画では描写されていました。きっと江戸時代にはとても美しいお城だったんでしょうね~

埼玉県行田市 忍城 木橋 東門 三階櫓DSC_0399 埼玉県行田市 忍城 木橋 三階櫓DSC_0401 埼玉県行田市 忍城 木橋 東門DSC_0400

お堀には木橋がかかっており、その向こうには重厚な東門があります。絵になりますね~!テレビ局のテレ玉で、この橋の上で「忍城おもてなし甲冑隊」がテレ玉ダンスを踊っているのをテレビでつい先日見ました。

埼玉県行田市 忍城 三階櫓DSC_0405 埼玉県行田市 忍城 三階櫓DSC_0406 埼玉県行田市 忍城 三階櫓DSC_0407 埼玉県行田市 忍城 東門と桜DSC_0408

細かなディティールを観察してみると、屋根瓦には三つ葉葵の紋が入ってます。歴代藩主は松平の四つの家(深溝、東条、大河内、奥平)と阿部家です。

埼玉県行田市 忍城 三階櫓と東門と桜DSC_0411

門と桜と御三階櫓。絵になりますね~!(^-^)

門をくぐり、いよいよ本丸へ!はいってすぐに忍城の由来が書かれてました。忍の浮城と書かれています。

埼玉県行田市 忍城DSC_0412 埼玉県行田市 忍城の由来DSC_0413

本丸に入ると、満開の桜が待ち構えていてくれました。それにしても桜とお城の相性の良さは抜群です。

埼玉県行田市 忍城 桜と城塀DSC_0414 埼玉県行田市 忍城 桜と城塀DSC_0415

挟間を見てみると、本丸の内側からみても広くつくられています。ますます謎です。

挟間から外を見てみましょう。狙撃手になったつもりで!

埼玉県行田市 忍城 城塀 挟間 桜DSC_0416 埼玉県行田市 忍城 城塀 挟間 桜DSC_0417 埼玉県行田市 忍城 城塀 挟間 雪柳DSC_0419

〇△□の窓から見る桜と雪柳もまたいいものですね~。

さて、忍城訪問記事の前半はここまでです。後半は三階櫓にのぼってみたりしていますのでしばしお待ちください。

埼玉県行田市 忍城に行ってきました②に続く。

~ ~ ~ ~ ~

参照記事 のぼうの城関連の記事

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました①

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その②

・のぼうの城に登場した丸墓山古墳 さきたま古墳公園 石田堤 その①

・のぼうの城に登場した土堤、石田堤に行ってきました

・忍城水攻 石田堤 行田市 鷺栖神社

 

お城関連の記事

・埼玉県行田市 忍城に行ってきました②

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・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その②

・埼玉県川口市 赤山城(赤山陣屋)に行ってきました その①

・群馬県館林市 館林城と出土墓石群

・伝源経基館跡(鴻巣市)

・埼玉県加須市 騎西城(私市城)に行ってきました

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

・川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除け

2014年5月30日金曜日 晴れ

こんにちは。埼玉県の石材店、大塚のブログです。

今日は、神奈川県川崎市川崎区にあります川崎大師に本社営業のASさんが昨日行ってきたそうで、10年に一度の大開帳を体験されてきたとのことです。

川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除けDSCF5401 川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除けDSCF5402 川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除けDSCF5403 川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除け 本堂DSCF5404

大開帳は10年に一度の大きなイベント。今年26年5月1日から5月31日までという期間限定のものになります。たくさんの人出だったようで、何時間も並んで「赤札」を手に入れてきたとのことです。

↑うえの写真では、一見あまり混んでいないように見えますが・・・

川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除け 行列DSCF5405 川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除けDSCF5406

赤札を求める人たちの行列は本堂の横のほうに伸びていました。

それでは「赤札」です↓

川崎大師の大開帳 赤札 入れ物 ご利益と厄除け1401426256898

ピンク色の入れ物に包まれています。

中身はこちら、右側のお札です。こちらが赤札です↓

川崎大師の大開帳 赤札 入れ物 ご利益と厄除け1401426249558

赤札を拡大してみます。

川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除け1401426240220

弘法大師、空海さんの書かれた字だそうです。よく見てみると「南無阿弥陀佛 空海」と書かれてますね。

ちなみに先ほど赤札を包んでいたピンク色の入れ物は、赤札とは別に購入されてきたとか。

厄除開運のせき止飴も買ってこられたそうです。

川崎大師の大開帳 赤札 ご利益と厄除け1401426232630

炎天下、小さなお子さん連れのお母さんもいたりしたそうですが、みなさん待望の赤札のために何時間も並んでいたそうです。遠くから来られた人もたくさんいたんでしょうね。

この赤札、川崎大師さまサイトによると次のように説明がありました↓

古来から、10年目毎の吉例大開帳奉修期間中に限って
授与される赤札は、弘法大師ご直筆と伝わる「南無阿弥陀佛」の
六字名号を版にして、当山貫首が精進潔斎のうえ、
祈願をこめて一躰ずつを手刷りにされる尊い「護符」です。

この赤札をいただけば、無量の功徳を授かるといわれています。
また、罪障消滅して遍く利益が得られるばかりでなく、
一旦危急に面した場合にも、あらたかな霊験の不思議が
あらわれると、古くから伝え信じられています。

以上、引用させてもらいました。詳しくはこちら→川崎大師さまのサイト、赤札について

ご利益があることを祈ります。

 

さて川崎大師と言えば、以前弊社石材店の大塚で川崎大師のすぐ近くの霊園「大師の杜」をご案内しておりました。またさらに近隣の霊園「メモリアルガーデン川崎」も同じくご案内しておりました。両霊園での弊社大塚の墓石の販売は終了してしまっておりますが、近隣の民営墓地でもまだまだご案内している霊園はございます。川崎市であれば、ヒルズ川崎聖地。横浜市になりますが、都築まどか霊園青葉ニュータウン霊園、東京都町田市では、緑山メモリアルパークメモリアルフォレスト多摩などがあります。(平成26年5月30日現在)

そのほかにも多数の墓地をご案内可能ですので、お気軽にお問い合わせください。

※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

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