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年別アーカイブ: 2014年

・正しいお墓の買い方 [その8]  墓石を建てる時期  生前墓(寿陵墓)の考え方

正しいお墓の買い方 [その8]

(前回 正しいお墓の買い方 [その7]

 

12.墓石を建てる時期。

特別な決まり(法律)はありません。大切なのは供養の心です。思い立ったが吉日でよいと思います。一般的には、四十九日、百ケ日、月忌、一周忌、三回忌などの法要を営むときに納骨されることが多いようです。

 

13.生前墓(寿陵墓)の考え方。

お墓を建てることは仏事です。仏教では生前に仏事をすることを「逆修」といって、大変功徳の高い善行と説いています。事実「灌頂経」「地蔵本願経」というお経の中でお釈迦様は「生前に死後の仏事を修めておくと、その幸せは無量で計り知れない」と説いておられます。中国でも寿陵は長寿を願うめでたい墓として秦の始皇帝をはじめ歴代の皇帝が作っています。日本では聖徳太子が作られています。従って生前墓がいけないという根拠はなさそうですね。

寿陵イラスト

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

 

正しいお墓の買い方 [その9]

・埼玉県内最大のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園

2014年5月11日 日曜日 晴れ

昨日からはじまりました、埼玉県北足立郡の伊奈町にありますバラ公園でのバラまつり。バラ公園は伊奈町制紀念公園内にあります。美しいバラの町伊奈の一番いい季節がやってきました。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4423 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4424

バラまつりは、今年2014年は5/10土曜日から開催。昨日10日は、まだパラのピークではありませんでしたが、現在咲いているバラもとても綺麗でした。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4421 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4309 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4311 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4324 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4337 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4345 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4376 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4382 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4383 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4388 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4395 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4401 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4258 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4266 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4294 埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4308

ピークはどうやら来週以降の様子です(と、チケット売り場の方に教えてもらいました)

もらったチラシによると、本日14時からは安木節踊りがあったようですね。

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4426

17日と18日には、ゆるキャラ登場の観光物産展(両日)や、バトン演技と手話コーラスと太鼓演奏(それぞれ17日)、パークトレイン運行(18日)、ミニコンサートとコーラスとYOSAKOIソーラン(それぞれ18日)、ミスユニバース埼玉写真撮影会(18日)。

24日には、カスタムカー展示とミニコンサートなど。25日にはジャズ演奏、太鼓演奏、ダンスなど。

盛りだくさんですね!

埼玉県内最大のバラ園。4,500株以上のバラがあります。ゆるキャラのローズ君とローズちゃんが綺麗なバラたちと一緒に待ってますよ!

埼玉県のバラ園 バラまつり 伊奈町制施行記念公園 DSCN4425

※バラ公園のすぐ隣には、弊社大塚がいつもお世話になっております西蔵院さまがあります。

~ ~ ~ ~ ~

過去記事

バラ公園①  バラ公園②  伊奈町町制施行記念公園 紅葉

20140331 埼玉県伊奈町羽貫 西蔵院 桜満開

 

 

・素人がセロリを自宅で大きくできるか?セロリの水耕栽培から鉢植えに

2014年5月10日土曜日 晴れ

ブログ担当Tの好物にセロリがあります。以前スーパーで買ってきたセロリ、売り場で水に浸かっていたので、あまったセロリを水につけておいたところ、元気に長生きしてきておりました。

そして現在のそのセロリがこちら↓

20140510 セロリ水耕栽培

ガラス瓶に入れてるだけです。葉が青々として生き生きとしています。(ガラス瓶のゴールドブレ〇ドというラベルには注目しないでください。)

いつからか、最初はなかった根っこが伸びてきて、今では沢山の白い根っこでまさに「水耕栽培」状態になってきました。

20140510 セロリ水耕栽培根っこ拡大

さてここからが実験です。ちょっとこのままだとかわいそうかなと感じましたので、植木鉢に引越しさせてみたいと思います。

20140510 セロリ水耕栽培を鉢植えにする

今まで水いっぱいの状態でしたので、水分は大目にしていこうと思っていますが、はたしてこのままさらに大きく育てることはできるのでしょうか?そして育ったセロリを美味しくいただくことはできるのか?

セロリは高原の植物なので、このまま部屋で育てることになりそうです。というか、さきほどの白い根っこが無事に鉢植えの土に根付くことができるのか。

頑張れセロリさん!

 

・2014年5月9日のコロコロ変わる空模様 積乱雲、ゲリラ豪雨、突風、夕焼け

2014年5月9日金曜日 晴れ→雨→晴れ

本日は天気予報で「昼過ぎに激しい雨が降り、すぐあがります」と聞いていました。

そして丁度昼過ぎ、一度目の激しい雨は食事をしていて見逃してしまいましたが、その後の空模様を定点にて観察することができました。

 

13時

20140509 空模様の推移 13時DSC_0090 20140509 空模様の推移 13時DSC_0089 20140509 空模様の推移 13時DSC_0092

↑左から南、西、真上です。先ほど激しい雨が降りましたが、西から色の濃い雲がこちらに進んできています。

 

13時50分

20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0094 20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0093 20140509 空模様の推移 13時50分DSC_0095

↑左から南、西、真上です。一気に暗くなってきました。西から近づく雨雲が真上に広がった感じです。このあと第二段の雨が降りました。

 

15時19分

20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0097 20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0096 20140509 空模様の推移 15時19分DSC_0098

↑左から南、西、真上です。二回目の雨は終わりましたが、今度は突風が吹き荒れています。昨年春にありました「煙霧」に少し似た空気になりましたが、昨年の煙霧ほど埃で空が見えない状態までにはなりませんでした。が、かなり埃が空に舞っているのが分かりました。地平線方向が茶色です。

 

17時

20140509 空模様の推移 17時DSC_0101 20140509 空模様の推移 17時DSC_0100 20140509 空模様の推移 17時DSC_0102

↑左から南、西、真上です。積乱雲はどこかに消えてしまいました。突風も弱まってきました。西の空は太陽があって眩しいですが、秩父連山が見えるようになっています。地平線ちかくに見える茶色い空気はまだまだ残っているようです。

 

そして18時半

20140509 空模様の推移 18時半DSC_0105 20140509 空模様の推移 18時半DSC_0109

日没です。

 

時間を追って空の様子を見てみると、比較できる写真が残せました。

 

綺麗な富士山の様子や、綺麗な夕焼けの様子もいいけれど、たまにはコロコロと変化する空模様を見てみるのも面白いですね。

 

 

・長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました

2014年5月9日金曜日 晴れ

先日の長宗我部元親公のお墓参りに続きまして、元親の長子で戸次川の合戦で戦死した長宗我部信親のお墓参りに雪蹊寺に行ってきました。

雪蹊寺は高知市長浜の、長宗我部元親公のお墓の比較的近くにあります。場所はこちら↓ 

雪蹊寺は四国八十八か所の33番目の札所です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0468- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0469

県道に面した入口には「雪蹊寺(33番札所)」の文字とともに「長宗我部信親の墓」の文字のある看板↓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0470 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0472

↑四国のへんろ道を世界文化遺産に・・・世界遺産を目指しております。「人生御遍路」です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0474-

延暦年間(782~806)に弘法大師(空海)が開基。ということなので、1200年以上前に建てられたお寺です。もとは高福寺と言いましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天像(国重文)が安置されたことから慶運寺と改称された経緯があります。その後戦国時代に長宗我部元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称されました。儒教の南学の中心地とも言われています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0473 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0475 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0476 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0478

歴史あるお寺だけあり、古い石塔がたくさん並んでいます。

実はここ雪蹊寺はすぐ隣に「秦神社(はたじんじゃ)」があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0483

秦神社の御祭神は長宗我部元親。長宗我部家は秦の始皇帝の流れを組むという渡来の豪族、秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を名乗っていました。そのためここ秦神社には秦家累代の霊と、家臣忠死者も配神として祀られています。神社の拝殿の幕には、かたばみの紋が。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0479 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0481 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0484-

長宗我部家の家紋は「丸に七つ酢漿草(かたばみ)」。かたばみは傍食、片喰、片食とも書きます。そのため、雪蹊寺、秦神社には↓の「丸に七つ酢漿草紋」の戦幟がいくつか配置されてました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0509

明治の世になり、廃仏毀釈の中、雪蹊寺が一時期廃寺となった際、雪蹊寺に収められていた衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として秦神社が祀られました。なので、秦神社の建立は明治4年です。神社には木造のほか、国指定重要文化財である絹本著色長宗我部元親画像もありますが、現在は高知県立歴史民俗資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に委託保管されています。

秦神社への参拝後、すぐ隣の小高い山にある神社もあわせて参拝。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0486 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0485

長宗我部家臣が奇跡の神鏡を拾い命拾いしたために作られた西宮神社(えびす様)。石段を登った先に社殿があります。実はこの小高い山は、長浜城跡なのです。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0482

西宮神社はその小高い城跡の一部に祭られています。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0489

位置的には、秦神社のすぐ横、雪蹊寺の裏手にあたります。なので、雪蹊寺の見事な墓石がちらほら目に入ってきたりもします。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0490

それでは隣の雪蹊寺に戻ってみます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0491 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0494 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0506- 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0508-

臨済宗のお寺様ということで、凛とした造りのお寺に感じられます。33番札所なので、お遍路さんもいらっしゃってます。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0492 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0493-

四国八十八か所のお寺は、弘法大師さまが開いた霊場なのですが、ここ雪蹊寺のように必ずしも真言宗のお寺ではないというところも多々あります。臨済宗の雪蹊寺にも↑のように大師像が置かれていたりします。また、柄杓が篤志の方から奉納されていたりと、なかなか興味深いものを感じました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0495 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0505

境内を歩いていると、「長宗我部信親公墓所」の案内を発見しました。↑実は右の写真、一番奥の木立の中に宝篋印塔の信親公墓所が見えているのですがわかりますでしょうか?

墓所の手前に案内板が。ここには信親公のお墓だけではなく、戸次川戦没者供養塔、香宗我部系の出で雪蹊寺中興の祖であり、関ケ原戦後の浦戸一揆の際に仲に立って開場に貢献したという月峰和尚のお墓もあります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0496

お寺の裏側に木漏れ日の中にお墓はありました。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0502 長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0497

↑中央に信親公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、左に戸次川戦没者供養の五輪塔が、右には月峰和尚の丸い無縫塔(むほうとう)があります。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0499

お父上の元親公のお墓と比べて一回り小さいサイズではありますが、とても立派で保存状態のよい宝篋印塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0501

長宗我部家が関ヶ原で西軍につかず、大坂の陣で滅亡せず、江戸から明治まで残る大名になっていたならばもっと大きなお墓になっていたことでしょう。

↓戸次川戦戦没者供養塔です。こちらもとても美しいカタチの五輪塔です。

長宗我部信親(元親の長子)のお墓参りに雪蹊寺にDSC_0500

長宗我部信親は、長宗我部元親の長男として、将来を嘱望されていた武将です。

父元親は四国平定したものの、その後秀吉に屈服さぜるを得ませんでした。その後の九州征伐にて他の四国勢とともに島津氏と戦うこととなります。窮地に立っていた大友氏を助けるためという名目です。秀吉勢として父元親とともに出征した信親。秀吉の軍監仙石久秀の指揮のもと、戸次川の合戦にて秀吉勢は総崩れとなってしまったのですが、その際に多くの将兵が命を落としました。阿波の有力大名の十河存保(そごうまさやす)や、そして長宗我部信親と多くの供の者(700余名)も命を落としたのです。まだ22歳でした。

信親は身長184センチ、色白の長身だったようで、元親によって跡継ぎとして育てられてきたのですが、家臣の信望もとても厚かったようです。信親の「信」の一文字は織田信長からもらったのですが、その信長からも養子にほしいと言わせた程だったとか。そんな元親の後継者が他の若い多くの将兵とともに戦没したため、この後の長宗我部家は一気に衰えていってしまったとのことです。

戸次川の合戦についての記録は、雪蹊寺からも近い長宗我部元親初陣像の足元にもありますので、よしろければそちらもご覧ください。

~ ~ ~ ~ ~

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・・・・・??何事?  追突されました。皆さんもお気をつけて。

2014年5月8日木曜日 晴れ

今日は、大塚本社のSYさんからの記事になります。先日の話だそうです。以下本文↓

 

・・・・・??

何かな・・・?

あ、追突された。

あまりの衝撃で、一瞬わけもわからず。

少々冷静になると、背中に痛みが(かなり強打しました)

信号停止中で、背後の車は脇見運転。

ノーブレーキだったと、警察の方から教えてもらうも、痛い。

そして、なんと明日からはGW。病院が開いていない。連休中、

痛みと向き合いながら、仕事。

そしてシップで対処。

皆さんも気を付けて。

追突されました。皆さんもお気を付けて。

 

 

・長宗我部元親公のお墓をお参りしてきました。

2014年5月7日

ゴールデンウィーク中に、四国の戦国大名の長宗我部元親、信親親子のお墓をそれぞれお参りしてきました。

まずは長宗我部元親公のお墓を訪ねてみます。場所はこちら↓ 

↑高知市長浜にあるのですが、小高い山の南面にお墓はありました。地図内の桂浜には先日記事にしました坂本龍馬像があり、鎮守の森公園緑地と書いてある近くにはこちらも先日記事にしました長宗我部元親像があります。おなじく近くにある雪蹊寺には元親の息子信親のお墓があります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0466

高知県道34号桂浜はりまや線を南に桂浜方面に進んでいくと看板が見えてきます。県道34号は二筋になっていますが、桂浜に近い方の道です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0465

突き当りまでくると、ここから先は徒歩でしか進めなくなります。様々な案内板が出迎えてくれます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0447

長宗我部元親は土佐を統一し、四国全土を制圧した戦国武将、大名です。秀吉の軍門に降り領土も四国全土から土佐一国に減封されましたが、京都伏見での病没後、後事を託した盛親の代にて関ヶ原の合戦、大阪の陣によって長宗我部氏は歴史上から消えてしまいました。お墓は宝篋印塔のカタチをとっているようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0446 長宗我部元親公のお墓DSC_0448 長宗我部元親公のお墓DSC_0449

この奥の石段の上にあるようです。

長宗我部元親公のお墓DSC_0463

新緑のこもれびが気持ちの良い細道が続いていますので、奥に進んでみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0451 長宗我部元親公のお墓DSC_0453

石段になる手前に、たくさんの石塔や祠が集められている場所がありました。「兵士の塚」とあります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0452

関ヶ原戦で西軍となった長宗我部家の家臣が1600年12月に起こした浦戸一揆。その戦死した兵士を祀っているもののようです。

さて、では石段を登って先に進んで行ってみましょう。

長宗我部元親公のお墓DSC_0454 長宗我部元親公のお墓DSC_0455

石段はあまり長くはなく、すぐに墓所に到着できました。

重厚な灯籠と柵に囲まれた宝篋印塔の墓所です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0461 長宗我部元親公のお墓DSC_0456

おそらく明治まで続く大名家となっていたならばこんなに気軽にはお墓参りは出来なかったことでしょう。規模ももっとずっと大きくなっていたのではないでしょうか。

それにしても、やはり立派な宝篋印塔です。

長宗我部元親公のお墓DSC_0458 長宗我部元親公のお墓DSC_0459

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは、元来は「宝篋印経」という経典をいれる仏塔のことを指していましたが、その形状のみの進化が進み、身分や位の高い方、篤信の方の供養塔として現在でも使われている形状の供養塔になります。

長宗我部元親公のお墓DSC_0460

1599年没の長宗我部元親、もうあと少し生きていたならば、関ヶ原にてどういう活躍になってその後の長宗我部氏や土佐国がどうなっていたのだろう・・・と考えてしまいます。

長宗我部元親公のお墓DSC_0462

元親公ゆかりの方が整備されているようですね。ご先祖様を供養する、それが戦国大名のご先祖様でなくともどちらの家でも共通した思いはあることと思います。お参りさせてもらう側として、整備いただいていることはとてもありがたいことですし、何より眠られている元親公の魂もやすまることと感謝いたします。

長宗我部元親公の長男、信親公のお墓はここの近くの雪蹊寺にあるのですが、そちらもお参りしてきましたので別の記事にてご紹介いたします。

~ ~ ~ ~ ~

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・20140502 東名高速鮎沢PA(上り)から見える、朝焼けの赤い富士山

2014年5月7日水曜日 晴れ

ゴールデンウイーク中に、綺麗な朝焼けの富士山を見ることが出来ました。

-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色-20140502 東名高速鮎沢pa上りから見える富士山 朝焼け 赤色1

場所は、東名高速道路の鮎沢PA上りから。朝もやの中、赤く染まった富士山が目に入ってきてとてもびっくりしました。

富士山をほぼ真東が見る位置にあたるのですね!

写メをとった時間が朝の4時57分。日付は2014年5月2日。このあたりだとおそらく日の出の時間は4時46分くらいのはずなので、日出後の富士山が赤く見える絶妙のタイミングで鮎沢PAにたどりついたことになります。そのラッキーなタイミングにも驚きました。お日様と富士山に感謝です。(ここ神奈川県山北町は、経度が前橋市や新潟市と近いようなので、前橋市、新潟市の日の出の時間を調べてみました)

人もまばらな鮎沢PAでしたが、私の他に何人もの方が赤い富士山を写真に収めていました。

ご利益あるかな?

 

さて、弊社大塚では、富士山を見ることができる霊園もいくつもご案内しております。埼玉県の富士山のよく見える霊園としては、西上尾メモリアルガーデンや、さきたま霊園などが。千葉県ならメモリアルグリーン流山聖地、東京都ではメモリアルフォレスト多摩、神奈川県では、メモリアルパーク藤沢都筑まどか霊園南葉山霊園、などが富士山を見ることができます。

お気軽にお問い合わせください。
※神奈川県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

※埼玉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※東京都の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※千葉県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

※静岡県の霊園一覧ページはこちらをご覧ください。

 

・正しいお墓の買い方 [その7] 墓石の大きさ 墓石に刻む文字

正しいお墓の買い方 [その7]

(前回 正しいお墓の買い方 [その6]

10.墓石の大きさ。

大きいお墓が良い、小さいお墓は悪いというものでは全くありません。大切のは、死者への供養の心を込めて作られたか否かです。例え小さくとも、心のこもったお墓であれば、気に入った石種で、ご予算に応じてお作りになられてら良いと思います。

 

11.墓石に刻む文字。

墓石に文字を刻むようになったのは、平安時代の終わり頃のようです。当初は経文や梵字を彫りましたが、室町時代に入って仏の種子、仏像、名号、題目などが彫られるようになり、仏塔としての性格が顕著になりました。江戸時代にはいって、庶民が建立するようになった三段型の墓石は、当初、仏塔として亡くなられた方のために一人一基ずつ建立され、棹石の正面頭部に宗派によって仏を表す「円」大日如来を表す梵字の「石塔の梵字-ア-大日如来(ア)」「妙法」などを入れ、その下に「南無阿弥陀仏」「妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」などの題目を彫り、側面に仏弟子となった故人の戒名、法名を記しました。

明治時代に入ると仏を表す円や名号、題目が欠落し、家紋や個人俗名が刻まれ、仏教的な意義付けが、次第に薄れました。大正から昭和にかけて民法に家制度が導入されると、仏塔として個人墓だった墓石は家墓、先祖代々墓となり、仏弟子の証として刻まれた戒名も墓誌(法名碑)に記されるようになり、仏塔としての墓石は完全に形骸化し、墓石に刻む文字への制約もなくなりました。

そして、家制度が崩壊し核家族化、少子化が進んでいる今日、お墓も家族墓、夫婦墓、両家墓、個人墓、永代供養墓など、急速に多様化し、それに伴って墓石に刻まれる文字も思い思いに好きな文字や言葉が刻まれるようになりました。

 

(全優石「正しいお墓の買い方」より抜粋)

正しいお墓の買い方 [その8]へ

・40年前の1970年代、20年前の1990年代の航空写真をWEBで見る

2014年5月5日月曜日 曇り

先日の記事(グーグルマップとヤフー地図とGoo地図)で、『各社の膨大な地図データや航空写真画像データ、「現在」を知るだけではなく、過去を知るという知的欲求のためにも、各社手がけ始めてくれるととてもありがたいな~』と書きましたが、

少し調べてみると興味深い記事にたどり着きました↓

Googleマップの航空写真モードで「40年以上昔の日本」を見れるサービスに驚愕!

約一年前のAPPGIGA!!(アプギガ)さんの記事なのですが、どうやら国土地理院の1970年代の航空写真データをグーグルマップ上で見ることができるとか。見ることができるのがこちらのサイトです⇒「Googleマップを使って国土地理院の地図を見る」こんな感じの地図閲覧が可能です。

地図1

↑こちらのページの右上のボタンを拡大してみます。

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る

こちらを操作すると↓が現在の東京ドーム

地図2

↓こちらが1970年代の後楽園球場です。

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る 後楽園球場と東京ドーム

比較できるのってすごいですね!1990年代も見ることができます。

そして少しこのサイトを調べてみると、どうやら沼津工業専門学校の地理の先生のページだということがわかりました。地図を活用してさまざまな取り組みをされているようで、このページとか、このページを見てみるととても興味深く感じられました。

~ ~ ~ ~ ~

そしてその航空写真の元になっている「国土地理院」ですが、実は私も時々見に行っていました。ただし、よく見ていたのは「ウォッ地図」というWEB地図でした。国土地理院が元データだということなので早速、国土地理院ウォッ地図のサイトに行ってみましたところ・・・

ウォッちずは平成26年4月1日以降地図を更新しておらず、平成26年10月1日をめどにサイトを停止する予定です。なお、最新の地図は「地理院地図」でご覧いただけます。

とのこと・・・。時々活用させてもらっていたので残念ではありますが、その「地理院地図」のページを見てみたところ、残念さが驚きに変わりました。

地図01 地図03

↑こちらは「地理院地図」の最初の画面と、例として宮城県女川町の2011.3月の航空写真です。

地図02 地図04

↑そしてこちら、左が2007年ごろの女川町と、右は1970年代の女川町です。

この「地理院地図」、実に様々な機能がついており、地図05

現在の航空写真のほか、1990年代や1970年代の航空写真、東日本大震災の津波被災地については被災直後とその後の様子など三段階に時系列がわかれて記録されています。そのほかにも色々な見方使い方が可能そうです。

「地理院地図」すごいです。

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以前の記事で書きました『各社の膨大な地図データや航空写真画像データ、「現在」を知るだけではなく、過去を知るという知的欲求のためにも、各社手がけ始めてくれるととてもありがたいな~』という個人的な希望は「各社」ではないもののかなり希望がすでにかなっておりました。よく調べてから書けばよかったです(^_^;)

昔の航空写真を見ることができる。とっても興味深く見ることができますので、ぜひぜひ一度見てみてはいかがでしょうか?

Googleマップを使って国土地理院の地図を見る」も「地理院地図」もどちらもおススメ地図サイトです。

※ただし、エリアによっては縮尺やそもそも航空写真を撮影されていなかった時期もありますのでご注意ください。

※また、航空写真の閲覧は今のところPCでの閲覧を想定されているようですので、スマホやタブレットの方はパソコンから見てみてください。

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別記事になりますが、昔の地図の比較ができるサイトを紹介した記事がこちら↓。これも興味深いですよ!

・これはすごい!時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」

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さて弊社は首都圏にて霊園と墓地をご案内・ご紹介し墓石の製造販売をしています石材店です。このように古い写真や元来の地形を確認するのは、いいお墓探しやよりよい墓石建立のためもあります。元々はどういった土地だったのかという点については、お墓だけでなく様々な家や建物など不動産や日々の安全、地域の歴史を知ること以外にも、私たちの仕事のような後世に長く残るような「お墓作り」という仕事にとってもとても大切なことです。たとえば古い神社やお寺は高い土地に建っていたり、昔の墓地が山の上にあったりなど、それぞれ理由があるためです。

そのようなわけで、本記事のように調べてみたりなどしています。

お墓作りにご興味のある方は、資料請求や霊園墓地のご見学についてお気軽にお問い合わせください。

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