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日別アーカイブ: 2013年11月28日

・津波記憶石 釜石市根浜海岸(宝来館前)

11月27日 水曜日 晴れ

釜石市根浜海岸の宝来館の前に設置されました津波記憶石です。大塚も加盟している全優石での津波記憶石第一号として建てられました。

津波記憶石 釜石市根浜海岸 宝来館前 _DSC_0776

夕暮れで少し暗くなってきましたので、あまりはっきりと撮影できておりません。見えにくくて申し訳ありません(汗)

津波記憶石 釜石市根浜海岸 宝来館前 DSC_0097 

↑こちらの画像の右上にはバーコードがあり、3.11の際の動画など詳しい情報を見ることが出来ます。

↓ピントがあっていないため、うまく読み取れないかもしれませんが、アプリによっては読めました。・・・もう一度行くことがありましたらちゃんとした画像を撮ってきます(汗)

津波記憶石-根浜海岸-宝来館

裏側にはこのような文字が↓

企画 全優石、協力、協賛、製作、デザインとお骨折りいただいたみなさんの名前が並んでおります。

↓こちらは今回の津波で広く報道と紹介をされた宝来館。海岸沿いにあります。おかみさんのエピソードが有名です。

↓画像正面の中央にある、手すりの付いた山へ続く道まで津波があっという間に到達しました。

↓当時、急いで避難された場所である山の手すり辺りからは、このように見えます。

 

有名な動画なので見たことのある方も多いかとは思いますが、向こうの松林からこちらの山へ逃げてくる人と、それを追うように瞬時に襲い来る津波の映像は、大きな衝撃を受けました。(「宝来館 津波」と検索するとすぐに見つかります)

この宝来館は津波の避難建築物にもなっています。

まだまだ爪痕の残る根浜海岸ですが、いつの日かまた行楽客でにぎわう日が一刻も早く訪れるよう、いま自分たちにできることを考え行動しながら祈念いたします。

 

 

 

 

・津波記憶石 釜石市唐丹町

11月27日 水曜日 晴れ

釜右市唐丹町本郷地区にあります、津波記憶石の第三号です。

津波記憶石 釜石唐丹 DSC_0073

当初の予定では、中央の碑のみで考えられていたそうですが、碑に刻む言葉を募集したところ小中学生の皆さんの言葉がどれもとても印象強くズシンと心に響くもので、”選べない”ということになり、全ての言葉を刻むデザインと本数に変更となった、と聞きました。

-DSC_0689 -DSC_0686

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中央の石を正面からみると↓このように見えます。

津波記憶石 釜石唐丹 DSC_0074

デザインに波の模様が取り入れられています。一見して津波とわかるような津波記憶石です。津波記憶石には↓のようにバーコードがついており、2011.3.11の際の状況などがわかるようになっています。是非バーコードスキャンしてみてください。

津波記憶石 釜石市唐丹バーコード

津波記憶石の裏側です。協力されたみなさんが記してあります。

-DSC_0697

DSC_0077 DSC_0078 DSC_0079

↑「(株)大塚(上尾市)」の文字があるのがわかりますでしょうか?大塚もこの津波記憶石作りに携わらせていただきました。

この津波記憶石の隣には、明治の三陸地震の際の津波石と、昭和の津波石が並んでいます。↓左が昭和の際のもので、右が明治のものです。

DSC_0080

↓昭和八年と確認できます。

DSC_0081

↓明治の津波石です。

DSC_0082

↓明治二十九年六月と確認できます。

DSC_0083

DSC_0086 

↓こちらは平成20年に移転した際の碑になりますが、3.11の津波の際に流されいたるところ欠けたり傷だらけとなっているのが確認できました。石も流されてしまうというその勢いに、いまさらながら驚かされます。

DSC_0084

↓このような文字を刻んだ石も並べられています。傷跡が生々しく感じられます。

DSC_0085

↓津波記憶石には、太く深く文字が刻みこまれています。

DSC_0088

DSC_0087 

釜石市唐丹町のここ、津波記憶石の設置されているのはこのような場所です。手前の低くなっている土地に50軒ほどの家があったということですが、今回の津波で流されてしまいました。右奥の方の地区に立つ家々は、以前の津波の際に高い場所に移転された方々の家です。

DSC_0089

右奥の方を拡大してみてみます。高台になっているのがわかります。

_DSC_0702 

少し進むと、やや小さめの津波記憶石があります。↓これは津波記憶石の四号なのですが、同型のものが25号まであり、それぞれ唐丹町での津波到達点に設置されています。

津波記憶石 釜石唐丹 DSCF5158

津波記憶石 釜石唐丹 -DSCF5164

津波記憶石より海方向を見ると、海から唐丹を守るように堤防が伸びています。

↓中央から右側にのびている堤防は、行政によりかなり前に整えられた堤防ですが、この堤防が完成されたことにより、ここ唐丹町で禁止されていた低い場所への住宅の建築が許可となったそうで・・・。(ちなみにここには美しい松林があったそうで、ここに写っている松のみが残ったということです。高田の一本松ではありませんが、「奇跡の二本松」と呼ばれているそうです)

DSC_0090

しかし、3.11の津波はこの堤防を越えてしまい、新しくできた低い土地の50軒が流されてしまうこととなったそうです。↓右側、堤防が壊れてしまっています。高い場所に移転された家々は無事だったそうです。堤防の向こう側には湾の入り口と海が見えているのがわかると思います。

DSC_0091 

この場所のすぐ上には「星座いし」と、伊能忠敬測量顕彰碑があることで有名です。伊能忠敬は全国くまなく測量した偉人ですが、その測量の基準にした場所がここ唐丹本郷の山の上だったそうで、測量の偉業をたたえる顕彰碑が建てられています。その顕彰碑は、全国にある伊能忠敬顕彰碑のなかで唯一の江戸時代に作られた顕彰碑になります。

歴史ある土地にできた新しい津波記憶石。今後、この土地では復興の新しい歴史を刻んでいくことでしょう。

 

 

 

 

・バラ公園②

11月28日木曜日

前回「バラ公園①」の続きになります。バラ公園には実にたくさんの種類のバラがあるのですが、選んで写真を撮ったものの、どれも綺麗なので絞りきれませんでした(汗)

結構広い公園なのです。

バラ公園 DSCN2025 バラ公園 DSCN2026 バラ公園 DSCN2033

さて、バラの紹介に入りたいと思います。

バラ公園 チンチン DSCN1965 バラ公園 チンチン DSCN1963

↑珍しい名前のバラでした。朱色がとても鮮やかな花です。

バラ公園 花霞 DSCN1966

↑「花霞」こちらも京成バラ園です。京成バラ園さんってすごいんですね!可憐な花でした。

バラ公園 プリンセスチチブ DSCN1969

↑「プリンセスチチブ」チチブと名前についていますが、フランスのバラです。プリンセスらしく若々しいピンク色が綺麗です。

バラ公園 メリナ DSCN1971

↑「メリナ」ドイツの花です。部分的に白色があり、真紅が印象的に感じられました。

バラ公園 アクロポリスロマンチカ DSCN1973

↑「アクロポリスロマンチカ」とても賑わいを感じさせる華やかさがありました。きれいですね~。

バラ公園 ストロベリーダイキリ DSCN1975

↑「ストロベリーダイキリ」イチゴの大生産地カリフォルニアで、カクテルの名前に由来して名づけられました。ダイキリとはキューバの鉱山の名前だそうです。いろいろとはじめて知りました。

バラ公園 るる DSCN1977

↑「るる」こちらも京成バラ園作です。かわいらしいバラでたくさん咲いていました。

バラ公園 アシュラム DSCN1979

↑「アシュラム」ドイツの花です。向こうの方まで並んでいるのがわかりますでしょうか。

バラ公園 ローラ DSCN2023

↑「ローラ」フランスのバラです。こちらの花に限ったことではありませんが、やはりバラというと高貴な印象をうけますね。

バラ公園 モニカ DSCN2030

↑「モニカ」綺麗なピンク色が印象的でした。

それではバラ紹介の最後ということで、ここまで読んでいただきまして・・・

バラ公園 感謝 DSCN2028

↑「感謝」いたします!(感謝という名前のバラです)

晩秋のバラ公園、なかなかよかったですよ。お勧めの公園です。ちなみにこちらもすぐ隣が西蔵院さま。大塚がいつもお世話になっているお寺様です。いい立地ですね!

バラ公園 DSCN1982 バラ公園 DSCN2021 バラ公園 DSCN2022 バラ公園 DSCN2027 バラ公園 DSCN2032 バラ公園 DSCN2045

植栽の維持管理されている皆様、ありがとうございました。おかげでだいぶ癒されました!

また時間のある時に来たい公園です。

※まだ見られていない方は前回記事の「バラ公園①」もご覧ください。

 

 

 

・永代供養墓

永代供養墓

鴻巣霊園 永代供養墓

鴻巣霊園 永代供養墓

永代供養墓とは、生前に申し込みができて、承継者の有無に関係なく、永代にわたる供養と管理が約束されるお墓のことです。子供のいない夫婦や、生涯を独身で過ごす人の増加、さらには、自分が死んだ後にお墓のことで子供に負担をかけたくないという考えを持つ人が多くなり、従来とは異なる新しいお墓の形態として、近年、社会的にも大きな注目を集めるようになりました。

桶川霊園 永代供養墓

桶川霊園 永代供養墓

一口に永代供養墓と言っても、それにはいくつかのタイプがあります。代表的なものは、共有の納骨施設の上に記念碑や宗教的なシンボル(仏像など)を建てた「共同墓(合祀墓)タイプ」、共有の納骨施設の中が個別のスペースに区切られていて、それぞれの名前を記した銘板や石碑を掲げる「集合墓タイプ」、一定の区画内に個別のカロートと墓石を設置した「個別墓タイプ」です。一部の民営霊園では、通常の形で建立したお墓を、故人の永代供養墓として使うことが出来るというシステムを取り入れているところもあります。

久喜聖地公苑 永代供養墓

久喜聖地公苑 永代供養墓

多くの永代供養墓では一定期間(10年間・33年間など)は骨壺で安置し、期間が過ぎたら遺骨を骨壺から出して合祀スペースへ移し、土に還すという方法が取り入れられています。使用者の希望で骨壺を安置する期間を決めることが出来る場合もあります。

川口元郷聖地 永代供養墓 こもれびエリア

川口元郷聖地 永代供養墓 こもれびエリア

永代供養墓の費用は、数万円から100万円を超えるものまで、かなりの幅があります。料金の定義やお墓の形態、納骨の仕方、供養の方法などはさまざまなので、よく確認しなければなりません。

 

 

(六月書房 霊園ガイド2013下半期号 より抜粋)

 

※こちらの記事もご参考まで→・永代供養墓 合葬墓 共同墓 合同墓 合祀墓 集合墓 納骨堂

※当サイト内の永代供養墓特集のページを見てみる

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